【Review】JNNルポルタージュ 報道の魂 『重信房子からの手紙』クロスレビュー

イラスト:カミカワトコ ケンタ

前説 編集室 若木康輔

この番組を録画して何度も見ている。1968年生まれの僕は、重信房子という存在に、まだ冷静な距離感を掴み切れない。中山千夏による手紙の朗読を聞くたび、胸が掻きむしられそうになる。
日本を発った当時の重信と同じ年ごろの女の子だと、どう思うのか。知りたくなり、2人に録画を見てもらい書いてもらう、このクロスレビューに至った。
2人とも、僕とは違うところを違う目で捉えた原稿を送ってきたので、驚いた。9.11以降に思春期を過ごしたひとは、あの時代をそんな風に見るのか―。しかしその態度は極めて真摯だった。実は、どうせならば「重信さんってナウシカみたいだと思いました☆」ぐらい凄まじいことを言い出してくれないか、と内心思っていたのだが、そんな“オトナの気を逸らせないオンナノコ”の身振りへの期待をしたたかに無視して、丁寧に自分に引き寄せて考えてくれた。文中、当時への認識・理解が足りていないと感じられる点もあると思われるが、責任は、これで掲載オーケーと判断した僕にあります。
2人ともまだ、なにものでもない。なにものかになろうとして、書いたり撮ったり勉強したりしている。イラストは、同じ年ごろでやはりまだなにものでもない男の子に描いてもらった。

イラスト:カミカワトコ ケンタ


 Ⅰ.―重信房子― 時代の波に流されて。
  
小鳥遊 々香(たかなし・ゆうか)

 

1960・70年代の『学生運動』というと、大学生たちが肩を組んでシュプレヒコールをし、不気味な連帯感のもと、『山岳ベース事件』や『あさま山荘事件』が起きた狂った時代という認識が強い。
一部の学生が暴走した異常な時代だと思っていた。
父も母も、叔母も伯父も『学生運動』をしていたという話を聞いた時はショックだったし、どうして? と聞いた時の彼等の答えはもっとショックだった。
「その当時は、『学生運動』をするのが当たり前だったから」と。

今の10代や20代が携帯電話を扱うように、『学生運動』が傍にあるのが当たり前だった時代がかつて存在した。そしてその時代に、今回の主役である『重信房子』がいた。「自分もいつか、こんな女性になって、世界や誰かのために戦いたい」と思わせる憧れの的として。
30分のドキュメンタリー映像は、日本赤軍・最高指導者の重信房子と、作家・瀬戸内寂聴との往復書簡によって綴られていく。

 *

重信房子は1945年9月28日に、この世に生を受けた。世田谷の食料品などを扱う雑貨屋の末っ子として生まれ、兄や姉、ハーモニカのうまい父親に囲まれて育つ。房子の父母世代は、国への従順を誓った戦中世代である。重信たち戦後世代は、高校や大学に進む1960年代から70年代にかけて、戦争時からの反動のように、反抗・反発・反政府へと向かっていく。
今、20代である私には、無駄な従順であったと聞かされた戦争、失敗した抵抗だったと聞かされた学生運動だが、その当時は、純粋な希望に溢れていたのだろう。

今、20代の私は、政治に興味がある人を見ると、ネット右翼や、戦争世代や、父母世代の『連合赤軍事件(山岳ベース事件とあさま山荘事件の総称)』を思い出す。振り子には右と左だけでなく、中庸もある。私たちは今、その中庸にいる。反発するだけの価値も、従順になるだけの価値も政府には無く、世の中は何をしても変わらないと思っている。二つの世代の行いとその結果を忌避し、政治に無関心でいようと努めている。

重信房子は手紙の中で

《『「打倒せよ」と/叫びし日々は/この国の/勢いありて/希望ありし頃』》
と詠んでいる。――9分48秒頃

同時に、
《(60年代は)健康な時代だったと思い返しています。》
とも言う。――9分50秒頃

確かに彼らの世代は、健康な世代だった。学生運動をしてもその後就職は出来るし、行動したら何かが変わるという希望があった。
今は、あの時代よりも絶望の最中にいる、とは、1960年代に生きた母の言だ。

冒頭のナレーションに、
《重信はこれまで、裁判やメディアを通してテロリストや、過激派としてしか語られて来なかった。》
というものがある。――2分47秒頃

では『他の側面』はどうだったのか?

番組は、子どもだった重信房子、大学生になるまでの重信房子、パレスチナに単身飛ぶまでの重信房子を映していく。重信房子の仲間がイスラエルにあるロッド国際空港を襲撃した際(アラブ側の呼称は『リッダ空港』。日本赤軍側は『リッダ闘争』と呼ぶ)、

《ああ…これが革命というものなのか。(中略)空洞のような、寂寞とした悔いが押し寄せてきました。》
と手紙に書く26歳を映し出す。――21分20秒頃

彼女はその後、
《死んだ仲間のために何かできないだろうかと、考えました》
――21分22秒頃

と、パレスチナ人民解放戦線へと進んでいく。

彼女の面相は決して、空港を襲撃したグループのメンバーや、国際指名手配被疑者には見えない。捕まった時も仲間に『元気だよ』と伝えるために両手をあげ、テレビクルーに笑顔を向ける。どこにでもいる中年女性の一人であり、どこにでもあるような絵手紙を書く。そんな女性が時代に押し流されていった悲劇と、あの時代あの仲間と出逢わなければ、彼女は襲撃や革命を起さなかったのではないだろうか。という疑問を呈したくて、番組スタッフは、彼女の情緒豊かさを良く表す『重信房子からの手紙』を朗読しているようにも思えた。

重信は、便箋にして388枚の手紙を瀬戸内寂聴に送っている。しかし、そのすべてが、革命に触れているとは私には思えない。朗読された手紙の大半も、その前後は、四季折々の挨拶や花の話や行事にまつわる思い出話に彩られる。
元々、重信房子と瀬戸内寂聴が往復書簡を始めたのも、女性革命家を多く書いてきた瀬戸内にすら、彼女を一人物として書ききることが難しかったためだ。

『普通の人』。それが彼女に下される評価の一つではないだろうか。自分の信念も持ちつつ、しかし時代の流れと人の死にも大きく流されてしまった人。彼女に人を惹きつける魅力とリーダーシップがあったことは、当時を振り返った学生運動世代も多く語る。だがそれは、彼女に革命家としての優れた素質があったことを結論付けるものではなく、生まれ持った頭の良さや姿かたちを多く説明しているように思える。今、企業で改革を続けている誰かをあの時代に送りこんだら? 彼女と同じようなことをするのではないか?

時代と人が出会って改革は起き、彼女はその改革の時代に、ぴったりと生まれ育った。
それが幸せだと限らなくても、小市民としての生き方ではなく、改革者としての役割を彼女に与えたのは、メディアと、死んだ仲間なのではないだろうか。

番組の後半、重信は印象的なことを語る。
彼女の属した『日本赤軍』とは違う、『連合赤軍』が起したリンチ殺人事件にまつわる話だ。

その報せを聞いた時、彼女の仲間の奥平は、
≪隊伍を整えなさい。隊伍を整えなさい。隊伍とは仲間のことであります≫
と、本を掴み、号泣した。――17分30秒頃

この言葉を意訳すると、仲間を殺してどうするのだ!!われわれが掲げた理想はどこへ行ったのだ!お前たちの信念はどこにあったのだ!!という、人の死よりももっと大きな、何か大事なものが崩れて行ってしまった絶望が垣間見える。自由を目指して闘っていたのに、それは、『自由であらねばならない』という不自由さで、奥平や連合赤軍のメンバーを縛り付けてしまったのではないか。

この一ヶ月後、奥平と岡本は、ロッド国際空港での銃乱射へと向かう。この空港襲撃すら、私には、日本で起きたリンチ殺人事件の衝撃から生まれたものに見えてしまった。
パレスチナ人民解放運動に必要なものであったとしても、他にもやりようがあったのではないか。≪隊伍を整えなさい!≫と仲間を大切に思った彼等は、自分たちが生き述べる術を模索出来たのではないか。
リンチ殺人事件を討議して次に生かす術を考え(どんなグループでも同じことが起きないとは誓えないのだから)、他国や日本への根回し宣伝が出来たのではないか。メディアは報道しないとしても、他の国の同志たちとも連携を取らなければ、運動は持続出来ない。

当時は冷静に考えられる状況ではなく、革命を起こすには自分も死ぬ覚悟が必要だったということを踏まえても、早まったという感が否めない。次の、次の、その次の一手まで練らなければ、行為は一過性の自己満足に終わってしまう。後世、重信房子に、
≪正義の一面を見ていた誤りがあったと、今は思います≫――21分20秒頃
と後悔させることになる。

ロッド国際空港襲撃あるいはリッダ闘争において、日本赤軍は後戻りできない立場になったように私には思える。
重信に事前に空港襲撃の計画を知らせていなかったことや、浅間山荘事件からわずか一月後の襲撃・闘争であることから、奥平や岡本が、グループ全体の行き先や世界革命の未来をきちんと考えて行動したかどうか、疑問が残る。

重信房子たちの行動を振り返ると、ロッド国際空港への襲撃(アラブ側から見ると『リッダ闘争』)や、国際指名手配をされるようになったオランダ・ハーグにあるフランス大使館襲撃に関しても、一部の異常な人の集まりが起した事件ではなく、時代と人の死に流された結果に思える。
戦争世代は絶対的な従順に統一され、学生運動は絶対的な反発に統一した。では、今、20代の私たちも、何らかの潮流に統一されていないだろうか。たとえば……『絶対的な無関心』に。
人の目を気にして政治の話をしない。周りに嫌われたくないから無関心のフリをする。興味があったとしても、無関心を装う。
それは、戦争世代や、学生運動世代がしてきたことと同じことだ。

『自由の敵に自由を許すな!』という絶対的なスローガンを掲げ、そのスローガンによって、自分たちも『闘いたくないという自由を許してはいけない』というプレッシャーを受けるようになってしまう。今も、人の目を気にしないことのほうが難しく、『政治に無関心でいろ』という無言のプレッシャーの中で、政治的な話をする人がいたら、潮流を無視するおかしな人だ、と無意識に思う。
人の目を気にし続ける私たちは、時代の空気に牽引され、いつしか自分が牽引する側になっている。他人に嫌われないための手段だったのに、自分や赤子や母親を、墓に突っ込む一手となる。

私は何かに流されていないか?
友達は何かに流されていないか?
それは本当に、自分の意志か?

もし私があの世代に生まれたら(それが失敗に終ることを知らなかったら)同じことをしなかったと誓えるだろうか?
もし彼女があの時代に生まれなかったら、彼女は今の20代のように、無関心を装ったのではないだろうか?
彼女の手紙の中の、可愛い西瓜やコスモスの絵を見ながら、そんなIFを考え続けた。

学生運動が嫌いな人は、この映像から『時代』の果たした役割を感じとるだろう。

学生運動を賛美する人は、
≪正義は一つではないということを学びました≫――21分20秒頃
と語る重信を見つける。

けれど私は、『学生運動』を知らない人にこそ、この30分を見て欲しい。
反面教師に、あるいは参考書に、自分が流されていないかを確認するために。
『普通の人』で居続けるのは、とかく難しい。

父のハーモニカを聴くのが好きだった少女は、2000年に大阪で捕まり、その後開かれた裁判で20年間の服役を命じられた。四季折々の花を愛でる彼女が出所するのは2022年頃。
日本を飛び出した26歳から、すでに50年の月日が経っている。

小鳥遊 々香(たかなし・ ゆうか)
日本大学芸術学部卒。日本全国を行き来しながら、食指が動いた本と映画と舞台を観覧する。日本舞踊と心理学、幕末以後の歴史に強い興味を持つ。2013年、ノンフィクション『ATOMIC HUMANS』刊行予定。

イラスト:カミカワトコ ケンタ

Ⅱ.手紙から知る、重信房子
  
小林 和貴

連合赤軍といえば、浅間山荘事件しか思い浮かばない。平成生まれの私には、昔のできごと程度にしか感じないが、鉄球で建物を壊す映像は、今でもたびたび目にする。浅間山荘事件に、重信房子は参加していない。だから、重信房子の名前すら知らなかった。

映像から伝わってくる重信房子は、花好きの繊細な女性だった。瀬戸内寂聴に宛てられた手紙は、彼女のことを全く知らなくても惹かれるものがある。手紙の端に書かれたイラスト、彼女が詠んだ詩からは、教養の高さや思慮深さを感じられる。
テロリストや過激派といえば、人の話を聞かず、暴力的というイメージが自分の中では強い。だから到底、重信房子とは結びつけることができなかった。なぜ、彼女が日本でテロリストや過激派と言われているのか、番組を見終わってもわからなかった。

番組内では、彼女が行なってきたことを事細かに説明していない。さわり程度で、ほとんどが手紙の内容や幼少期のことに費やされている。だから先入観なく「重信房子」という一人の女性を見ることができ、知ることができた。彼女のことを全く知らなければ、テロリストと呼ばれる重信房子と結びつけられないほどにだ。だからこそ、彼女に興味が沸いた。思慮深い女性がなぜ、テロリストとなったのか。番組内で、その辺りをもう少し説明しても良かったのかもしれないが、今回のような彼女の人間像を描いたものなら、いらないのかもしれない。

しかし、全く彼女がテロリストと結びつかなかったわけではない。唯一結び付けることができるとしたら、拘束された直後の映像だ。多くの報道陣や野次馬に囲まれても顔を隠さず、親指を立てて、笑顔だった重信房子。彼女は、自分は一切悪い事をしていないのだから必要ないと言い、警察に顔を隠すよう促されても隠さなかった。彼女から満ち溢れる自信と強さは、見ているこちらまでも彼女は何も悪い事をしていないように思わせる。同時に、その姿は恐ろしくもあり、この人はテロリストなのだなと、かすかだが感じた。ただ、思慮深い繊細な女性ではなく、別の姿も持ち合わせているのだと。そのしっぽだけをちらつかせ、彼女の人間像を見せられれば、興味がわかないわけがない。おそらく重信房子のことを知っていたとしても、テロリストではなく一人の興味深い女性として見ることができるはずだ。

彼女は、自分のしてきたことを反省している。そのことは、手紙の随所で知ることができる。だが、後悔はしていない。あくまで反省はしても、後悔はしていないのだ。後悔をしていないのは、彼女が自分の考えを今でも間違っていないと思っているからなのだろうか。彼女が刑期を終え、自由の身になったとき、今の世界や日本に対して何と言うのか、どういった行動をとるのか、とても知りたい。重信房子は、20年の刑期を終え、どう変化し、変化しないのだろうか。

 

小林 和貴(こばやし・かずき)
1989年生まれ 東京造形大学映画専攻卒。




【番組情報】

報道の魂♯114 『重信房子からの手紙~日本赤軍元リーダー・40年目の素顔~』
TBSテレビ 2012年9月2日(日)25:20~50放送
製作:MBS毎日放送
ディレクター:津村健夫
http://www.tbs.co.jp/houtama/last/120902.html