【Review】境界の向こうへ自由に~新しい世代ならではの記録   映画『ニッポンの、みせものやさん』から text 細見葉介

『ニッポンの、みせものやさん』より


伝統芸能、伝統工芸と同じく、それらに関する記録映画もまた、後継者は不足しているように見える。英映画社や岩波映画製作所も今はなく、私ドキュメンタリーが主流の映画教育現場においては伝統文化や民俗行事を扱った学生作品は異端と言えるほど少ない。そんな中、自分に近い世代が民俗的テーマをどのように切り取るか、非常に期待して鑑賞したのが『ニッポンの、みせものやさん』である。2000年代の後半、人々の記憶の中からさえ消えつつある「見世物小屋」の最後の一座、大寅興行社に密着したドキュメンタリーだ。

懐古調の8ミリフイルム風プロローグでは、独特な啖呵の口上が流れる。「今はうち1軒だけ。安政時代は400軒、昭和の時代は30軒、平成になって4軒」。かつて娯楽の中心的役割だった見世物小屋は、今では「無形文化財」というより「絶滅危惧種」と呼ぶべき存在となっている。言葉として知っていても、見たことのない世界……入門的でありながら、その「今」の記録としても重要な内容が詰まった映画だった。何より、舞台裏の光景が貴重である。夏の昼下がりの準備風景、小屋を組み立てた後、やがて蛇食い女に食べられる事になる蛇を段ボール箱のネットの中から出し、バケツの水を飲ませる。午前2時、興行が終わった後のビール片手に談笑する興行師たちの風景もとらえられている。しかし、主要な場面は昭和30年代、一番にぎわっていた時代の回想の中にあるのだ。それぞれの口から語られる歴史。バクチ打ちだったという父親と親分連中との関係、絵描きになりたかったのに不本意に加わった経緯、あるいは「口減らし」として入ってきた子供のこと。「大きな祭になると3本も4本も小屋がかかる。見世物小屋があるから、みんな祭に来た」「ライバルがいなくなってから、緊張感がなくなった。つまらない」。衰退には、テレビが出てきた影響が大きいと言う。屋台が並んだ境内の華やかな光景も、そのインタビューの後にはどこか寂しく寒々しく見えてしまうから不思議だ。

『ニッポンの、みせものやさん』より

一座は見世物小屋だけの専門ではなく、お化け屋敷、射的も手掛けて、各地で仮設小屋で興行している。私も小学校低学年だった90年代の前半に、旅行先の静岡県・三島大社の境内でお化け屋敷の小屋がかかっているのを見たことがある。「よってらっしゃいみてらっしゃい、お幸せな人は手をつないで」という客寄せの口上は、おそらくこの一座の、バイタリティあふれる主人公のものではなかったか。思い出す風景は、まさにプロローグの8ミリのように曖昧で不確かだ。あるいは、内藤正敏氏の写真集(『日本の写真家38内藤正敏』岩波書店)で見た、ハイコントラストなモノクロームの世界。それははるか遠く、柳田国男の『遠野物語』と等距離にさえ感じられた。この他には、私には見世物と関わるような接点はなかった。カメラは、表側と裏側を意識させずにスムーズに行き来する。この境界を自由自在に越える感覚が好きだ。経験、記憶の中にある祭は、あくまで1人の客としての視線。だがこの映画では、準備作業、屋台の向こう側、終わった後の打ち上げまで、客に対して見せているのとは違う表情も含めて、一つの生業を多視点から描き出すことに成功している。

奥谷監督が初めて見世物小屋に出会ったのは、学生時代の2001年だという。少年時代にリアルな娯楽としての見世物小屋の経験をしている世代であれば、もっとかき立てるような語り口と扇情的な映像で、失われゆくものの尊さを訴えかけただろうと思う。例えば80代の姫田忠義氏、あるいは60代の飯塚俊男氏だったら、どんな捉え方をするのか、などと想像してみる。徳川時代にさかのぼってもっと学術的な見地を入れたかもしれないし、フイルム時代を継承する重厚なカット割りになったかも知れない。それはドキュメンタリーの熟練度とは異なる、世代間の角度の違いだ。

『ニッポンの、みせものやさん』より

消えゆくものを記録して残さなければならない、という強い意識に貫かれている一方で、過剰に彩色されがちな世界を、ノスタルジアを交えることなく適度な距離感を保ちつつ落ち着いたナレーションで語ってゆくのは、30代の監督だけにしかできないことだ。語りが重視され、フレームは冷静でインタビューでも過剰なアップはない。未熟でかつ誠実な、中学生が祖父母から戦争体験を聞き出すような姿勢には、どこかじれったい感じもあるのに親しみが持てた。

その成果として、「テレビ屋さんが好きじゃないのは、見世物屋より嘘つきだから。嫌なところも全部映しちゃうから」と語りメディアの取材と距離を置いてきた一座への密着を可能にしたことは間違いないだろう。誠実な積み重ねがあり、カメラは自由に境界を越えて記録できた。そして最後には「いい画を残してくれてありがとう」という言葉をかけられるに至って、一座と監督との関係は完成する。記録としての価値、面白さとともに、直接的な経験のない事柄に取材者がどう向き合い、表現してゆくかを考えるためにも、特に同世代にはぜひ観てほしい作品である。また奥谷監督は2013年公開の新作(『ソレイユのこどもたち』)を控えており、今後も期待して注目を続けていきたい。

『ニッポンの、みせものやさん』より

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【作品情報】

『ニッポンの、みせものやさん』
2012年/日本/デジタル/カラー/90分

出演:大寅興行社のみなさん
監督:奥谷洋一郎 
制作協力:映画美学校
撮影・録音:江波戸遊土、遠藤協、奥谷洋一郎、早崎紘平、渡辺賢一
編集:江波戸遊土、奥谷洋一郎 整音:黄永昌 音楽:街角実 監督補:江波戸遊土
配給:スリーピン

12/8(土) 新宿K’s Cinema(ケイズシネマ)にてモーニングショー公開
(連日10:30amより上映)順次全国公開

 公式サイト:http://www.dokutani.com/

 

【執筆者プロフィール】

細見葉介  ほそみ・ようすけ
1983年北海道生まれ。学生時代よりインディーズ映画製作の傍ら、映画批評などを執筆。連載に『写真の印象と新しい世代』(「neoneo」、2004年)。共著に『希望』(旬報社、2011年)。