【Review】『さなぎ〜学校に行きたくない〜』(三浦淳子監督)text 中村のり子

南信州の豊かな自然の中を駆けめぐる一人の少女。まるで物語のようなシーンから、作り手と登場人物との交友録は始まる。はじめはどこか心許なく、感情の見えにくかった主人公・木下愛ちゃんが、年を重ねるごとにだんだんと頼もしい顔つきになり、個性を伸ばしていく有様を、静かに見つめることですくい取ろうとした作品である。

『さなぎ』Ⓒトリステロ・フィルムズ

三浦淳子監督は愛ちゃんの母親の妹の友人で、ある時愛ちゃんが小学校に行けなくなったという話を聞いて、自分自身も学校に行くのが辛かったことを思い出し、その一人の少女に興味を抱いて会いに行った。「ビデオカメラを持っている叔母さんの友達」として木下家に時々通うようになった三浦が一人で撮影する手持ちカメラは、ホームビデオのような存在感で、映像的な迫力や美学は特段ない。ただその分、飾り気のない子どもの日常が、無防備に写し取られている。三浦は、愛ちゃんに対して社会的・教育的な関心があったわけではなく、単純に彼女に共鳴し、自分を重ね合わせ、子どもの時間を体感したいという思いでカメラを向け続けていたのだろう。だから、愛ちゃんの表情や言葉や行動を分析することなく、家族や友達との会話も意味付けされることなく、ただ静かに受けとめられている。それを何年間も積み重ねることで、愛ちゃん・家族・友達の関係性やそれぞれの心の機微が自然と浮かび上がり、みんなが変化しながら育っているという現実を描き出している。

「不登校問題」として見れば、愛ちゃんは比較的恵まれているケースなのではないだろうか。もちろん学校になじめずに辛い思いをしただろうが、家族の理解があるし、何より学校に行かなくても遊べる友達がいる。仲良しの女の子3人組で野原へ川へと出かけてのびのびと遊んでいる情景は、まるで絵本やジブリの物語のように素敵だ。捨てられたおんぼろのバスによじ上って踊ったり、花の咲く原っぱを転げ回ったり、コタツの中で捕まえ合ったり、透明な川に服のままじゃぶじゃぶ入ったり、オリジナルの組み体操を披露したり――それはとても充実した日々で、見ていても嬉しくなってしまう。子どもの成長という面では、むしろ学校へ行きながらストレスをためている子や、ずっと習い事やらゲームやらをしている子などの方が、現代日本の現象としては深刻にちがいない。そして愛ちゃんは、4年生からだんだんと学校へ行けるようになり、高学年になると生徒会長にまでなって活躍しはじめるのだ。本作を見ていると、本来の人間にとって学校という存在は、あくまで相対的なものでしかないと感じられてくることは一つの発見である。

実はわたしがもっとも気になったことは、作り手のモチベーションだ。とりたてて大きな展開が起こるわけでもなく、順調に時を過ごしていく愛ちゃんとその周囲を、なぜ三浦はここまで長く(中学生に上がるまで)撮り続けたのだろうか? あるいは、知人とはいえ相当プライベートな領域であり、大事な子どもの成長がかかっている繊細な問題に対して、わざわざ介入してカメラを向け続けるほどの必然性があったのだろうか? そこには、三浦自身の少女時代への思い入れ、愛ちゃんを通してそこに回帰したいという意識が働いていたのではないか。どこまで確信的かは別にして、愛ちゃんを見つめることで何かを得ようとする三浦の心理によって、この訥々とした少女の記録は作品として成立し得ている。

『さなぎ』Ⓒトリステロ・フィルムズ

とくに映像作りに興味があるわけでもない田舎の村の一家族にとって、三浦は単なる「変わった知り合い」だったと想像される。村の中でも、木下さんのところで時々よその人が愛ちゃんを撮影している、と知られていたかもしれない。家族の問題としては、細心の注意を払って愛ちゃんを見守っている状況に、むやみに踏み込まれることには抵抗があったはずである。そんな中で三浦が撮影を続けられた理由の一つは、愛ちゃんの母親に理解があったからだろう。不登校にかんしても世間の目を気にしない自由な対応を試みる母親であり、自分たち親子の営みに着目してカメラで記録しようとする三浦の存在が、むしろ励ましになっていた可能性がある。もう一つは愛ちゃん本人も、見ていてわかるように絵を描いたりお話を考えたりするのが好きな創造性の強い女の子のため、三浦の志向を理解してくれたのかもしれない。それにカメラの存在は遊び盛りの子どもたちにとって、少なからぬ刺激や影響も与えたはずだ。そんな三浦なりのポジションが徐々に作られていったことは察せられるが、その関係性をもっと積極的に見せると、より立体的な印象になったのではないかとも思った。

そして、作品の中で愛ちゃんが登場するのは彼女の状態のいい時に限られている。学校に行けなかったり落ち込んだりという話は、あくまでも母親のエピソードの上で語られるだけだ。また母親はたびたびカメラを前に自分の思いを語ってくれるが、父親や兄・姉がフォーカスされることはないし、祖父母もしっかりと登場するのは数回である。三浦が彼女らのコミュニティーを壊さないこと、家族に嫌がられないことを大前提に接すれば、これ以上は撮れなかったのだろう。と同時に三浦の関心そのものも、愛ちゃん目線の「子どもの時間」の方に偏っていたことがラッキーだった。だから、本作は家族の人間模様に切り込んだわけではない。三浦が心惹かれる世界と、愛ちゃんや母親が大事にするひとときが合致して、そのささやかでもかけがえのない光景をスケッチする映像詩となったのである。

三浦監督はもともと、自分の祖父母の日常や記憶を切り取った短編から制作を始めており、前作の『空とコムローイ』(2008)ではタイにある少数民族の村に通って子どもたちを撮っている。わたしは、三浦がアプローチを変えながらも常に「人間の柔らかくて美しい内面」を求め続けているように感じる。そういうものは、社会にがっちり組み込まれて俗っぽい問題の渦中にある年代より、子どもや老人の方がのびやかに見せてくれる。南信州の小さな村いっぱいの自然と、純真な少女の体からつくり出される光と影を通して、三浦は自らの希求を発露させているのだ。

中村のり子(「neoneo」編集委員)

【作品情報】

『さなぎ〜学校に行きたくない〜』
2012年/103分/カラー/ドキュメンタリー

監督・撮影・編集:三浦淳子 プロデューサー:岩永正敏
整音:鈴木昭彦 真弓信吾 編集助手:大川景子 カラコレ:斎藤直彦 
編集協力:木下和子 題字:木下愛 
宣伝美術:村越豊 吉井純 宣伝コピー:シラスアキコ 
広報・宣伝:ウッキー・プロダクション WEBデザイン:佐藤裕子 
製作・配給:クロスフィット トリステロ・フィルムズ 
助成:文化芸術振興費補助金

渋谷・ユーロスペースにて上映中(連日一回上映)

1/25(金)まで  10:30〜
1/26(土)27(日)09:50〜

※順次全国公開予定
『さなぎ』公式HP:http://tristellofilms.com/sanagi/index.html