前編:大阪アジアン映画祭の特色を探る
私が大阪アジアン映画祭(以降OAFF:http://www.oaff.jp/2013/index.html)に携わってから早いものでもう5年が経とうとしている。地元大阪の一映画ファンであった私は、1年目は事務局ボランティア(定期的に事務局に通って映画祭準備を手伝う)としてOAFFに参加した。開催まではチラシ発送作業他の雑務を行い、映画祭開催中はプレス受付業務、記者会見を中心に、手の足りないところを手伝うボランティア要員だった。また、mixiOAFFコミュニティーの運営を任され、作品紹介、イベント紹介、会場の様子、シンポジウムの内容を投稿していた。
2年目からは現在に至るまで、映画祭開催前に公式カタログの作品紹介執筆を担当し、映画祭開催期間は広報補助としてプレス受付業務の他OAFF公式Twitterを運営(2年目のみ)し、一部プレスリリース執筆も担当している。同じく2年目から外部ライター(シネルフレ:http://cineref.com/)としてインタビューやセレモニー取材活動も行っている。私はライティングのキャリアがあったわけではないが、OAFFで多種多様な「書く」仕事の声がかかるたび、貪欲に取り組んできた。気が付けば、毎年お正月気分が終わる頃から、桜便りが聞こえる頃まで、OAFFという場を文筆業の道場のようにして過ごしている。
自己紹介が長くなってしまったが、上記に加え今年は映画祭公式ページに掲載する開催レポート:http://www.oaff.jp/2013/report/index.html担当として、各種セレモニーやゲストのQ&A、トークセッションに密着した。映画祭運営側にいると、開催期間中はなかなか映画を観ることができず、上映後のQ&Aに立ち会うことも難しい。しかし、今回はカメラとノートを片手に会場内外でひたすら取材し続けた。10日間ほぼ皆勤でOAFFに通い、毎晩原稿を書いた怒涛の日々を経た今、改めて第8回OAFFの総括を書き記してみたい。
前編ではOAFFの変遷と、5年間携わる中で見えてきたOAFFの他映画祭にはない特色を、改めて紹介する。
■大阪アジアン映画祭(OAFF)とその変遷
第1回開催にあたるのは、2005年日韓国交正常化40周年を記念して開催された「韓国エンタテイメント映画祭2005in大阪」である。翌年から「大阪アジアン映画祭2006」と現名称に変更され、出品作品の製作国が日本、韓国、中国と東アジアに広がった。2007年には製作国がマレーシア、タイといった南アジアまで拡大し、東京国際映画祭(TIFF)協力企画が実現した。
第4回OAFF(OAFF2009)より、第15回(2002年)~19回(2008年)TIFFアジアの風部門プログラミング・ディレクターを務めた暉峻創三氏がプログラミング・ディレクターに就任。「大阪発。日本全国、そしてアジアへ!」を基本テーマに据え、現在に至る中長期的なビジョンが設定された。観客賞を新設した他、それまで転々としてきたメイン会場が福島ABCホールとなり、開催時期も11月から3月へ変更され「春の大阪でアジア映画を!」が定着する節目となったのもこの年だ。日本初上映作品や新人長編デビュー作を積極的に取り入れながら、新しい発見に満ちた作品を選ぶ姿勢は、以降もOAFFの大きな特色となっていく。第5回(OAFF2010)ではオープニングゲストとしてジョニー・トー監督を招き、ヤスミン・アハマド監督追悼特集を開催。日本全国からアジア映画ファンがOAFFに集まるようになったのもこの頃からである。
第6回(OAFF2011)では新たにコンペティション部門が新設され、グランプリ(コンペティション部門が対象)、来るべき才能賞、ABC賞が新設された。これによって、映画祭の質、量が充実し、大阪から新しい才能を世界に発信する地盤が作られる。第7回(OAFF2012)では、シネアスト・オーガニゼーション大阪(CO2)事業が統合され、後述の「アジアン・ミーティング大阪」と合わせてインディ・フォーラム部門が創設。CO2が助成し、大阪で撮影された作品が世界初上映される。またゲストとして来場したアジアの映画人が、大阪を舞台にした映画を撮影(『大阪のうさぎたち』、『Fly Me to Minami~恋するミナミ』)。OAFFで上映され、新世代大阪映画として注目を浴びた。一方で、観客賞を受賞したことがきっかけで劇場公開される作品が誕生するなど(第7回特別招待作品部門『セデック・バレ』※4月20日から渋谷ユーロスペース、吉祥寺バウスシアター、他全国順次公開:http://www.u-picc.com/seediqbale/)、アジア映画を多面的に支援、発信する場として、OAFFは着実に成長を遂げている。
■台湾、香港を中心に、エンタテイメント色、ローカル色のある“おもろい(面白い)”映画
2009年よりOAFFのプログラミング・ディレクターを務めている暉峻創三氏は、日本におけるアジア映画評論の第一人者としても知られ、TIFFアジアの風部門プログラミング・ディレクター時代からアジア諸国のニューウェイブを積極的に紹介してきた。特に暉峻氏が強いコネクションを持つ香港・台湾作品の充実ぶりはOAFFの見どころの一つだ。2008年に『海角七号/君想う、国境の南』(ウェイ・ダーション監督)が大ヒットを記録してから、台湾映画は好調の一途にある。OAFFでは日本にもファンの多いエディ・ポン、チェン・ボーリンといった華流スターの最新ヒット作から、トム・リン監督、ニウ・チェンザー監督といった世界的評価を得つつある新世代監督作、ウェイ・ダーション監督の超大作『セデック・バレ』完全版(第一部太陽旗、第二部虹の橋)までコンスタントに複数作品を選出。台湾映画の多彩さとその実力をリアルタイムで紹介している。一方、香港映画は2年連続で特別企画が組まれ、2010年以降4年連続最新作出品となるジョニー・トー監督や、暉峻氏がTIFF時代に紹介した香港映画界の寵児、パン・ホーチョン監督、キャロル・ライ監督やツァン・ツイシャン監督といった中堅/新人の女性監督など低迷する香港映画界浮上のカギを握る監督を取り上げている。香港映画では珍しいドキュメンタリー(『KJ音楽人生』)を上映したこともあり、ジャンルを問わず香港映画の新しい才能を取り上げるのも暉峻流プログラミングの魅力だ。
一方、通常映画祭にはなかなかエントリーされにくい、国内で大ヒットを記録したローカル映画もラインナップ。これらはエンタテインメント色の強い作品となる場合が多いが、アジア映画の勢いを肌で感じられる貴重な機会となっている。特に今年は「GTHの7年ちょい~タイ映画の新たな奇跡」http://www.oaff.jp/2013/program/thai/index.html と題して、タイで大ヒットを連発しつづける設立7年強のGTH社作品群を世界で初めて特集。OAFFの独自性を印象付ける企画となった。エンタテインメント作品とアート系作品を絶妙なバランスで配置し、アジア映画の楽しさや奥行き、多様性を伝えるプログラミングこそ、“おもろい”作品に出会えるOAFFの要といえる。
■アジア映画ファン育成に貢献する「特別ゼミナール」
OAFFのプレ企画として暉峻氏による特別ゼミナール(現在は全5回:http://www.oaff.jp/2013/event/pre01/index.html)が秋から冬にかけて開催されていることは、特筆すべきことである。映画祭数多しといえど、プログラミング・ディレクター自らがゼミのような双方向のやりとりや懇親会を交えながら、映画ファンを育成していく企画はそう多くないだろう。今回で4年目となった特別ゼミナールでは、アジア映画最新事情から、日本で公開もしくは特別上映されるアジア映画の見どころの紹介や、ゲストスピーカーを招いてのトークセッション(昨年12月には『遭遇』、『大阪のうさぎたち』主演ミン・ジュンホ氏が来場:http://www.oaff.jp/2013/event/pre01/report01.html)を開催。そして最終回は映画祭上映予定作品を公式サイト発表前に紹介、解説するなど、当ゼミナールでしか味わえない内容が多い。回を重ねるごとに参加者を増やしており、直接プログラミング・ディレクターから映画祭の見どころを伝授された受講生の皆さんは、本当に毎日会場へ足を運び、映画祭を支えてくれている。スタッフ、観客といった垣根をこえ、OAFFを盛り上げる“映画祭仲間”という大きな輪ができているようにも感じた。一人で楽しむのではなく、同じアジア映画好きと楽しさを共有できる仕組みづくりとしてもうまく機能している。
■大阪発世界に発信するアジアンインディペンデント作品とそのスピリット
2012年から新設されたインディ・フォーラム部門の前身となるのは、アジアのインディペンデント作品上映およびシンポジウムを開催する企画「アジアンミーティング大阪」だ。映画プロデューサー、PLANET+1代表、そしてCO2事務局長として、大阪で若手映画人の育成に尽力している富岡邦彦氏が、「アジアンミーティング大阪」開始当初から現在に至るまでプロデューサー(現在はディレクター)を務めている。デジタルキャメラの普及により、メジャー系作品とは一線を画した社会性の強いインディペンデント作品がアジアでも続々製作されるようになった。これら国の事情を色濃く反映した作品群は、なかなか上映される環境や議論の場が得られない状況にある。劇場公開作品においても娯楽性の高い作品に人気が集まる中、「アジアンミーティング大阪」は映画の役割は娯楽だけではないという信念のもと、日本ではなかなか紹介されないアジアのインディペンデント作品を取り上げてきた。来日ゲストと共に毎年開催されるシンポジウムでは、いかに作品を観客へ届けるか、国境を越えたネットワークの構築など様々なテーマで議論が交わされ、インディペンデント映画の意義と未来を探求し続けている。インディ・フォーラム部門創設にあたってCO2プロジェクトも統合、大阪を舞台にして作品を制作、発信しているのは先述したとおりだ。
今年『卵と石』が同部門で上映されたホアン・ジー監督(中国)は、中国のインディペンデント映画祭が、主催者が中国に戻れなくなるなど様々な要因によって開催が不可となっている現状を明かし、OAFFにて上映の機会が与えられたことに感謝の言葉を口にしていた。※注1
このホアン・ジー監督の言葉から、インディ・フォーラム部門の意義を再認識した人も少なくないだろう。OAFFが大阪からアジアへ、そして世界へアジアンインディペンデント作品を発信、議論する場としての存在感を増すだけでなく、各国映画人の交流が新たな創作の源になることを期待したい。
(続く)
※注1 昨年開催の北京インディペンデント映画祭では『卵と石』オープニング上映中に突然公安局により上映中断となった。南京でも中国インディペンデント映画祭が昨年は開催直前に中止となり、理由は公表されていない。
【執筆者プロフィール】
江口由美(えぐち・ゆみ)
映画ライター、Webライター。兵庫県加古川市生まれ、現在宝塚市在住。大阪ヨーロッパ映画祭(08~10)、大阪アジアン映画祭(09~)でボランティアスタッフを務める。10年より「シネルフレ」ライターとして活動中。