【Review】『沈黙しない春』 「反原発デモ」という生きものの記録 text 青木ポンチ


映画、とりわけドキュメンタリーは、時に実社会にたしかな影響を及ぼす。3.11以降、「今ここ」でしか撮れないインディペンデントな作品が数多く作られ、その一石によって社会に新たな“意識”を芽生えさせてきた。












©沈黙しない春


3.11後、浜岡原発停止に至るまでの、わずかひと月半のムーブメントを追った『沈黙しない春』は、まさに「今ここ」でしか撮れない映画の典型だろう。そして、大手映画会社のビッグ・バジェット映画にはマネできない、しがらみのなさ、フットワークのよさの成せたわざとも言える。
映画はただひたすらに、名古屋発の「反原発デモ」といううねりが、東京、大阪、広島と飛び火しながら、アメーバのように増殖するさまを追っている。今まで声をひそめっぱなしだったこの国で、2011年、たしかに「沈黙しない春」があった、という貴重な映像資料となっている。

一連の運動が、どれほど時の政治に、エネルギー政策にインパクトを与えたかは、未知数だ。菅政権の最後の功績とされる浜岡原発停止という決断に、どれほどの作用を及ぼしたのか、それとも菅政権の意地が成し遂げた既定路線だったのか、本当のところはわからない。
ただ、デモに参加する人々の怒り、嘆き、祈り、輝きが本物だったということは、画面の端々から伝わってくる。その結果、原発側の背広の人々がコンクリートの“建屋”からしぶしぶと歩み出てくるシーンは、反原発ドラマのひとつのクライマックスとはなっている。

作中に登場した「原発さん、今までありがとう。ゆっくりお休みなさい」というメッセージに象徴されるように、(浜岡)原発が遺した最大の功績があるとすれば、人々のナマの感情を引きずり出し、思いを一段と深化させたことだったのではないだろうか。

 







 



©沈黙しない春


エキサイティングな素材がコラージュされていただけに、個人的にもったいないと思った点もあげておきたい。
テロップもナレーションも音楽も廃したうえに、カメラ目線の問い掛けも語りもほぼ皆無というストイックな演出だが、やはり、出来事の表層を追うのに終始した「至近距離の傍観者」という印象はぬぐえない。

心ゆさぶるドキュメンタリーとは、撮り手がいかに被写体の世界に介入し、影響を及ぼすか。逆に、被写体の存在がいかに撮り手の思いを動かすか。その「巻き込み/巻き込まれ」感がキモだ。その相互作用がダイナミックであればあるほど、観客もまた作品世界にのめり込んでいく。
二度とないひと月半を追った作品だけに、「貴重な映像資料集」ではなく、「反原発デモの熱狂における、人々のむき出しの言動」に、撮り手がどっぷりとはまり込み、もがくさまも見てみたかった。
杉岡太樹監督は、これが初の劇場長編作という。被写体に寄り添う視線はもう充分。そのうえで、もっともっと被写体に斬りつけ、斬りつけられ、血に染まってほしいと思う。

 

『沈黙しない春』
監督・撮影・録音・編集 TAIKI SUGIOKA

125分/HDV/カラー/日本/2011年  
2012年5月12日より、渋谷アップリンクXにて公開


【執筆者プロフィール】 青木ポンチ 72年生。東京都出身。「株式会社スタジオポケット」所属のライター・編集者。『週刊ザテレビジョン』誌などで映画レビューを執筆。ほかエンタメ全般、社会問題、自己啓発など幅広い分野で執筆中。ブログhttp://ameblo.jp/studiopocket/