【Interview】『ソレイユのこどもたち』奥谷洋一郎監督インタビュー

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2012年に公開され注目された『ニッポンの、みせものやさん』の奥谷洋一郎監督の新作『ソレイユのこどもたち』が全国各地の映画館で公開されている。2011年の山形国際ドキュメンタリー映画祭に出品されアジア千波万波部門で特別賞を受賞した作品で、編集も音響も新たにした劇場版としての公開である。

映画の舞台は、東京湾に流れ出る多摩川の河口。モーターボートの修理をしながら、捨てられた船で暮らす一人の老人が主人公だ。老人の傍らにはいつも数匹の犬たちがいた。老人はそのうちの一匹をソレイユと呼んでいた。ソレイユとは「太陽」を意味するフランス語である。犬たちを家族のように慈しむ老人。その老人は時折カメラに向かって話しかけるようになる。東京という大都市の片隅に暮らす老人と犬たちを静かに見つめるカメラ。消えゆく風景を静謐に描き出すと同時に、忘れられた東京という街の記憶を紡ぎ出す。奥谷洋一郎監督に話をうかがった。
(取材・構成/吉田孝行)

映画美学校の時代 

――もともとドキュメンタリーを志向していたのでしょうか?

奥谷 高校生の時は8ミリで劇映画を作っていました。ビデオカメラの撮影は好きだったので、大学を卒業した頃、記録撮影のアルバイトをやっていたことがありました。障害のある人たちの舞台表現の撮影だったのですが、それをまとめるために映画美学校のドキュメンタリー科に入学しました。

――奥谷さんは、2004年に映画美学校に入学されて映画監督の筒井武文さんから指導を受けて、翌年の2005年には佐藤真さんから指導を受けたと聞いていますが?

奥谷 その当時、筒井武文さんや佐藤真さんの作品を観たり講演を聞いたりしたことはあったと思いますが、必ずしも彼らを追いかけて入学をしたわけではありません。

――2005年には、佐藤真さんのドキュメンタリー『トウキョウ』という構想はあったのでしょうか?

奥谷 後から考えてみれば、「日常という名の鏡」(1997)という本の中で、佐藤真さんは映画『トウキョウ』について構想を書いています。でも、映画美学校では、それぞれ自分の作品を作りたいけれど形にならないという悩みを持った受講生が多くて、それをまとめて上映会を開催するためにドキュメンタリー「トウキョウ」で行こうと佐藤真さんがご自分の問題意識と合わせて提案されたのではないでしょうか。カリキュラムを運営する上で、大義名分としてドキュメンタリー「トウキョウ」と言ったのかもしれませんね。僕自身は、記録撮影で関わった人たちの作品をまとめた後は、すでに撮影を始めていた『ニッポンの、みせものやさん』(2012)を作りたいということで映画美学校での受講を続けました。

――奥谷さんは2008年にアテネフランセ文化センターで開催された映画美学校の上映会で、ドキュメンタリー「トウキョウ」をテーマに作られた『人面犬』という短編を上映していますが、その作品の中にすでに『ソレイユのこどもたち』(2012)の船のおじさんが登場します。

奥谷 ただ、『ソレイユのこどもたち』について言えば、その頃に撮影した素材はいっさい使っていません。途中で迷った時もありましたけれど。『ソレイユのこどもたち』は、2010年から2011年の1年間で撮影した映像ですが、『人面犬』の時に撮った素材はスタンスが定まっていないのでいっさい使っていないですね。音だけでも使おうかと思ったこともあるのですが、カメラの設定が違っていて気に入らなかったりしました。撮影期間が長いからといって、ストーリーが膨らんだり積み重なったりするわけでもないですから。


野良犬を探して

――船のおじさんに出会った経緯を教えてもらえますか?

奥谷 それは、野良犬を探していたんですね。東京には野良犬がいないということで。羽田空港に野良犬が迷い込んだ、という記事を見つけて、羽田に行ってみたら、その犬の飼い主がいるという話を聞いて、たまたま地元の人に船のおじさんを紹介してもらいました。

藤原新也が『東京漂流』(1983)の中で、彼が昔インドの犬が人間の死体を食い漁っている写真を週刊誌に掲載して取り下げられたという出来事と当時の東京について書いているのですが、東京には野良犬がいなくなり飼い犬ばかりになってしまいました。『人面犬』の取材をしていた時には、犬を飼っている人にも「人面犬って知っていますか?」という訳の分からないインタビューをしたことがありました。「人面犬」というのは都市伝説ですよね。そういうところが、裏のテーマとしてはありました。隠されたものと本当にいるかどうか分からない話の上だけで存在するもの。見世物屋もそうですよね。見世物屋を見たことがある人はもちろんいますが、ある意味で都市伝説になりやすいものです。そういう抜け落ちたものや人の想像の中で膨らんでいくものに興味がありました。それと、飼い犬が丸く収まっていることに対して自分の中で違和感があって。

――そうすると、船のおじさんよりも先に野良犬がテーマにあったということでしょうか?

奥谷 そうですね。船のおじさんというのはたまたまそこにいました。不法係留船ということで東京都から行政代執行を受けたり、記事にもなったりして、周りからは少し迷惑なおじさんでした。

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撮影について

――船のおじさんを被写体として映画を作るために、1年間という期限を決めていたそうですね。そして、一人で作る、手法としてはフィックスで撮影するという、そのような方法論をどのように自分の中で確立していったのでしょうか?

奥谷 一人で作るということに関していえば、表現というレベルではないですね。20代のときに仲間と共同制作に挑戦したことはあります。成功したかどうかは分かりませんが、だんだんみんな仕事や家庭を持って遊んでいられなくなるわけです。僕は真面目に遊んでいたつもりですが(笑)。そうすると、これだけやって何にもならなかったし、それでもやはり作品を作って表現をしたいと思って、一人で出来ることをやろうと思いました。バイトもしていましたし、土日だけ休みにしてもらって、1年間で何かやりたかったんです。興味があったテーマとか、過去に撮影したものの中から考えて、船のおじさんのところに、もう一回行ってみようと思いました。一人で作るとかフィックスで撮るというのは、僕の現実的な理由で、表現の問題ではないですね。

――それでも、この映画には、懐中電灯を使った照明や船による移動撮影など、特徴的な撮影のスタイルがあります。

奥谷 まだ二作しか作っていないので、大きなことを言うつもりは全くないですが、まとまりの良い作品とか、分かりやすい展開の作品が多い中で、こういう作品もあると。それほど、特別なことをやったつもりはないですね。ただ、本当にアウェイだったパリの映画祭シネマ・デュ・レエルや山形の映画祭も含めて、野心はありました。自分の知っている映画の表現とそれに対する答え、自分の少ない映画経験から先人たちに対する答えとして自分の表現を出してみる、ということをやってみようと思っていたのは確かです。

――撮影で苦労したことは何でしょうか?

奥谷 まず、船からは絶対に落ちないように気をつけていました。また、三脚に据えていたカメラが風で倒れ、レンズが外れて滅茶苦茶焦ったことがありました。カメラが壊れ、すぐに修理工場に持って行きました。だから、船の上で撮影するということは、あの用水路のレベルでも、実はそんなに簡単なことではありません。台風が来る前の9月とか、あそこは結構寒いです。新宿や渋谷とは違います。だから、長袖で行く。日差しも強いし、風も強い。それに、臭いし大変でした(笑)。

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東京の片隅で

――東京の川という空間、船という舞台装置をどう考えていらっしゃいますか?

奥谷 この点は野心的ですよね。映画的な空間だなと感じることはあります。僕の今の考えでは、ドキュメンタリーで面白いと思うかどうかは、ちゃんと舞台を設定できるかということが全てですね。そういう意味では、ちゃんと舞台を設定できた気がします。「川の底からこんにちは」みたいな感じで(笑)。

――黒沢清監督がどこかで「東京の川というのは、地面よりも低いところに必ずある」と言っていますが、『ソレイユのこどもたち』の中でも、川の低いところから上を見上げるようにして撮った、例えば、子ども達が船のおじさんに「おじちゃん、中に入っていい?」と聞く場面があって、それが奥谷さんのポジションをよく表現している同時に東京の川という空間を非常によく表現していると思いました。

奥谷 撮影したのは東京のたった一つの川ですが、後々になって思ったことは、あそこは用水路ですよね。あるいは運河。東京が水路を張り巡らせた都市というのも分かります。下町といっても、江戸から見れば、あそこは外れに位置します。あとは、何かが流れ着く先。漫画家のつげ義春が大好きなのですが、『山椒魚』という作品があります。山椒魚の独白に始まり独白に終わるのですが、気づいたらこんな体になっていたと言って、排水管みたいなところにいる。ヌメヌメして動きにくいのだけど、やたら居心地がいいんだ、それでいろいろなものが流れてくるから飽きないんだ、と山椒魚の人が言っていて、最後に、胎児みたいなのが流れてきて、これは今までのものと違って分からないから小突いて追い返してやったみたいなことを言って、さて明日は何が流れて来るのか、という漫画です。僕はそういうのが好きです。そういうゴミ溜め、掃き溜め、を感じたことでも、あそこはいいなと思いました。だから、川というよりも用水路ですね。あと、最近はよく意識しますが、大友克洋などアニメ作家が東京を描く時、水の都・東京というのは、きれいな水や、堂々とした多摩川や荒川が流れている、ということではなくて、水路なんです。例えば、地下組織の反乱みたいな設定があるじゃないですか。僕が興味があるのは、そのあたりですね。

――それが映画を感じる世界ということでしょうか?

奥谷 今村昌平監督の『エロ事師たち』(1966)も、みんな掘立小屋みたいなところに住んでいますよね。しかも中で作っているダッチワイフが川に流れて行ってしまいますね。僕は、ああいうのが好きなんです。あとは、老人が浮きみたいのに乗っかって出て行ってしまうみたいな。これは、僕のそういう映画に対する憧れですね。

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編集について

――『ニッポンの、みせものやさん』と『ソレイユのこどもたち』は同時進行で編集をされていたと聞いていますが?

奥谷 そうですね。『ニッポンの、みせものやさん』は、何回も編集をし直しましたから。

――両作品ともプロデューサーがいるわけでもなく、いつまでに完成しなければならないという締切や期限がない中で、こつこつと自分のペースで作られていましたよね?

奥谷 映画美学校での講評は制作を継続していく上で大きなモチベーションになりました。『ニッポンの、みせものやさん』が、なかなか終わらなかったこともあって、『ソレイユのこどもたち』は、もう少し経験を重ねた後に撮影や編集をしたわけですが、自分の映画に対する答えも含めて観客を意識しました。すごく緩いレベルですけれど、挑発というか、ワンショットがこれだけ長くてどうでしょう、みたいな感じで、観客をなめているというか(笑)。野心はありましたね。だから、海外も含めて映画祭にも出品したいということになりました。

 ――二つの作品を同時に編集していたのが、結果として良かったのではないでしょうか?

奥谷 そうですね。撮影の時期は違っていても、同時に編集するというのは、次もやりたいですね。

――二つの作品を同時に編集することの具体的なメリットは何でしょうか?

奥谷 こっちの作品で出来なかったことは、こっちの作品でやってしまえ、みたいな感じですごく楽です。例えば、こっちにはナレーションを入れるけれど、こっちには入れないとか。同時に編集したことが、二本の作品の制作過程で、一番楽しかったことです。


音響について

――2011年の山形の映画祭で上映したものに、音響効果と整音を施し、編集も新たにした劇場版としての公開と聞いていますが?

奥谷 劇場公開に向けて、音響効果を施したことによって編集も変わりました。映画美学校で知り合った録音技師の黄永昌さんに、以前から音響について相談したことはありましたが、いつの日か、音に関する編集も含めて黄さんとコラボレーションをしたいと思っていました。『ソレイユのこどもたち』では、音について自分の本当にやりたかったことが初めて出来たと思っています。

――通常は整音だけで済ませてしまうことが多いと思いますが、この作品では現場から音を拾い集める音ロケもやったということですよね?

奥谷 そうです。やっと掴んだチャンスというか、黄さんと一緒に現場に行って、ここはこういう場所だったとか話しながら、音を録ってもらいました。この作品では、音はかなり意識しています。例えば、10分間ぐらい続く船が進んで行くシーンでは、少しカットが割れていて、夕日が差し込んで来る場面があります。普通、カメラとマイクは一緒についていますが、マイクは外して、夕日が差し込んで来るところでは、カメラはパーンしても、マイクだけはおじさんの方に向けていました。本当はピンマイクを付けたかったのですが、絶対に嫌だと言われるし、僕には関係上出来なかったので。佐藤真さんに聞いたことがあるんです。『花子』(2001)という映画で、お母さんがコンビニに入るシーンがありますが、遠目から撮っていて、なんでこんなにちゃんと音が入るんですか?って。それは、ピンマイクをつけているからだ、と(笑)。『ソレイユのこどもたち』では、そういうことは出来なくても、何とかやりたいとはいつも思っていました。

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成長の物語

――この映画では、一方で船のおじさんの物語が軸になっていますが、他方で犬の物語があって、それらの物語が重層的になっています。また、人間と動物が等価なものとして映画の中では表現されており、ある意味で人間中心的な視点から離れているのですが、その関係性についてどのように考えていらっしゃいますか?

奥谷 それは難しいですね。それらは僕が見た景色の一部だったと今は思っています。少なくとも撮影時は、船のおじさんが撮りやすい存在だったので、おじさんを軸に映画は展開していますが、今後は風景も人間も動物も全部等価なものとして撮りたいですね。その中の一部として船のおじさんがいるというほうが、面白かったかもしれません。船のおじさんからは、なかなか離れられなかったので。

1年間で撮るという時に、何でも撮りたいというのはありました。例えば、春夏秋冬は撮りたいし、雨も夜も朝も撮りたい。雪の日なんか、今日バイトだった、がーん、なんてこともありました。現場には1週間に一回くらいの訪問でしたが、少し間があくと、おじさんの髪、伸びたな、とか人の変化が分かります。それだけじゃなくて、あのカルガモ、子連れになっているぞ、とか、あのネズミ、子ども産んでいる、とか。そういうことにいちいち感動するんです。そういう意味で、成長の物語には常に興味がありました。船のおじさんは、それほど変化はありませんでしたが、それに比べれば、犬や草木や鳥のほうが展開は早くて見ていても楽しい。僕の中にはそういったドラマはたくさんありましたが、結局は、船のおじさんと犬だけを撮っていたみたいな感じになりました。

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【作品情報】

『ソレイユのこどもたち』
2012/日本/カラー/デジタル/104分

監督・撮影・録音・編集:奥谷洋一郎
整音:黄永昌
制作協力:映画美学校ドキュメンタリー・コース研究科、江波戸遊土、遠藤協、風姫、筒井武文、畠山容平、Love Art Puff
取材協力:徳山四郎
宣伝協力:石井トミイ、久保田桂子、佐藤杏奈、シネトニウム、松久朋加、百石企画、吉田孝行、吉本伸彦、渡辺賢一
配給:スリーピン

公式サイト:http://www.cinetonium.com/

【上映情報】
大阪シネヌーヴォ   2013年8月31日(土)〜
名古屋シネマテーク  2013年9月14日(土)~9月20日(金)
京都みなみ会館       2013年9月21日(土)~10月4日(金)
神戸・元町映画館   2013年11月上映

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【監督プロフィール】

奥谷洋一郎(おくたに よういちろう)
1978年、岐阜県中津川市生まれ。東京育ち。慶應義塾大学文学部卒業。映画美学校ドキュメンタリー・コース研究科修了。映画作家の佐藤真、筒井武文に師事。大学生の時に出会った見世物小屋一座、大寅興行社との交流のなかで初の長編ドキュメンタリー映画『ニッポンの、みせものやさん』を制作し、2012年に初の劇場公開作品として上映、その10年にわたる見世物小屋一座との交流が注目され多くの観客を集めた。現在は、複数の作家によるマルチプロジェクション企画「Documentary Tokyo」を進行中。