古くは江戸時代の魚河岸に始まり、現在の地に移ってからおよそ80年のあいだ「日本の台所」として存在しつづけてきた築地市場。その規模は、日本はおろか世界最大を誇り、和食への世界的な関心の高まりとともに、連日多くの外国人観光客でにぎわっている。折にふれて報道されてきた通り、市場は施設の老朽化などの理由によって、江東区豊洲への移転がほぼ確実となった。
そんな築地市場の四季が、いまカメラで記録されようとしている。戦後まもないころより築地の地に本社をかまえる松竹が、ドキュメンタリー映画『Tsukiji Wonderland (仮題)』の製作を発表した。本作品では、東京魚市場卸協同組合(東卸)の全面協力のもと、これまで実施されたことのない築地市場内初の1年に渡る長期撮影が実現する。
また本企画では、松竹としてはじめて製作資金をクラウドファンディングで募っていることも特筆される。去る8/27、目標額である700万円を達成し、大きな話題を呼んでいる。ファンディングはひきつづき9/1(月)まで実施中。この機会にしか手に入らないリターン(出資者へのプレゼント)も数多く用意されている[サイト]。
映画の撮影はいままさに真っ最中。企画者の手島麻依子さん(松竹株式会社)と、同じく企画者で監督の遠藤尚太郎さんにお話をうかがった。
[取材・文=萩野亮(neoneo編集室) 撮影・協力=大塚将寿]
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|きっかけは「3番目のテーブル」から
――今回の企画は、発案者の手島麻依子さん、「3番テーブル」の奥田一葉さん、遠藤尚太郎監督の個人の趣味が高じて大きなプロジェクトに至ったというプロセスがすごく素敵だと思いました。まずは、どういう形で立ち上がっていったのかというところから聞かせて頂きたいと思います。
手島 3年くらい前に、わたしと奥田さんとではじめて築地市場に行ったんですけど、きっかけは、もともとふたりとも料理が好きで、友人を招いてホームパーティをしたりケータリングをしたりと個人的に活動していたんですね。松竹が築地市場から歩いて5分の場所にあるんですが、彼女も当時すごく近いところで働いていて。でも、「こんなに近いのに築地市場の場内に行ったことがないね」って。「だったらちょっと行ってみようか」ってなったんです。本当にそんな感じから始まりまして。毎週木曜日の朝に「朝練」するっていうかたちで行くようになったのがきっかけですね。
奥田さんとはもともと大学は違ったんですが、4年生の頃に知り合って。そのときは遊び仲間だったり飲み仲間だったりしたんですけど、たまたま転職を繰り返していくうちに職場が近くなって。そこでお互い料理が好きなんだねっていうところもあり、始めたのが3、4年前ぐらいですかね。
――パーティーはどんな雰囲気なんでしょうか?
手島 食いしん坊が集まるホームパーティですね(笑)。家に友人を呼んで。私の友人だったり、彼女の友人だったり、そのまた友人だったり。月一回くらいのペースでやっていて。毎回テーマを決めてちょっと楽しんでもらえる場所にしようと。「3番テーブル」というのは、そのふたりでやっているユニット名なんです。3番目のテーブルくらいのきもちで、みんなに集まってもらいたいねって。
月に一回とか、春のものを食べてみたり、「世界スパイス紀行」なんていってスパイスを集めていろんな国の料理をやってみようとか、いろんなことを試していて。築地に行くようになってからは、市場では旬をダイレクトに感じられるので、そういった季節毎の旬の築地を楽しむ会をやったり、冬にクエを食べようとか、ちょっと集まらないとできないようなものを楽しむ会です(笑)。
――今回の作品は、遠藤監督から「これは映画にすべきだ」と提案されたと伺いました。
遠藤 ひょんなことから築地に一度カメラを入れる機会があって。素直に築地ってすごいところだなと。場外っていうのがみんな知っている築地だと思うんですけど、場内の仲卸エリアっていうのがすごい場所で。とくに、外国人観光客の方がいらっしゃったときに、「彼ら何を見ているんだろう」「なんで彼らはここに観光に来たいんだ」と思ったときに、日本人が今までずっと培ってきた大事なものがここにあるんだなと。雰囲気だけではなく。そう思ったときにちょっとこれは映画として撮れると思って。
|築地市場と松竹映画
――戦後から築地にずっと会社を構えてこられた松竹さんがこの映画を作られるということが、とても意義深いことだと感じます。いっぽうで大きな会社ですから、個人の発案で企画を通していくということには困難もあったのではないでしょうか。
手島 本当に最初、映画にしたいなと思ったときは、休日を利用してリサーチしたり取材をしたりしていて、どこか製作費を出してくれる会社だったり配給してくれる会社を探そうって言ってたんですね。でもやっぱり、築地の方とかいろんな方に会ってお話を聞いていくと、築地の文化をすごく愛してらっしゃる方が多いし、代々引き継いでい仕事をしている方も多く、そこの土地に愛着を感じていたり、その地域全体としての文化が市場を中心にできている。築地と銀座の関係もそうですし、歌舞伎も魚河岸との関係が長くあったりっていう。そういうことを知るにつれて、これは他にやれる会社はないんじゃないかなっていうふうに思い始めたんです。それを率直にぶつけてみたところ、「それは松竹でしかできないよね」と本当にストレートに判断を下してくれたんです。
ただやっぱり会社なので、いろいろとプロセスを踏んで説得をしていく作業っていうのは3ヶ月ほど掛かりました。「築地」という文化を映画で残していくことの重要性であったり、それを日本の文化として海外に発信していく役割を松竹が担うべきだという作品の意義に関しては、ストレートに賛同が得られたという感じでしたね。
――築地市場の活気あるさまは、下町の人情を描いてきた松竹映画の伝統ともふれあうように感じられますね。
手島 「人間ドラマを描く」ということをずっとやってきた会社です。築地の方も取材をすればするほど、「僕たちは魚を売っているんじゃない。人と人との信頼関係のなかで仕事をしているんだ」っていうことをいろんな方がおっしゃいます。料理人の方もそうおっしゃるんですね。「単に魚を買いに行ってるんじゃない。誰から買うかだ」と。やっぱり、そういうところに通じるものがあるなと思います。そういうところがきちっと描けていければいいですね。
――遠藤監督は今回の映画については、どんなイメージで臨まれていますか。
遠藤 築地は少なからず移転を前提にしている立場で、今しか撮れないものっていうのはあるとは思うんです。でも、そのなかで単なる記録映画にはしたくない。そこで本当に培われてきた文化や技術、世襲されていくもの。「家業」って呼ばれていますよね。昔は築地に拘わらず、畳屋だったら畳を作るとか、日本にはそういう文化があったはずで、築地のなかにはそれがまだ残っていると思うんです。そういう引き継がれていく文化や技術、あとは思いですね。「ただ魚を売ってるんじゃなくて思いを売ってるんだ」という人が本当に多い。そこにはプロ意識だったり、日々努力する姿、情熱であったりとかがある。そういうものを日本人がずっと昔から日々培ってきた強さとして、原点として描きたい。僕たちが他の会社で働いていても、「日々そういうことって大事だよね」っていうことが築地にはあったりする。そういうものをもう一度思い出すために、彼らの姿を映像に写していきたいなと思っています。
――市場の仲卸の方を中心に撮られていると伺いました。築地の巨大なスケールのなかで撮影を進めていくにあたっては、随分と悩まれているのではないでしょうか。
遠藤 築地を支えている人たちには、物流とか大卸とか、仲卸などいろん分野の方がいます。なかでも、目利きなどを行う魚のプロフェッショナルである仲卸は、ちょっと数が減ってますが今700店舗弱くらいあり、それだけの数の店舗が一カ所に集まってるダイナミズムが築地の強みのひとつ。そこら辺を描いていきたいなと思って。築地で仕入れを行う料理人の方はみなさん、ジャンルや系統は違っても、みなさん仲卸の人を信頼し市場へ足を運んでいる。信頼関係で20年ずっと付き合っているという話もよくききます。料理人のお父さんと仲卸のお父さんのときからの付き合いで、息子たちが今度は一緒に仕事をするとか。面白いですよね。
手島 映画にしたいなという話をし始めたのが1年半ぐらい前で、それからもう本当にいろんな議論を奥田さんも交えてしています。面白いことはたくさんあるのですが、映画でどう描くか。「文化」と言ってしまうとひと言なんですけど、歴史だけでもすごいですし、建物であったり、街としての存在であったり。そのなか、構成をどうやってということは、時間をかけて話しました。