【Review】DDS2012特集『監獄と楽園』text 吉田未和

 

 2002年にバリ島で起きた爆弾テロ事件を題材にしたこの作品で、ダニエル・ルディ・ハリヤント監督は、刑務所に収監された実行犯、実行犯の家族、被害者の家族へのインタビューを通じ、テロリズムの問題に真っ正面から切り込んでいった。監督自身も述べているように(*1)、加害者、被害者のどちらかに味方するということではなく、すべての対象に等しい距離を取ることで中立的な視点を確保しようと試みている。ワシントンポストの元記者ヌル・フダ・イスマイルが橋渡し役となり、加害者に対してはかつて同じ寄宿学校で学んだ旧友として、残された加害者家族や、身内を亡くした被害者家族に対しては、気の置けない相談相手として親身に耳を傾けることで、人びとは自分たちが置かれた現在を思いのほか饒舌に、そして冷静に語っている。

まず驚くのは、カメラが刑務所の中に入り、囚人となって鉄格子の向こうにいる実行犯たちの映像と声をほとんど制限なく(と見える)拾い、それをこうして別のアジアの国で誰もがスクリーン越しに見ていられることの大胆さであり、奇妙な言い方だがある種の寛容さではないだろうか。少なくとも日本に住んでいてこんな映像は普通は目にすることができない。もちろん非公式の面会を通して被告人へのインタビューを活字にすることはできる。だがそれにもさまざまな制約があり、例えば書けることと書けないことの間で理不尽な思いをしたことは、森達也氏が『A3』でも再三にわたって語っていたことであった。

実行犯のリーダーで死刑囚となったイマム・サムドラはある時、コーランに「ホラーサーンの地から復興する」というムハンマドの預言が記されているという話をはじめる。ホラーサーンはある歴史家によれはイラクかアフガニスタンのことで、アメリカがかの地を侵攻したのは、この言葉が現実になるのを恐れているからだと彼は言う。核や石油の問題ではないのかとこちら側から問うと、そんなことは大した要素ではない、キリスト教徒やユダヤ教徒は時に「ムスリムよりも深くコーランを信じる」時があるのだと自信に満ちた様子で言い返す。生き字引のようにコーランを引用しながら、どんな行為も、世の中のあらゆる事象も、すべてがイスラムの教えに収斂されていく。この宗教的情熱とそれに裏打ちされたテロリズムへの傾倒、すなわちみずからの行為への絶対的確信は、最後まで変わることがない。

一方で、爆弾製造犯として終身刑に服しているアリ・イムロンは、次第に自戒とテロリズム批判の言葉を口にするようになる。あの事件がほんとうに必要とされた行為ならば、これほどまでに世間から非難されるはずがないのではないか。善行には良い結果が下るはずなのに、テロをやった人間に悪い結果を与えた。神はあの爆破事件を望んでいなかったのではないか、つまりは聖戦(ジハード)ではなかったのだという結論に至る。

一つの動機のもとに集まった同志が、結果としてまったく別の世界を見ていることに、わたしたちは宗教が人間の多様性にもたらす影響の複雑さを思い、先行きの見えない無力感すらおぼえてしまう。だがそのこととは別に、鉄格子越しの映像が伝えているのは、もう少し重要なことのような気がする。原理主義者の熱狂的な信心にせよ、有罪者としての後悔と反省の言葉にせよ、彼らの観念と言葉はいずれにせよ閉じられた空間の中にしか存在せず、監獄の外へと出ることはもう二度と不可能だという事実だ。2008年にイマム・サムドラを含む3人の死刑が執行され、アリとムバロクは今でも終身刑に服していることがエピローグで明らかにされる。アッラーのため、世界のためにテロを企てた。しかし彼らは自分たちがこうしたいと望んでいたその世界に、戻ってくることはできないのである。このことはまた、こうやって壁の中に閉じ込められた理念は、果たして現実に肉薄するほどの力を持ち得るか?という問いにもつながっている。

 この映画にはほかにも主人公がいる。実行犯の妻とその娘たち、また、被害者の遺族だ。ヌル・フダが指摘するように、彼女たちは事件に対する立場こそ違うが、置かれた状況は非常によく似ている。彼らの生活はこのテロ事件を契機に大きく変わってしまった。子どもたちは父親がどうなってしまったのか理解できないまま、それでも成長し、いつかは真実を知らなくてはならない。実際、事件当時はまだ小さかった子どもたちも、父がいつも不在で自分の家族はほかの家とどこか違うことに少しずつ気づきはじめている。実行犯の妻はいつどうやって娘たちに事件のことを話すべきなのか常に逡巡しているが、結論は見えてこない。被害者の妻や親族も、事件が子どもたちの未来にどういう影響を与えるのかについて、前向きではあるが、必ずしも楽観はしていない。作り手が意図したわけではなく子どもたちの表情はいつも無邪気であり、いたいけなその様子が、かえって見ているわたしたちに現実の重さを強く印象づける。

先にも述べたように、加害者、加害者の家族、被害者の家族、それぞれとつながりを持ちながら、語り手となって映画に参加しているのがヌル・フダである。彼は終身刑となったムバロクと同じイスラム学校の同級生であった。事件後、熱心に取材を重ね、残された加害者、被害者双方の家族のもとを頻繁に訪れて彼らを支えようとしているのは、友人として、またジャーナリストの使命というだけにはとどまらず、おそらく彼自身がこの事件に大きなショックを受け、志を同じくしていた仲間がテロという選択をしてしまった本当の心理を、いまだ忖度できずにいるからに違いない。

実行犯たちがイスラム教を手放さないように、残された家族も、加害者、被害者ともに今でも信仰を持ち続けている。ヌル・フダもまた、友人を含めたテロリストたちの信念に懐疑的になることはあっても、自分がイスラム教徒であり続けることについては揺らぐことがない。残された子どもたちもすでにコーランを暗誦し、朗誦できる年齢に達している。あるいはここにこの映画を作ったハリヤント監督自身を含めてもいいのだろう。彼らはみな、事件前と事件後とでイスラムへの信仰心はまったく変わっていない。このことは彼らにとっては自明でも、よく考えればそう簡単な話ではない。同じイスラム教徒が起こすテロを見聞し、あるいは経験し、一度でも不信を抱くことはなかったのだろうか。神が望みどおりの世の中を実現してくれないことに失望したりはしないのだろうか。だが、信仰がテロを導く危険性をじゅうぶんに納得はしていても、そのために同じイスラム教徒が罪を犯したとしても、あるいは自分たちが思い描いているような世界がまだやってこないとしても、そのことで信仰を失ったりすることはない。彼らの言葉を借りれば、すべてはアッラーに委ねられているのである。

ヌル・フダの視点を借りつつ、あらゆる被写体に等しい立場で関わりながら、映画はこの信仰という一点で求心的につながっている。そこには映画を通してイスラムを理解してもらおうとするのではなく、何よりもまず自分たちがイスラムを理解したいという強い意志があるように思われる。このことはテロリストであり友人でもある一人の人間を理解することであり、インタビューを通じて集められた原理主義の思想を解釈することであり、また残された妻たちが近い将来、子どもたちに真実を語るときにも、きっと何らかの役割を果たしてくれるという希望に裏打ちされているはずである。すべてのイスラムの姿をとらえるため、この等距離からの視線が映画にはどうしても必要だった。

 死刑あるいは終身刑を宣告された実行犯たちは、以後、永遠に閉じられた時間を生きる。一方で残された家族は、夫や父親が変えてしまった世界を、宿命を背負うようにして生きていかなくてはならない。たしかに妻たちは今でも途方に暮れている。まだ答えは見出せていないし、この一時間半の映画の中で易々と解決の道筋を見つけられたわけでもない。だが、鉄格子の向こうの、現実の世界にもう二度と関与することができない観念の監獄と、先は見えないにせよ、目指すべきは地上の楽園でしかないこの現実と、映画はこの二つの対照的な世界を鮮やかに切り取ってみせながら、すでにひとつの選択をしているように思われる。結局のところ自由も楽園も、今ここでイスラムを信じ続けることの中にしか存在しないのではないか? テロ事件が起こり、監督が映像を撮りはじめてから10年が経った。世界はまだ何も解決していないが、その中にこそ自分たちの楽園を探し、ないのならばこの手で作らなくてはならない。子どもたちの屈託のない表情に何度でも立ち返りながら、映画はこの困難な世界を引き受けるという覚悟をも、同時に示そうとしているように見える。

 *1 ダニエル・ルディ・ハリヤント「平和への話し合いのために」(「山形国際ドキュメンタリー映画祭インタビュー」2011)→http://www.yidff.jp/interviews/2011/11i058.html


【作品情報・上映情報】

『監獄と楽園』Prison and Paradise
監督:ダニエル・ルディ・ハリヤント 
インドネシア/2010/インドネシア語/Blu-ray/93分

2002年バリ島爆弾テロ事件を取材した記者は、実行犯の一人と同じイスラム教の学校に通っていた。被害者と加害者の家族、獄中の実行犯の言葉とが行き交う。

★YIDFF2011 日本映画監督協会賞

 ※『監獄と楽園』は9月9日(日)12:30〜ポレポレ東中野にて上映
 ダニエル・ルディ・ハリヤント監督&日本映画監督協会トーク あり

 
【執筆者プロフィール】

 吉田未和 よしだ・みわ

1973年、山形県生まれ。お茶の水女子大学卒業、東京大学大学院修士課程修了(専門は日本近代文学)。現在、オンライン古書店「桜桃社」を運営。山形市在住。

★2011年「ヤマガタ映画批評ワークショップ」参加者