【Review】悪ふざけの中に―クリス・モーカーベル監督『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』 text くりた

アート(芸術)とは何か、また特定の作品を指して「それ」が果たしてアートであるかどうかを議論する人がしばしば存在するが、その度に私は「なんという不毛な議論なのだろうか」と思わずにはいられない。なぜ事あるごとに芸術を承認したがるのか、自分の許可を必要とさせるのか、そして気に入らないものを排除したがるのか。そのような類の認める・認めない問題を提唱する人間は常に、芸術活動にはいわゆる「権威」というものが必要だとでも言っているかのようであるし、自分が認めないものはゴミだとでも言いたげだ。そしてそれは常に、何も作り出したこともなさそうな「権威ある」方々が言いはじめることが大概であることで更に納得がいかない、というか、ただ単に気に入らないだけかもしれない。それは私が「権威」というものが純粋な「芸術活動」と相容れないものだと信じているからだ。

本作『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』はグラフィティアーティストとして世界で最も有名なバンクシーが、2013年10月の1ヶ月間、ニューヨーク市内に1日1作品をゲリラ展示するという宝探しのようなイベントを追ったドキュメンタリー映画だ。バンクシーは日に一度だけ、街のどこかに置かれた自らの作品をweb上に掲載する。しかし設置された場所は定かではない。サイトに掲載されたあの作品はどこに在るのか? 誰が一番先に見つけるのか? 明日は何が起こるのか? バンクシーが提示した「宝探しゲーム」はTwitter上での目撃情報や彼の追っかけによる動画配信など、日々エキサイティングな情報が更新され、その目新しさとメディアの扇動によってニューヨーク市中が熱狂した。本作では「宝探し」と訳されてはいるものの、出てくる人はみんなそれを「Scavenger」=「がらくた探し」と呼んでいる。グラフィティ(落書き)アーティストであるバンクシーが開催したイベントの呼び名としてはぴったりな表現だ。

しかし本作に収められている狂乱の一部始終を目の当たりにすると、ただの落書き少年や路上アーティストとは一線を画す知性が垣間見える。バンクシーがグラフィティアートという、いわゆる権威あるアート業界とはほど遠いジャンルにおいて、また数多のグラフィティアーティストを差し置いてここまで注目されるようになった要因のひとつは彼のプロデュース能力ゆえだと気づかされるのだ。

この突発的な悪ふざけのようにも見える一連の騒動は、スマートで綿密に練られた計画を滞りなく遂行する複数の人間がいなければ達成は難しかったのではないだろうか。展示は主にマンハッタン地区に集中しているようだが、ブロンクス、ブルックリン、クイーンズといったニューヨーク市内の地区をできるだけ跨ごうとしている。だが同じニューヨーク市でも橋向こうのスタテンアイランドまでは展示が及んでいないところを見ると、やはり行動範囲をある程度絞っているのが分かるだろう。その代わりと言っては何だが、19日目にはその名も「Staten Island」という動画をwebにアップしているから恐れ入る。どうやらその映像をちゃんとスタテンアイランドで撮影してきたらしい。本作でもその動画を見ることができる(ウェブでも視聴可)。

そして多数の観客、あるいは悪意のある人間と接触する可能性のあるスタッフ(?)が誰も口を割らない事を鑑みても、恐らくは厳重な契約を交わすなど(単純に信頼関係で結ばれている可能性もあるが)、予測できる事態は全て避けるよう計画されている。また、これらのゲリラ展示を見て、1950~70年代にあった「ハプニング」というパフォーマンスを思い出す人も居るだろう。「ハプニング」とは、1959年にアラン・カプローが主宰した「6つの部分からなる18のハプニング」というパフォーマンスを指していたが、様々な手段を使って幾つかの国で上映される内に「偶然的な出来事を観客に提示し、その出来事による影響・効果を追求する芸術活動」という意味に変貌した。それはギャラリーや市街地で行われることも多く、再現することができない一回性のパフォーマンスであることが多い。バンクシーがやっていたことはそれとかなり近しいパフォーマンスだと言える。つまりは、それぞれの作品が場所や展示スタイルによって保存されたり、毀損されたり、持ち運ばれたり、多種多様な反応があることも彼は織り込み済みのはずなのだ。また、カプローが初めて「ハプニング」を上演したのもニューヨークであったことも感慨深い事実であり、バンクシーが今回行ったゲリラはネットと路上とアート業界、そして見る者たちを強制的に引きずり込んだ現代版の「ハプニング」と呼んでも良いのではないだろうか。

そしてこのバンクシーが引き起こしたハプニングは、その参加者はもとより、ただの傍観者たちにも問いかけてくる。「お前達が見ているモノは何なのか?」というように。それはリアルタイムでその場に居られなかった多くの人々であっても、2013年10月の一部始終を収めたこの映画を観ればきっと、同じように届くだろう。いくつもの疑問、憤り、モヤモヤとした複雑な感情に居た堪れなくなるかもしれない。業界の在り方、アート・芸術の定義、アーティストを取り巻く環境、金や利権やモノの価値、傍観者、熱狂的ファン、そして、それらすべてを随分と遠いところからシニカルな目線で見つめている顔のないグラフィティアーティスト。アート・芸術というものの周辺は何もかもが曖昧で、どれもが寄る辺ない存在なのだということに気づく。

私は特定のものを指して「芸術か、芸術でないか」を議論するのは不毛だ、と言ったがその議論は終わることのないテーマであり、これからも誰かがそれぞれの観点から好き勝手に判断し続けるのは仕方がない事なのだと認識した。人が芸術かそうでないかを決めたがる根底には、アート・芸術というものの広大さと曖昧さがもたらすアイデンティティに対する脅威があるのかもしれない。人は、果てしなく広大な宇宙から生み出された宇宙人のような作品を見て脅威に感じているのではないか。アイデンティティを揺るがしかねない異星人たちの価値観をも認めるという事は、自分の価値観の再構築でもあるからだ。だが、理解できないもの・好きになれないものに対する拒否反応だけで全てを終わらせてしまってはただの思考停止でしかない。それではあまりにも排他的すぎるし、芸術活動の進歩を阻む行為ではないだろうか。理解できないものを理解しようとするその過程にこそ、作品としての存在意義があるはずだ。作品の、真の価値とは一体どこにあるのだろうか? 自分たちが見ているものは何ものなのか? それはバンクシーのお遊びの中で展開される、考え続ける価値のある問いかけなのである。

【作品情報】

『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』
(2014年/アメリカ/81分/カラー/16:9/DCP)

原題・英題 :BANKSY DOES NEW YORK
監督:クリス・モーカーベル
提供:パルコ 
配給:アップリンク、パルコ 
宣伝:ビーズインターナショナル

渋谷シネクイント、渋谷アップリンクほか、全国順次公開中

www. uplink.co.jp/banksydoesny



【執筆者プロフィール】

くりた
WEBデザイナー兼、雑食映画ライター。最近はロシアや旧ソ連の映画を観たりしています。
【変な映画が見たい】というブログをやっています。

Twitterアカウント:@nnnnotfound

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