【Report】「古くなったメジャー」としてのレコードたち――「ワカキコースケのDIG! 聴くメンタリー at ポレポレ坐」 vol.2 text 萩野亮

▲ワカキコースケさん。

エモやんが歌う『あぶさん』のテーマとともにワカキコースケは入場してきた。

満杯の客席から拍手の束。オバちゃんたちがかぶりつきで、きょうの主役の登場を迎えている。イベントもまだ2回目だというのに、なんだかすっかりもう「ワカキさんの空気」ができている。そのことにおどろいた。

ときは去る9月24日(土)、ところは東中野のポレポレ坐。本誌「neoneo web」で連載中の「ワカキコースケのDIG! 聴くメンタリー」のイベント版、第2回である。「聴くメンタリー」とは、音楽以外が収録された廃盤ドキュメンタリーレコードのことで、レコード屋ではたいてい「その他」の棚にそっと置かれているか、もしくは店頭で哀しくたたき売られている。そうした珍品の数かずを、ワカキさんはハンターのように渉猟(DIG)しては、ぼくらに紹介してくれるのである。

ところでなぜ『あぶさん』? 『あぶさん』といえば、(ぼくはまったく読んだことがないけれど)水島新司が1973年に連載を始めた野球マンガで、江本孟紀が歌ったテーマ曲はテイチクレコードより同年にリリースされた。これはリッパな「音楽」レコードじゃないか。

ところがワカキさんは目(耳)のつけどころが違う。

「あぶ、一杯いくか」

曲の合間あいまに挿入されるしわがれた掛け声。これは水島新司ほんにんの声だという。マンガの登場人物に作者が飲みに誘うという、たいへん奇妙なことがここで起きているわけだが、作者ほんにんの声が記録されているという一点において、『あぶさん』は「聴くメンタリー」なのである。これは奥が深いぞ。

今回のセットリストで似た感じのレコードだと、菅原文太が渋い低音で歌い朗読する「『仁義なき戦い』の果てに ―死にそこねた男のモノローグ―」(74/テイチク)と、「七人の侍 ―侍のテーマ―」(不明/東宝)があげられるだろうか。どちらも同名映画のイメージソングなのだが、それぞれ監督の深作欣二と黒澤明が作詞している。黒澤の詞を引いてみよう。

苦しいときも、爽やかに
悲しいときも、美しく
名利を惜しむ吾なれど
哀れは誰何も変はりなし 

ワカキさんいわく、こういう本業とははなれた仕事のなかに「深作や黒澤のような男性的映画を撮ってきた監督の、ナイーブな面がよく出ている」。なるほどこれは、従来の映画論が見落としてきた点かもしれない。映画作家が自作について語っているインタビューや制作ノートなどの類いはあまたあるけれど、そこでふるまわれているのはあくまで監督としての彼らである。詞作というポエティックな領域で、存外さらりとさらけだされる映画作家の「私」があるのかもしれない。「聴くメンタリー」としてはどれも変化球ながら、興味ぶかいレコードだった。

「聴くメンタリー」的に直球のドキュメンタリーレコードとしては、プロ野球シーズンも佳境ということで、『あぶさん』につづけて針がのせられた『ガッツ!!カープ ≪25年の歴史≫』(75/東芝EMI)と『栄光の756号/王貞治』(77/ビクター)。むかしを知らない若者のために「王さんという人がね、いるんだよ」という話から始めるワカキさんのていねいさがほほえましかったが、前者は広島東洋カープが初優勝した記念に、後者は王貞治が756号のホームランを放った記念に出されたレコードで、昂奮ぎみに快挙を語るアナウンサーの声と、観客の熱狂ぶりが臨場感たっぷりに収録されている。「ホームラン王・王貞治」もののレコードは、当時このほかにも出ていたという。

ワカキさんの話でぼくが重要だと思ったのは、いまはCDやDVDにとって代わったレコードというメディアが、少なくとも70年代まではメジャーなものだったということだ。彼は念を押すようにくりかえしいう、「ボクはサブカルをやっているんじゃない、あくまで『古くなったメジャー』に興味があるんだ」と。カセットテープやVHSすらない当時において、(書物をのぞけば)レコードは大衆が接しうる唯一の記録媒体だった。その事実をもう一度思い起こしてみよう、そうワカキさんはいっている。

こんなふうに書くとワカキさんはいやがるかもしれないが、「聴くメンタリー」はメディア研究者エルキ・フータモのいう「メディア考古学」の発想に接近している。フータモが異なるメディア文化間の断絶よりも連続性を強調するように、ワカキさんもまたレコード文化とそれ以降のCD・VHS文化との連続性を見ようとしている。たとえば70年代の王貞治の活躍がレコードに記録されたように、90年代の松井秀樹の躍動はVHSに記録された(そのうちの一本はワカキさんが構成を担当したそうである)。

レコード文化は一部の愛好家にひきつづき愛され、「変なもの」をおもしろがる「サブカル」によってポストモダン的に再発見されたかもしれないが、「時代を記録する」という本質は後発のCDやVHS、DVDやBlu-ray、あるいはWEBに確実に受け継がれている。

「古くなったメジャー」としてのレコードのなかには、今回のイベントで紹介された『園遊会』(78/CBSソニー)や「効果音大全集 家庭・人間」(75/キング)のように、たしかに「変なもの」が多々あるが、それはあくまで「現代」の視点からの「変さ=偏差」なのであって、当時は「ちゃんと」出版され流通していたのである。

70年代といえば高度成長が一段落した時期だが、とはいえ音楽業界は潤っていたようで、「そういう時代には変なものも出しやすい」というのもワカキさんの指摘でうなったところ。その意味ではワカキコースケによって掘り起こされた「聴くメンタリー」とは、ゆたかだった日本の高度成長期そのものの肖像であり記録であるのかもしれない。 

 

さてイベントの第3回、2月4日(土)には、「2017年にこそ膝を正して聴きたいレーニンの演説」や、「専門医が集めていた○○○の音」「事故死した伝説のレーサー風戸裕、その青春の肉声と愛車ポルシェ908の爆走音」「空襲下で戦い、逞しく歌う北ベトナム軍の兵士たち」などのレコードが紹介されるもよう。「毎回は来なくていいから」とワカキさんはいうけれど、有意の向きはぜひ駆けつけられたい。

|次回開催

ワカキコースケのDIG! 聴くメンタリー vol.3

日時 2017年2月4日
開場 18:30
開演 19:00(約2時間の予定)
会場 東中野space & cafe ポレポレ坐
   中野区東中野4-4-1 ポレポレ坐ビル1F
出演 ワカキコースケ(若木康輔)
協力 大澤一生(nondelaico)・小林和貴(クオリアノート)・neoneo編集室

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萩野亮 Hagino Ryo
1982年生れ。映画批評。立教大学兼任講師。編著に『ソーシャル・ドキュメンタリー』(フィルムアート社)、共著に『アジア映画で世界を見る』(作品社)などがある。