【連載】「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」22回 『園遊会 昭和四十七年~五十三年春』

春と秋、天皇皇后両陛下主催で行われる園遊会。おなじみの、陛下と出席者の懇談が音盤になっていた。
思わぬ角度で貴重!な昭和天皇ドキュメント。

廃盤アナログレコードの「その他」ジャンルからドキュメンタリーを掘り起こす「DIG!聴くメンタリー」。今回も、よろしくどうぞ。

今回の聴くメンタリーは、9月のイベントで一番人気だった『園遊会 昭和四十七年~五十三年春』(1978・CBSソニー)だ。昭和天皇と出席者の懇談を録音した7年半の記録から、59人分をレコードにしたもの。怒涛のヴォリュームなので、まくら噺の余裕無し! すぐ内容に入ります。




【A面】
昭和四十七年春
○屋良朝苗 沖縄県知事
○森戸辰男 日本育英会会長
○福田恒存 評論家
○荒川豊蔵 陶芸家
○阿川弘之 作家

昭和四十七年秋
○海音寺潮五郎 作家
○杉山寧 画家
○美濃部亮吉 東京都知事
○川野栄次 埼玉県職員・道路維持補修
○井上正朋 僻地医療

昭和四十八年春
○坪井忠二 東京大学名誉教授(地震学)
○今西錦司 岐阜大学学長(霊長類学)
○渡辺文子 教母(宮城県立さわらび学園)
○本田晋 剥製製作
○市丸 歌手

昭和四十八年秋
○林健太郎 東京大学総長
○高田ユリ 主婦連合会副会長
○以深大 発明奨励審議会会長
○山岡荘八 作家

昭和四十九年春
○中山伊知郎 物価安定政策会議議長
○田中英穂 外務省中近東アフリカ局長
○増子富雄 日本航空機長
○原田貞子 国立身体障害センター職業指導専門職

昭和四十九年秋
○三浦朱門 作家
○中村雁治郎 歌舞伎役者
○馬場啓之助 物価安定政策会議委員
○重藤文夫 広島赤十字病院副院長

【B面】
昭和五十年春
○都留重人 元一橋大学学長
○阿ヨネ 養護老人ホーム尚和園指導員
○今田重太郎 登山案内人
○新垣茂治 沖縄県副知事

昭和五十年秋
○小林一夫 恵那山トンネル建設事業功労者
○末広恭雄 東京大学名誉教授
○日下部文雄 元気象庁予報部長

昭和五十一年春
○生悦住求馬 日本肢体不自由児協会会長
○畠山正光 青森県鳥獣保護員
○塚田正夫 日本将棋連盟会長
○北野一夫 警視庁捜査第一課管理室(三億円事件担当)

昭和五十一年秋
○小林大助 自然公園指導員
○林尚子 保母(大阪養護施設高鷲学園)
○大塚茂 新東京国際空港公団総裁
○波多野勤子 ファミリースクール理事長
○千宗室 裏千家家元

昭和五十二年春
○杉村隆 国立ガンセンター研究所長
○酒井あき子 国立伊東重度障害者センター看護助手
○中川智晴 保護司
○田中里子 国民生活審議会委員・全国地域婦人団体連絡協議会事務局長
○及位やえ 日本婦人航空協会理事長

昭和五十二年秋
○石倉秀次 海洋科学技術センター理事長
○島田一男 非行問題懇談会委員
○片峯和子 前全国学校給食研究会会長
○王貞治 読売巨人軍
○片岡千恵蔵 映画俳優

昭和五十三年春
○大林正宗 東南植物楽園園長
○田付景一 元駐ブラジル大使
○永井ちよ 開業助産婦
○橋本宇太郎 棋士九段
○柴田睦陸 東京芸術大学教授・二期会会長
○堅山利文 産業労働懇話会員


驚くほどざっくばらんに話す昭和天皇

名前を書き出すだけでくたびれた。多士済々だ。立派な人ばかりだが、僕なんかの知らない、立派なんだろうなという人も多い(主に大学関係)。さらに、県の職員や保護司、保母さんなど、全くの在野の方が少なからぬ割合を占めているのが、面白いと思った。

ジャケットに印刷された皇室ジャーナリスト・松崎敏弥の解説を読むと、園遊会のルーツは明治時代に始まった春の観桜会、秋の観菊会。

「戦時中は一時中断されていたが、戦後の昭和二十八年から『園遊会』と名称を変え復活した。毎年内閣総理大臣をはじめ、立法、行政、司法各機関の主要な人々、都道府県の知事など地方自治体関係者、また、文化人や各界功績者など(そして秋には在日外交団も)が、その配偶者とともに合わせて二千二百名前後招かれている」

この原則は、現在も変わらないだろう。さらに収録されたナレーションによると、

「特に両陛下が親しくお言葉を交わされる人々の中には、世間を反映した時の人や、長年にわたる地味な努力を続けてきた人が多い。これらの人々にお気軽に話しかけられているお言葉を通して、陛下の温かくご誠実なお人柄がうかがえると思います。

なお、このレコードに収められております陛下のお言葉は、数多くの人にお声をおかけになったものの中の一部であり、昭和47年度の園遊会より記録されるようになったNHK作製のテープにより、再編集したものです」




録音は、懇談の相手に選ばれた出席者の衣服に、ピンマイクを仕込んでのようだ。言葉の生々しさはニュースでおなじみの、距離を置いたカメラとマイクが伝えるものとは段違い。初めて聴いた時はのけぞった。
今年(2016年)の秋の園遊会は、三笠宮さま逝去を受けて中止になったが、今上天皇になってもこうして録音は続けられているのだろうか。

ダイレクトな録音の効果で特に胸が騒ぐのは、これまで僕にはほとんど未知だった(ニュースでは時の人が優先されるので)、昭和天皇と市井の人とのやりとりだ。
例えば、仙台市の児童自立支援施設・さわらび学園の教母・渡辺文子さん。

まず、先導する宮内庁式部官長(天皇の儀式・交際の事務を司る)が、「非行少年を預かる仕事に多年、従事されており……」と紹介した後、

陛下「いや、本当に、多年、面倒な仕事に従事してくれていて、本当にありがたく思います」
渡辺「今後も一所懸命やっていきたいと思います」
陛下「ええ、ええ。どうです、この頃、非行少年の」
渡辺「はい。よっぽど、前よりかは少なくなっております」
陛下「あ、少なくなった。そりゃあいいね。ますます一つ、減らしてもらうことに努力してもらうこと、希望します」

1946年1月1日の神格化否定、いわゆる「人間宣言」以降、昭和天皇の国民への言葉はやわらかい口語体に変わったわけだが。直接対面だと、こんなにざっくばらんとは。


▼page2 立派な先生も地味な仕事の人も、「あ、そう」の前ではみな平等 につづく