立派な先生も地味な仕事の人も、
「あ、そう」の前ではみな平等
渡辺さんの時は出てこなかったものの、昭和天皇は実によく口癖の「あ、そう」を連発される。
みなに平等に「大変でしょう」と声をかけ、「あ、そう。あ、そう」と相槌を打ち、「どうぞしっかりやってください」と結ぶ。とにかく、このパターン。
聴いていると「あ、そう」を軸にした位相が次第に立ち上がり、それぞれの役職や地位、実績の差がフラットになっていく。代わりに、世の中には実に様々な仕事があって、精進している人がいるのだなあ……と温かい気持ちになる。昭和史を彩った人の肉声を優先して聴きたい欲求がなし崩しになる、快いダイナミズムがあるのだ。
とばっちり?を受けるのが、ふつうの立派な人。言いたかないけど福田恒存。
式部官長「いろいろ、評論、それから書いております。テレビにも出て、シェイクスピアの研究も」
陛下「あ、あ、そう」
福田「本日はお招き頂き……」
陛下「そう、シェイクスピアなんか研究してんの?」
福田「はあ、研究というよりは主として翻訳、」
陛下「あ、そう」
福田「それからあの、芝居に、実際に役者を使って演出をしたり。そういうことをしております」
陛下「ああ」
福田「あのう、(聞き取れず)殿下にも、常陸宮殿下ご夫妻にも、見て頂いております」
陛下「あ、そう。ああ、ああ。随分評論、なかなか(聞き取れず)大変でしょ?」
福田「(苦笑交じりに)ええと、あのう、余計な、時流に逆らったようなことばかりと憎まれ役を買っております」
陛下「いやいや。どうぞひとつ」
聴いていると冷や汗が出る。僕らの年代が中学の頃、国語の先生に言われて手にとる初めてのシェイクスピア。その大半は、福田恒存訳の新潮文庫だった。一般教養のど真ん中みたいな人だ。
こういう人が「時流に逆らったようなことばかり……」なんてハスに構えた謙遜をすると、端的に、スマートではない。かえって強い自尊心がブワッと滲み出てしまう。
しかも相手が悪いよ。同じ専門家同士でいったら、かたやシェイクスピアで、こなた変形菌(粘菌)。しかも“息子さん”はハゼ専門で、最近はタヌタヌくんの食性を論文に……とくる。「時流に逆らった」血筋は筋金入り。
ああ、ツネアリ先生、そこはただ「ありがとうございます。がんばります」で良かったのに……となるのだ。オーラル・ヒストリーの怖さではある。
片岡千恵蔵、天皇に俳優論を語る
別の意味で冷や汗ものなのが、片岡千恵蔵。
陛下「どういう芸をやってんの?」
千恵蔵「我々は技ではなく、やはり、陛下もですね」
陛下「うん」
千恵蔵「天皇陛下になられるというご使命が……それから、なにか大変、ご苦労があったと思います。私たちは……例えばですよ!」
陛下「ええ」
千恵蔵「陛下から乞食までをこなさなければならない」
陛下「うん」
千恵蔵「その人物を全部研究しておかなければならない。これは技ではなく、やはり、人間的な修養なんじゃないかと」
陛下「ああ、そう」
京都の御大、ノリノリ。「陛下から乞食まで」ってご本人の前で……。陛下の「うん」には、珍しい話への好奇心があるので、ホッとする。
片岡千恵蔵は日本映画の黄金時代を支えたマネーメイキング・スター。どんな役も自分に合わせる、坂本龍馬も近藤勇も同じように演じる人だった。
興味がある人がいたら、当たり役の「多羅尾伴内」シリーズを1本か2本で十分なので見てもらえれば。戦後のヒーローものの原点だ。伴内は、ある時は片目の運転手、ある時は手品好きの紳士……と変装しながら悪を追う〈七つの顔を持つ男〉なのだが、これが、どれも千恵蔵まんま。毎度、バレバレなままノーテンキに話が続くのである。
そんなことから、千恵蔵の多羅尾伴内は長らく映画好きの笑い話のタネになり、「日本映画は海外に比べて拙い、くだらないものばかり」と叩かれる際の代名詞となってきた。僕は、インテリの娯楽映画軽視には視野狭窄が多い、荒唐無稽の土壌にこそ咲く真実の花もある、と抗弁したくなる側だが、それでも千恵蔵が御前で俳優論をぶっているのには、(一番そんなこと言わなそうな人が……)と仰天した。
ところが園遊会出席の翌年(1978年)、千恵蔵は東映の『日本の首領 完結編』(監督・中島貞夫)に特別出演。70代に入り一線を退いていたが、佐分利信と三船敏郎よりも格上でなければ成立しない役があると請われ、7年振りの銀幕復帰を果たした。そしてこの映画で驚くほど、何に出ても同じ、のイメージを裏切る演技を見せているのだ。
全国制覇を巡って争う関西と関東、両やくざ組織のドンを、もっと大きな力で抑えにかかる右翼の黒幕役。2大スターを温かく遇しながら、瞬間の一瞥で出方を読む芝居、僕も見ていて怖かった。
あれはひょっとして、モノホンの日本のトップと会った経験がヒントになっているのでは……などと考え出すと、なかなかの戦慄があるのだ。
おっと、やにわの千恵蔵論になりかけてきた。
この時期の園遊会の録音にドキドキするのは、ちょうど、昭和天皇への批判の声が(戦後間もなく以来初めて)強くなっている時期なのを、僕が知っているからだ。
1975年、初めて臨んだ公式記者会見で戦争責任について問われ、「そういった言葉のアヤについては文学の研究をしていないため答えかねる」(大意)と発言したのが、物議をかもした。
僕も1987年、19歳の時、この映像の録画をある講師に見せられ、烈しい調子でレクチャーされてショックを受けた。モロに受けた影響でマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』(確か岩波文庫)あたりから読み出し、しばらくそっちに傾斜したのだった。
その講師だけが急進的だったのではない。昭和天皇に敵意は無くても、わざわざ敬意の対象にするのは体制順応につながる、と警戒するのは当時のリベラルの基本感情だった。僕がその頃に本盤を見つけたとしても、(ウヘー、誰が買うんだこんなもん)だっただろう。
ちなみに、ダウン・タウン・ブキウギ・バンドが1976年にシングルB面でリリースした「ア!ソウ」も、尖った風刺としてのそれだったと思う。宇崎竜童が「ア、ソウ」としか歌わないディスコ・インスト。
▼page3 『昭和天皇独白録』は最強のインタビュー本 につづく