剥製ひとすじ40年の人への親しみ感こそが
収録された59人との懇談の中で、異例に話が長くなっている人がいる。誰かというと、なんと剥製製作者。本田晋さん。国立科学博物館で40年間、ひたすら動物の剥製づくりに打ち込んできたという方。
陛下「科学博物館のほうでずっと、剥製のことやってんの?」
田中「はあ、剥製は大体あの、明治初年からの本腰になりまして」
陛下「ええ」
田中「一番大きなものの動物の剥製が、明治天皇の金華山というのを私のおじいさんが作りまして」
陛下「ああ、あの」
田中「今でも保存して、去年おととし修理したりいろんなことをしまして、いい状態を延ばそうとがんばって、忠犬ハチ公とかいろんなものをやりまして、今後も大いにがんばりたいと思っております、どうぞよろしくお願いします」
(中略)
陛下「一番、ええ、どんな剥製が一番。今の金華山なんか」
田中「はい、やっぱり馬とか犬とか猫が一番難しい」
陛下「難しい。そう」
田中「はい、やっぱりその、なんというか、ポーズと言いますか」
陛下「ええ」
田中「みなさんがよく形を知っているだけに難しい」
陛下「ああ、そう」
(中略)
陛下「ええ、爬虫類とかああいうものはどうなの?」
田中「あれもちょっと難しい……ちょっと他の動物とはまた変わった難しさがございますね。皮膚とかウロコとか」
陛下「ええ。いや、本当に」
金華山とは、明治天皇の御料馬・金華山号のこと。
改めて書き起こすと、昭和天皇、声のトーンからしてわずかに違う。剥製ひとすじ田中さんの朴訥な早口に、食いつきがいいこと。
「なにが一番か」とだけ訊けば、訊かれたほうも、それが一番貴重ではなく、一番苦労するもの、と瞬時に了解できるツーカー感! 爬虫類だとどうなのかまで知りたくなったりして、陛下は、やっぱりマニアックであられた。
大きな責任の中で、簡単には自分の「意見」は言えない。本盤でも、昭和天皇がご自分の所見を述べることは一切無い。質問し、耳を傾け、労うのみだ。
しかし、特に田中さんとの懇談の肉声から、昭和天皇のお人柄は自ずと出ている。確かに、本音のハッキリしない政治ごとよりも、実務的な人と仕事がお好みだったのが分かる。
それだけで十分、本盤は傑出した聴くメンタリー。僕が廃盤を持っているだけでは勿体ないので、今からでもCD化を望みたい位だ。
さて、今回の原稿をスタートさせた時は、今上天皇の生前退位について触れるつもりだった。
現在のペースの公務をつとめるのが難しくなったとしても、天皇は天皇のままではないか? と、現在の僕はやや退位慎重論寄り。
数年前の、凍えるほど冷たい風が吹く真冬の日。
都内を移動される天皇皇后両陛下が、走る車の窓を開けっぱなしにし、外套を脱いだまま沿道に手を振る姿は、(あ、あまりにも国民に対して誠実でおありになられ過ぎてはいないか……!)と衝撃だった。あのハードワーク振りを間近に見て以来、畏怖と敬愛の念しかない。その感情からの逆算だ。
といっても、有識者会議第1回ヒアリングの記事をよく読むと、みなさんの意見どれももっとも、となる。古川隆久氏(日大教授)の考えが、しっくり来るかな……程度しか僕には言えない。
少なくとも。陛下は、昭和天皇が一から築いた象徴のありかたの継承を、何より大事にされてきた。この芯を外した考察だけは、避けるべきだろうと思っている。
※盤情報
『園遊会 昭和四十七年~五十三年春』
1978/CBSソニー
2,500円(当時の価格)
若木康輔(わかきこうすけ)
1968年北海道生まれ。フリーランスの番組・ビデオの構成作家、ライター。あとがき代わりのオマケで、〈自宅で視聴できる昭和天皇〉をいくつかお伝えします。
NHKオンデマンドに入っているのが、1984年の『NHK特集 皇居』。皇居の中の日常業務に密着したもので、今見るとフレデリック・ワイズマン式のアプローチが抜群に成功した例と分かる。有料だけど、テレビ・ドキュメンタリーの名作が¥216で見られますからね。
やはりNHKのサイト「戦争証言アーカイヴス」では、「日本ニュース」に何回も昭和天皇が登場。中でもおすすめは1948年「戦後編・第133号」で熱心に顕微鏡を覗く、変形菌LOVEでおられる姿。
そして宮内庁のサイトの、広報・報道のページから入ると、終戦の玉音放送と、1946年5月の、深刻な食糧難に際してのお言葉。この2つを聴くことができます。
http://blog.goo.ne.jp/wakaki_1968