【Special News】今年で終了!?20年の集大成「ゆふいん文化・記録映画祭」 6月23日(金)-25日(日)text 大塚大輔

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今年でお別れ?「ゆふいん文化・記録映画祭」のみどころ紹介

普段ならほぼ毎日雨のこの時期。でも、今年の九州(だけではないけれど)はなかなか降らない。でもムンムンした夏は間違いなくやって来る…と思う頃の恒例行事と言えば、「ゆふいん文化・記録映画祭」だ。

1998年にスタートし、今年で20回目を迎えるこの映画祭は、年初めから今季限りで一旦幕を下ろすことを宣言していた。そのため、今回はプログラム選定にメンバーは頭を悩ませ、何度も何度も試写を重ね熟考を重ねてきた(筆者は一度、疲れでダウンしたほどに)。過去作の名作特集上映にしようか、それとも1月に亡くなった清水聡二実行委員長の遺志を最優先で尊重しようか、あるいはいつも通りに進めるか…。

結果、プログラム決定は5月末までずれ込んだものの、過去作と新作、長編と短編、マニアックさと大衆性の全てが混然としたラインナップとなった。

今年のテーマは「ことば」。映像同様に、ことばで記録すること、表現することに着目した作品が多く並ぶ。それは詩であったり、証言であったり、災害記録や教育、あるいはジャーナリズムであったり…。16作品も上映するのでかなりの長さになるが、根気良くお付き合いくだされば幸いだ。

前夜祭:6月23日(金) 中山太郎8mmカラー映画特集

前夜祭は通常、ゲストなしで静かに行うことが多いが、今回はのっけからゲストを迎え、かなりコアな短編2作を上映する。

福岡を拠点に8mm小型映画を作っていた中山太郎の手による『博多人形』(1952)と『旅役者』(1958)。『博多人形』は、戦後の復興途上にある博多駅周辺や、今やすっかり都市化した福岡市郊外の姿が音声付きのカラーで記録されていることにまず驚くが、現代の博多人形師たちの師匠である小島与一(1886~1970)の仕事を見られる貴重なフィルムでもある。タイミングよく、博多は山笠に向けて盛り上がっている時である。その山笠に欠かせない博多人形の根幹を見ることもできる、オープニングにふさわしい一作だ。

そして『旅役者』は、2013年に亡くなった「佐賀にわか」の名人、筑紫美主子率いる一座の様子と、彼女の生き様を捉えたドラマ仕立てのドキュメンタリー。筑紫は後年、各種の文化賞を受賞するなど「佐賀の人間国宝」となった人で、DVDなども出ているが、この頃は「女だてらに」、そしてロシア人との「混血」という言葉が付きまとう一介の旅芸人だった。

両作品は西日本を代表するフィルムアーカイブ、福岡市総合図書館に所蔵されており、上映後には同図書館の松本圭二氏によるトークが行われる。中山太郎の実相について、直接知ることができる貴重な機会だ。

6月24日(土) 文化・記録映画祭らしさが詰まった1日

前夜祭に続き、24日(土)も古い記録映画2作の上映でスタートする。まずは10時から、「文化映画研究講座」《戦時期日本の文化映画プロダクション・芸術映画社の挑戦》と題し、『機関車C57』(1940)と『或る保姆の記録』(1942)の2本を上映。上映後には森田典子氏による解説がある。

『機関車C57』は、今年で製造開始80年を迎える蒸気機関車のC57と、その周りで働く人たちの様子をドラマチックに描く、鉄道ファンなら大興奮のドキュメンタリーだ。奇しくも隣県の山口県では、現役でC57の1号機が走り続けている。蒸気機関車ファンはC57生誕80周年のお祝いに、ぜひその勇姿を大スクリーンで堪能してみて欲しい。また、博多駅や大分駅には観光客向けの「鉄道神社」があるが、この頃の「リアル」鉄道神社参拝の様子など、鉄道文化の資料映像にもなっている。

『或る保姆の記録』は、水木荘也・厚木たかのコンビによる一作。東京・大井町の労働者街にあり、民主的・先進的な教育を実践していた戸越保育所の子どもたちの様子、保母さんやお母さんたちの声を記録した見応えのある一作だ。既に太平洋戦争中にも関わらず、内容には全く戦時色が無い。『機関車C57』が総動員体制の雰囲気を色濃く出していたのとは非常に対称的だ。その辺りを、森田氏がどのように解説するのかにも注目だ。

そして12時30分からは、今年で10回目を迎える『松川賞』の授賞式と上映、シンポジウム。今年は田上龍一監督の『葛根廟事件の証言』が多数の作品の中から選ばれた。1945年8月14日、日本敗戦の前日に満州で起きた事件の数少ない生存者や関係者の証言を丁寧に構成した作品だ。

14時40分からは、これぞ文化・記録映画祭の真骨頂。コアな科学映画3本の上映だ。映画と雲のマニアだったという伯爵・阿部正直が撮った『雲と気流』(1946)と『富士山 雲の動き』(1929)。特に後者は、無音でひたすら富士山の周りに形成される雲の様子が映され続ける。早回しで流れる雲、そして相撲の決まり手のような雲の名前を見続けるうちに、不思議なトリップ感さえ生じてくる。科学映画でありながら、これはもう前衛モダン・アートの世界でもある。

その2作に続いては、文化・記録映画祭では3回目の上映となる『真正粘菌の生活史』(監督:樋口源一郎、1997)を上映し、宇宙物理学者の池内了(さとる)先生のゲストトークを行う。この作品も科学映画でありながら、その映像はまるで高度なグラフィック・アートや抽象アニメーションのようでさえある。小さな小さな粘菌がスクリーンで大写しになるスリルと快感をぜひ味わって頂きたい。

そしてその年の目玉作品が上映される土曜の夕方、17時20分からは『無音の叫び声』(監督:原村政樹、2015)。小川プロの作品群でもお馴染み、山形の農民詩人、木村廸夫さんのドキュメンタリーだ。作品自体の素晴らしさも勿論だが、舞台となった山形県の上山市とゆふいんは、第5回(2002年)での『満山紅柿 上山―柿と人とのいきかい』(監督:小川紳介 彭小蓮、2001)の上映以来、ずっと縁を紡ぎ続けており、遠く離れた小さなまち同士の交流の場にもなるだろう。当日は原村監督と農業者の菅野芳秀さんがゲストとして来場され、上山市からも数名が来場されるとのこと。(もしかしたら)会場では、玉こんにゃくやサクランボなどの、上山のおいしいものも…?

余談だが、木村廸夫さんの学校の先生で、今井正の映画『山びこ学校』の原作者でもある無着成恭さんは、現在すぐそばの別府市に住んでいる。

そして終了後は、会場近くの乙丸公民館で「花の盛りの懇親会」と銘打ったお祭りが。ゆふいんのおいしいものとお酒を堪能しながら、ぜひゲストや地元の人たちとの交流を楽しんでください。

毎年恒例、neoneo読者へのプレゼントとして、筆者(大塚)を見つけて「neoneo読みました」と声をかけてくださった方には、ゆふいんのおいしい水で作った、ノドごしさわやかな「ゆふいんサイダー」かコーヒーをごちそうします。

6月25日(日) 「ことば」を見つめ、過去と未来を見つめる

日曜日の朝10時、テレビでニュースワイドショーや政治討論番組が流れる時間帯に上映するのは『抗い 記録作家・林えいだい』(監督:西島真司、2016)。昨年から福岡県を中心に上映が続き、じわじわと評判が拡がっている作品だ。まるで見る者に「お前にはこれだけの覚悟があるのか?」と迫るような林えいだい氏の迫力に圧倒され、同時に九州の近現代史をも振り返らせる一作。上映後は、作家の黒川創さんをお招きしてゲストトークを行う。

昼13時10分からのプログラムでは、再び短編を三連発。岩波映画の羽田澄子氏が脚本を書いた、農村啓蒙映画の『嫁の野良着』(演出:森永健次郎、1953)。そしてなぜ江戸~明治期に日本の識字率が高かったのかを、当時の寺子屋のシステムから探る『文字の普及』(演出:大島善、1995)の2本を16mmフィルムで上映する。

この2作は、今年から由布市湯平にオープンする「由布市教育フィルムライブラリー」所蔵作品からのセレクションになる。この6月、大分県が数十年に渡り収集していた教育用16mm映画、その数2000本ほどを由布市に移管し、記録映画保存センターや文化・記録映画祭の協力により再活用することとなったという、新たな活動の広報も兼ねている。先日は映画祭メンバーもフィルム掃除や選別作業を行ったが、このようなフィルムが全国で大量に埋もれていると思うと、同様の動きが各地で活発になることを願ってやまない。

それに続いては、地元・別府市在住の元TVディレクターで現在は画家として活躍する、細田英之監督の『ことばを超え、境界を越える詩』(2003)。佐賀県唐津市に住んでいた、詩人の故・高橋昭八郎氏を追いかけたドキュメンタリーだ。『無音の叫び声』の木村さんのプリミティブな詩とは対称的に、とても現代的なヴィジュアル・ポエットの作家なので、対比して観るのも面白いだろう。

15時からは、今年公開されて評判を呼んだ『息の跡』(監督:小森はるか、2016)を上映する。残念ながら主人公の佐藤貞一さんは来場されないが、映画祭にメッセージを寄せてくださる予定だ。それを受けて、ゲスト来場される小森監督はどのような話をするのか?

この作品は、当地大分県の映画館でも上映されたが、上映期間も短かった上に観客も非常に少なかった。しかし、観賞したメンバーの評価は非常に高く、この作品をリブートしたいという気持ちから上映に至ったという経緯もある。作品の詳細は他を読んで頂くとして、作った人出演する人、すべての人々の心を感じられる秀作だ。

そして最後のプログラム、18時10分からは文化・記録映画祭に無くてはならないふたりの監督、時枝俊江監督の『ぶんきょうゆかりの文人たち−観潮楼をめぐって』(1988)と松川八洲雄監督の『マイブルーヘブン 吉野作造 デモクラシーへの問い』(2002)の2本を上映する。2作とも、書いて記録することと表現すること、あるいはその自由を守ることの意味について考えさせてくれる映画として、映画祭の締めにふさわしいだろう。上映後には作家の森まゆみ氏によるトークも行われ、その後の懇親会でお開きとなる。

文化・記録映画祭は続くのか?それとも…?

以上が今年のラインナップだが、映画祭中、そしてその後は「これからどうするの?復活しないの?」という問いかけが多く出てくることだろう。

その前にまず、冒頭に書いたように、今年1月に映画祭が清水実行委員長を失ったことに触れなければならない。清水委員長は数年前より癌を患っていたが、昨年の第19回映画祭以降は入退院を繰り返すようになり、年明けに容態が急激に悪化。そのまま帰らぬ人となった。通夜・葬儀の際は会場に入れないほどの人が詰め掛けたことが示すように、映画祭はもちろん、由布院にとってもまちのリーダーを失うという大きな損失だった(大分県内の新聞や、雑誌「サライ」5月号・中谷健太郎氏インタビューなどで言及されている)。

清水実行委員長も小林華弥子事務局長も、20回を区切りに映画祭の役職から一旦身を引くことはかねてより関係者に伝えていたが、それでも区切りとなるはずの20回を前に他界した無念さを思うと、5ヶ月が過ぎた今でもやり切れない。

以前、筆者は清水実行委員長と今後に関して話した際に「1年にひとりでも、僕よりも若くてまちに暮らす人が試写や準備に加わるようになれば、映画祭は続くと思います」と話したことがある。今までの経験から、20代、30代のコアメンバーが定期的に加わり新陳代謝を促進しなければ、そのイベントは中長期的に衰退するという感触があったからだ。

しかし、2013年に映画祭に関わるようになって以来、(以前からのメンバーを除き)自分より年下でコアメンバーに加わる地元の人はいなかった。

この文化・記録映画祭は映画上映が全てではない。映画祭をつくりあげること自体が「まちづくり」にも繋がっている。作家主義にも集客主義にも寄らず、映画に詳しいかどうかに関係なくメンバーが一緒に映画祭を作り、ゲストと遠来の観客、地元の人が映画を通じて一緒に何かを考え、経験することに重きを置いている。そのようなポイントを今までの実行委員長と事務局長は長年に渡り発展させ続け、リピーター観客と地域社会の信頼を拡大してきた。それを受け継ぐ~しかも地域の偉大なリーダーたちの後を継ぐというのはもの凄いプレッシャーである。完成度が高く優れた前任者たちがいたが故のジレンマだ。

そのような課題とプレッシャーを受け止めてリーダーになる人が出てくるのか、或いは全く新しい「文化・記録映画祭」を創造する人が出るのか。いずれにせよハードルは高い。来年の今頃は「あれは閉店サギだったね」なんて言えるようになっていれば良いのだが。

 

第20回 ゆふいん文化・記録映画祭

日程 2017年6月23日(金)― 25日(日)
会場 湯布院公民館、乙丸公民館劇場(大分県由布市)

公式サイト http://movie.geocities.jp/nocyufuin/home.html

【執筆者プロフィール】

大塚 大輔(おおつか・だいすけ)
1980年生まれ、大分県大分市在住。2013年からゆふいん文化・記録映画祭にスタッフ参加。他に福岡インディペンデント映画祭でも、韓国語通訳・字幕翻訳、企画立案、作品審査などを担当。召集がかかれば、裏方からトークMCまで、雑多な形で映画祭や自主上映会の手伝いをしている。昼間は別府市役所で、外国語専門スタッフや日本語講師としても働いている。