開拓者(フロンティア)たちの肖像〜
中野理惠 すきな映画を仕事にして
第59話 ソクーロフ漬け
お成り試写会
「すぐに会場に入って」と誰かが叫んだのか、正確な記憶が残ってないのだが、ヤクルトホール後方の入り口(2階になる)に向かって、小走りになってしまったところ、紀子様も後ろから小走りになっているではないか!入口を開ける係だったパンドラスタッフの斎藤さんと麻生さんが二人で、両扉をさっと開けてくれた。他の方々は既に座席に就いているので、「すみません、すみません」と言いながら、中央座席まで辿り着いた。終了後、「壇上に立ったら、正面の席が二つ空いているじゃないですか」
と中村監督か選手のひとりが言っていたのを覚えている。舞台監督が間違って、紀子様が着席される前に開始してしまったのだった。冷や汗ものだったが、終了後は、ロビーでお見送りした選手たちひとりひとりに声をかけられてから、退場された。駐車場で監督と二人でお見送りをして、無事、試写会を終了することができた。
都内23区すべての区役所に
「アイ・コンタクト」は、宮重が中心になり、東京都内23区のすべての区役所の福祉課を回り、上映会を働きかけたり、中学校校長会の事務局へ行き、都内の公立中学校の校長先生たちに上映会を呼びかけたりなど、時間をかけたのだが、実際にはさほど、上映会が実現しなかった。残念でならない。
ソクーロフ漬け
さて、この時期、外国映画としてはソクーロフの『牡牛座 レーニンの肖像』(2001年製作/日本公開は2008年)『チェチェンヘ アレクサンドラの旅』(2007年製作/日本公開2008年)『痛ましき無関心』(1983年製作/日本公開は2008年)を配給している。
『牡牛座 レーニンの肖像』『チェチェンヘ アレクサンドラの旅』は共に傑作である。『牡牛座』は、共産党政権下のロシアに育ったソクーロフでなければ作れない作品で、『チェチェンヘ』からは、ソクーロフの成熟した表現が見えてきた。いずれも世界的に高い評価を受け、数々の映画賞を授与されている。この2本でソクーロフは世界映画史にゆるぎない地位を築いたと思う。
Taurusから『牡牛座 レーニンの肖像』へ
そういえば、『牡牛座』の邦題には思い出がある。この邦題は英題Taurusの直訳で、パンドラで配給を担う前に、この作品に関わっていた日本の会社が付けてあった題名だったので、疑問を抱かずにそのままで印刷物を進めていた。印刷所への入稿の朝、会社に向かっている時、突然、『牡牛座』だけだと、星占いの映画と解釈されないか、と気づいた。急いで、当時、印刷物や書籍の編集をお願いしていた稲川さんに伝えると、「確かに」となり、時間がなかったので、<レーニン>をつけると観客に内容が伝わりやすいとなり、<肖像>は二人で話し合っている中で加えたのだと思う。
『チェチェンヘ アレクサンドラの旅』と『痛ましき無関心』
『チェチェンヘ アレクサンドラの旅』はロシアのアフガン侵攻の記憶がまだ新しい時だったので、英題Alexandraに迷うことなく<チェチェンヘ>を付けたのだった。ロストロボ―ヴィチ夫人のオペラ歌手ビジネフスカヤは堂々たる演技で、本作が80歳を過ぎて初めて演じたとは思えないほどの存在感あった。
バーナード・ショウ原作の『痛ましき無関心』は、何が何だかわからない部分の多い作品だった。確かソクーロフの特集の際に上映したのだったと思う。ところが、『ボヴァリー夫人』は、とんでもない事情で配給することになったのである。
<第60話につづく>
中野理惠 近況
2日間だけだったが山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加。山形市内に自転車レーンが作られていました。すばらしい!
映画祭のメイン会場(山形中央公民館)の玄関