【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜 中野理惠 すきな映画を仕事にして 第57話 第58話


第58話 『プライドinブルー』『アイ・コンタクト もう1つのなでしこジャパン~ろう者女子サッカー』

<前回 第57話 はこちら>

レストランから渡された伝票には、何と、隣のテーブルへと私たちを誘ってくれた日本人の食事代も含まれていたのである。


『プライド
inブルー』

2007年7月、ドキュメンタリー映画『プライドinブルー』をテアトル新宿で公開している。この作品は知的障がい者による日本チームが出場したワールドカップの試合と、参加した日本人選手を追ったドキュメンタリーだ。製作の途中から共同プロデューサーとして参加しているのだが、引き受けたいきさつについての記憶が曖昧だ。だが、松井建始さんという当初から参加していたプロデューサーと、中村和彦監督のことはよく覚えている。何故なら、しょっちゅう喧嘩をしていたからである。松井さんとの喧嘩はさほどではなく、最後にはお互いに理解し合えたと思っている。宮重の記憶でも同じなのだが、喧嘩の原因は記憶から消えていた。

『アイ・コンタクト もう1つのなでしこジャパン~ろう者女子サッカー』

中村監督とは、その後2010年9月18日(土)にポレポレ東中野で公開した『アイ・コンタクト もう1つのなでしこジャパン~ろう者女子サッカー』でも一緒に仕事をしたのだが、やはりしょっちゅう喧嘩をしていた。中村監督は誠実でまじめ一方、信頼できる人物なのだが、九州男児でちょっと頑固な面があったのと、何よりも私が短気だったことが大きい。喧嘩とは別に製作も配給も楽しかったし、作品はよくできていたと思っている。

ろう者との出会い

戦時中、伊豆の家に当時の東京のろう学校が疎開していたことで、母は簡単な手話ができた。時折、みせてくれていただけではなく、疎開していたろう学校の教師だった方の東京の家を母と一緒に訪ねたこともある。また、子供のころ<おマチさん>というろう者の女性がウチに住み込みで働いていた。炊き上がったご飯の上を覆う白米のノリを真っ先に自分が食べる。ある時、祖父が「そのうみゃあとこをオラにくりょう」(その美味しいところをオレにくれよ)と頼んだのだが、「ヤダ」と首を振られたそうだ。また、ろう者の両親の許で育った少女が音楽家を目指すストーリーのドイツ映画『ビヨンド・とサイレンス』を配給していたことなどで、手話を身近に感じていた。

映画の内容は、2009年に台北で開催された第21回夏季デフリンピックに初出場した、ろう者女子サッカー日本代表チームの試合、練習風景などを中心に、日常生活やろう教育の変遷を取り上げたドキュメンタリーである。選手の女性たちは、手話で目まぐるしく会話し、闊達で元気溌剌、一緒にいると楽しかった。

お成り試写会

どこでどう始まったのかは覚えていないが、手話をなさる秋篠宮妃殿下紀子様に映画を見ていただくことになった。試写会場はヤクルトホール。車でのご到着からずっとお先導をするように、とのことだったので、監督と一緒にお迎えして、私は控室の前で待機していた。ところが、気づくと、会場内から開始のアナウンスが聞こえてくるではないか。紀子様はまだ控室に待機している。お席に着かれる前に始まったのだろうか。その場に緊張が走った。

(つづく。次は11/15に掲載します)

 

中野理惠 近況
ヘルツォーク作品10本の特集を新宿のK’s cinemaさんで開催中。今回は、日本劇場初公開の『問いかける焦土』を上映できるのが嬉しい。