2018年1月6日(土)~19日(金) 再上映決定!
小野さやか監督第2作『恋とボルバキア』公開記念
観る者に衝撃を与え、リピーターが続出した
『アヒルの子』が7年ぶりの再上映!
2010年に劇場公開され“家族を壊す”小野さやか監督自身が突き動かしてゆく物語に各所で衝撃を与えたドキュメンタリー映画『アヒルの子』。小野監督の第2作『恋とボルバキア』公開記念として7年ぶりに再上映されます。家族のかたちを問い直す強い衝動を持った本作は公開当時、同じような悩みや苦しみを持ったたくさんの人に響き、リピーターが続出しました。その衝撃的な内容によりソフト化できない『アヒルの子』久しぶりの劇場上映、是非お見逃しなく!
【日時】2018年1月6日(土)~19日(金) 連日15:30~
【劇場】ポレポレ東中野
1/12(金),14(日),17(水),19(金)上映後、小野さやか監督の舞台あいさつあり
『恋とボルバキア』半券提示で相互割引あり
小野監督最新作『恋とボルバキア』好評上映中!!
ポレポレ東中野ほか、全国順次公開。公式サイトはこちら
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【Review】 『恋とボルバキア』(小野 さやか監督)――性を通して生を知る text 大田裕康
家族の中での「いい子」の「私」。
「私」は「わたし」を取り戻すために「家族」を壊す決意をした。
あいまいな「生きづらさ」と対峙し 現代日本の「家族」の在り方を問い直す迫真のドキュメンタリー。
<イントロダクション>
「家族」って何だろう?「私」って何だろう?。地域共同体が崩壊し、核家族化が進む現代日本で、揺れ動いている「私」と「家族」の関係。世界中のさまざまな事件の情報が日々溢れていても、「私」と「家族」の関係は多くの人にとって最も身近な問題ではないでしょうか。秋葉原通り魔事件、川口在住・中学生女生徒の父親刺殺事件・・・日本で起こっている数々の事件の背景には家族の問題が潜んでいます。
カメラの前に自らをさらけ出した監督・小野さやかが撒き散らす自己嫌悪の衝動は、親子の価値観の違い、姉妹間の愛憎、性的虐待・・・様々な「家族」の問題をえぐり出します。あいまいであるけれども強烈なその衝動は、観る者それぞれの家族観を大きく揺さぶることでしょう。本作は決して、彼女とその家族だけの物語ではありません。現代を生きる「あなた」とその「家族」の物語でもあるのです。
<ストーリー>
家族を離れ、東京で一人暮らしをしながら専門学校に通う小野さやかは、自らの内面に巣食う生きがたさに悶え苦しんでいた。自分は価値がない、誰にも愛されていない、必要とされていない、生きる意味がない・・・。
その原因は、彼女が5歳のときに家族の下を離れ、ヤマギシ会の幼年部に1年間預けられたことから端を発する。その1年間を彼女は家族から「捨てられた」と思い、2度と捨てられないために[いい子]を演じてきた。しかし、彼女は「いい子」であり続けてきたことが自分自身を苦しめていることを発見し、自らを解放するため自分の内面を縛り付けている「家族」一人一人と対峙する決意をする。怒り、憎しみ、悲しさ、寂しさー。全ての感情を家族にぶつけた彼女が行き着く先とは・・・
『アヒルの子』
(2005年/日本/90分/4:3/カラー)
監督:小野さやか
製作総指揮:原一男
撮影:山内大堂
録音:伊藤梢
制作・編集:大澤一生
配給:ノンデライコ
<コメント>
原一男(映画監督)
なぜ人を傷つけることを恐れるのだろう? なぜ自分が傷つくことを避けるんだろう?
傷つけ、傷つけられることで、はじめてお互いが理解できるし、共感と尊敬の念が起きてくる。コミュニケーションとは、戦いなのである。傷つけ、傷つけられることを避けたがる今時の若者たちの風潮に対して、小野さやかは果敢に宣戦布告をした。「アヒルの子」は、その戦いの記録である。が、ここに勝者はいない。小野自身が傷つき、血をしたたらせて呻いている。その姿が切なく、胸を打つ。
園子温(映画監督/詩人)
家庭は荒野だ。この若く魅力的な女性作家は、この荒野を一人で、勇気を持って横断していく。
愚直なまでの素晴らしい誠実さで描かれた、この驚異のドキュメンタリーは女の子バージョンの「ゆきゆきて、神軍」である。
傑作であるばかりか、行き着く先は神がかってすらいる。誰もが感動しないわけにはいかないだろう。
藤原新也(作家/写真家)
この映画はサヤカの生きる過程を活写した“なまもの”である。敢えて言葉に置き換えるならそれはドキュメントでもノンフィクションでもなく、ライブムービー、さらに言えばアライブ(生きている)ムービーであると言える。