【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」 第13回 世界の始まりへの旅 text 福間恵子

福間恵子の「ポルトガル、食と映画の旅」
第13回 世界の始まりへの旅

<前回 第12回 はこちら>

ポルトガルの二大新聞のひとつ「ディアリオ・デ・ノティシアス」(Diário de Notícias)のWEB版の記事に、興味深いものがあった。「北の地方では、なぜクリスマスにタコを食べるか知ってますか?」という見出しである。ポルトガルのクリスマスといえば、国じゅうでタラ料理を食べる伝統がある。

「『独裁者』サラザールは、かつてポルトガルのタラ漁を守る伝統をつなぎとめるために尽力した。ところが、北部の人々はスペインのガリシア地方からやってくる『宝料理』(タコ料理)を作るに至る方法をいつも調達していた。この歴史は、国境地域で、抵抗精神とともに内密に受けつがれてきた。そして、この地方でもクリスマスにはタラを食べることになっていた固定観念に対抗して、クリスマスでもタコを食べることにしてきたのだ。」

というのが記事の概要である。

スペインのガリシア地方といえば、ガリシア語がいまなお話され、あの「巡礼の道」終着点のサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂があり、タコが大名物の土地である。国境となるミーニョ川をはさんでイベリア半島の北と南の地域は、ポルトガルとスペインの関係以上に、歴史的にも文化的にも長く密な交通があった。ケルト文化はポルトガル北部にもガリシアにも残っているし、ガリシア語とポルトガル語はとてもよく似ていて、学術的にはポルトガル語はガリシア地方とミーニョ地方で生まれたと言われている。

アルト・ミーニョとガリシアの地図

マノエル・デ・オリヴェイラ監督の1997年の『世界の始まりへの旅』(『Viagem ao Princípio do Mundo』)は、国境であるミーニョ川のポルトガル側を上流へと車で走りながら物語を進めていくロードムービーである。この映画を初めて観たときから、「旅」の目的地である国境近い寒村にいつか行ってみたいと思ってきた。同時に、映画に登場するペドロ・マカオという男の彫像が心に引っかかってもいた。

ポルトガル北部には、トラス・オス・モンテス、アルト・ドウロ、そしてミーニョという地方があり、そのなかのとりわけ国境に近い村はきびしい環境にある寒村が多い。『世界の始まりへの旅』がめざす村は、ミーニョ地方のはずれあたりではないかと見当をつけていた。はたして行けるのだろうか。

一方で、ミーニョ地方、なかでもその北の地域アルト・ミーニョ(Alto Minho)は、スペインのガリシア地方とともに、白ワインの高級ぶどう品種アルヴァリーニョの産地として世界的に有名である。

日本ではまだまだ知られていないけれど、ポルトガルはワイン王国である。ポルトガル独自のぶどう品種の数は、赤白合わせて20品種を下らない。各地域ごとに、その土壌に合った品種が育てられ守られてきた長い歴史がある。近年は、世界制覇したカベルネソーヴィニオンやシラーやシャルドネなども入ってきているが、少数だし、その醸造元は外国資本だったりすることが多い。独自の品種を組み合わせながらポルトガルでしか生まれないワインをつくりだしているのは、決して大きくない醸造元や町単位の協同組合である。こういう背景を持つポルトガルワインは、フランスやイタリアやそれを追うスペインに比べると、全体の生産量は少ない。もちろん小さな国だからということもある。さらにワインの「権威」を持つフランスやイタリア(スペインまでも!)では、ワインのみならず国としての「権威」も加わるということもあり、ポルトガルワインの評価は低かった。だからもっぱら国内消費の歴史が長かった。ところが、ワインの需要が世界的に増えて「権威」や「優劣」よりも実質が評価されるような時代に移行しつつある昨今、ポルトガルワインは少なからずも脚光をあびている。当然だと思う。同じ値段のフランスワインとポルトガルワインを飲み比べたら歴然としている。1000円のポルトガルワインは、2000円以上のフランスワインに匹敵する。

もともとわたしはワイン好きだけれども、ポルトガルとつきあうようになってから、日本でもポルトガルワイン一辺倒だ。理由はいたって簡単、安くておいしいから。店頭で出会えることは少ないので、もっぱらネットで購入する。わが家のパーティに来た人は、値段と味を知ってみんな驚く。ちょっとエラそうなフランスワインに絶対負けない。こんなことを言ってると、なんだかポルトガルワイン普及協会代表みたいになるが、ほんとうにポルトガルのワインはいいのだ。

ああ、話が脱線してしまった。

アルト・ミーニョのアルヴァリーニョである。オリヴェイラ作品のみならず、アルヴァリーニョをその産地で飲むことも夢見ていたのだ。

2012年3月、わたしにとって9回目の旅になるポルトガル。夫は、北の都市ポルトにまだ行ったことがなかったので、ポルトに行くならミーニョ川の国境近いあたり、アルト・ミーニョにも行こうということになった。

リスボンからアルト・ミーニョの国境沿いの町モンサオン(Monção)まで、バスでダイレクトに行くルートはひとつしかなくて、一日2便。モンサオンが終点である。リスボンに着いた翌日、13時発のバスで7時間近く揺られて、モンサオンに着いたときはもう真っ暗だった。地図も持っていなければ、宿の予約もしていない。バスの運転手に町への道のりを教えてもらって歩く。ここモンサオンは城壁に囲まれた町だった。リュックを背負って、5、600メートル歩いて、城壁の中に入りやっと町の中心あたりにやってきた。おごそかでしぶい建物が並んでいる。歴史を感じさせる古い町である。

やっと見つけたと思った二つのホテルは、ブザーを鳴らしてもどちらも反応がない。通りを歩く人も少ない。たまたま店から出てきたおばさんに尋ねる。広場の向かいのカフェに行くといいよ、と教えてくれた。もう20時半を過ぎている。カフェに行って聞くと、そばに座っていたおじさんがペンサオンの主人だった。案内してもらったところは看板も出ていなかったが、ちゃんとしたペンサオンだった。きれいに掃除してある部屋はベッドも二つ、シャワー付きで30ユーロ。即決。おなかもペコペコだ。

荷物を置いてすぐ広場に戻り、先のカフェの地下のレストランに直行した。さあアルヴァリーニョだ。やはりけっこう高いが、ここで飲まずしてどうする。奮発した。「白ワインの女王」とも呼ばれるこのワインは、ほのかなぶどうの香りの立つ高貴な味だった。美味しかった。このときの料理はあまり感心しなかったが、ワインで満たされるものがあった。

翌朝早く、町を一周した。ペンサオンからほど近い城壁を出ると、川に沿った公園があり、そこを抜けて川岸に立った。護岸工事などされていない自然のままの川は、水深も浅く向こう岸まで20メートルもないほどだった。ここを渡ればスペインだ。小川の向こうは隣の国。国境などないに等しい。トラス・オス・モンテス地方の国境の町、ミランダ・ド・ドウロとなんと違うことだろう。そこは高地の谷底を流れるドウロ川を隔ててポルトガルとスペイン。あちらとこちらが、ちゃんと地形で区切られている。

いまここ、走って渡れそうなミーニョ川対岸の、生い茂る樹々を見ていると、ミーニョとガリシアがまるで兄弟のような濃密な関係にあるだろうことが想像できる。

モンサオンの城壁とミーニョ川。対岸はガリシア。

10時をすぎると、町には人があふれてきた。観光案内所も開けていて、今日は市(フェイラ)が立つ日だという。地図をもらい、モンサオンからもっと東、ミーニョ川の上流の町メルガッソMergaçoに行くバスがあることを知った。その町こそが、アルヴァリーニョの土地なのだそうだ。その奥の国境付近に『世界の始まりへの旅』の目的地となった村があるのではないかと思っていた。

メルガッソへのバス便は、案内所で言われた「何本もあるわよ」は大ウソで、一日往復1便しかなかった。こういうウソは、すでにほうぼうで何度も経験しているので、あやしいとにらんでバスターミナルに足を運んで調べたのだ。午後1時50分に出て夕方には戻ってくる。これしかない。

いつも思うことだが、なぜ案内所はバス時刻情報を持っていないのだろう。バスターミナルは町の中心から離れたところにあることが多いので、そこまでわざわざ行って調べなければならない。まれに親切な案内所の人がいて、電話で尋ねてくれたこともあるが、これまでに二度しかない。田舎ではバスを利用する人は決まっていて、時刻を把握しているのは当たり前。辺境の地をバスで旅する人などごく少数で、みんな車で移動するのだ。

そのころには、こういうスローな旅もいいもんだと思うようになっていたからいいけれども、それにしても遅々たる歩みの旅である。

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