【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」 第13回 世界の始まりへの旅 text 福間恵子

さて、気になっていたペドロ・マカオである。そもそも「マカオ」という名前と、映画のなかの彫像の風貌と丸太をかついでいる様子からして、マカオから来た働き者の男ではないかと想像していた。

映画では、マノエルが子どものころに見た彫像がこのあたりにあるはずだ、と車中で話していて「あれだ、あれだ!」と叫んで、車を降りてそれを見に行く場面だ。背景については説明されないが、罪を「背負っている」男ペドロ・マカオなのだと、通りがかった村のおばちゃんに教えられる。おばちゃんはペドロ・マカオの詩があるよ、と暗唱する。

  わたしはペドロ・マカオ

  丸太を背に乗せて

  門の上から見ている

  たくさんのガリシア人や

  白い肌の人や黒い肌の人が

  通りすぎるのを

  みんなはわたしの悪を思い出す

  でも、だれもわたしをこの罪から救ってはくれない

ペドロ・マカオは、ぶどう園の玄関の塀の上にいる。中世の馬車の召使のような衣装にフチなし帽をかぶり、濃い眉と立派な髭のりりしい顔の男だ。左肩に丸太をのせ、右足を立膝にして左足を塀にひざまづいている。左腕はひじ上から下がちぎれて無い。この丸太は、奥のぶどうの木を支えているので、彼はいつまでも丸太をはずすことができない。

ペドロ・マカオ

ペドロ・マカオの「罪」を調べた。

「ペドロ・マカオはガリシア人で、ガリシア地方のオウレンセからビゴーへの鉄道の石造物を作る会社の、現場の親方だった。その石職人のなかには、ミーニョから来ているポルトガル人バレイロスという男がいて、ほかのポルトガル人労働者よりも責任のある仕事をしていた。ペドロ・マカオとバレイロスの関係はいつも対立が絶えず、ペドロ・マカオは、親方たる自分がポルトガルチームと一緒に働くのがいやだった。だからポルトガル人たちは、上司の彼に対して尊敬の念を抱かなかった。

ある橋の建設中に、ペドロ・マカオの挑発によって、雇い主と石職人の間に諍いが起きた。それによって、ポルトガル人労働者が会社から追放されるという事態になった。

その復讐として、ペドロ・マカオの恐ろしい悪事を忘れないために、彼らは彫像を作った。それは、バレイロスの家の門の上で人目にさらされている。彫像の下には、ペドロ・マカオに捧げた詩句が刻まれている。」

この詩句の出だしが、先のおばちゃんが暗唱したものである。この「事件」が起きたのは1940年前後と思われる。

この彫像は、人間の罪への見せしめとして、言い伝えられいまも残されている。アルト・ミーニョでは、子どもが悪いことをしようものなら、「ペドロ・マカオみたいになるよ」と親の脅し文句に使われたらしい。子どものマノエルも、ペドロ・マカオを見せられながら、両親にそんなことを言われたのだろうか。

それにしても、だ。「復讐」というからには、直接的に恐ろしいことが起きてもおかしくはなかっただろう。それを、身動きできない石の彫像にして、詩まで刻んでいるところに、またしてもガリシアとミーニョの「兄弟」のような愛憎を感じてしまう。

『世界の始まりへの旅』の最後、旅の余韻のなかにいるアフォンソは、撮影のためのメイクに時間がかかっている。髭を付け帽子をかぶった自分を鏡の中に見て、ペドロ・マカオを思う。帽子を取り、まるで丸太を載せるように左肩に帽子を置く。そしてペドロ・マカオに捧げられた詩を詠む。ちょうどそこに監督と俳優二人がやってきて、ドアの外からアフォンソの様子をのぞきこむ。三人の笑い声で、見られていたことに気づいたアフォンソは気まずそうに照れてみせる。そして鏡に向き直り自分に言う。

「アフォンソ、おまえも(またペドロ・マカオ)だ。もう以前と同じではない。別な人間なのだ」。

そして監督に向き合って言う。

「マノエル、あなたもまたもうひとりのペドロ・マカオだ。だれもあなたをその罪から逃れさせてくれない」。

自分の犯した罪から逃れられない。その意味では、人はだれもがペドロ・マカオなのだ。ペドロ・マカオの彫像は、重い丸太を背負いつづけることで、人々にそれを伝えている。国も言語も貧富の差も越える力を持って。

アフォンソもマノエルも、たった半日の旅のなかで、ここまでの人生を大きく振り返る事物に出会った。それはそれぞれの「世界の始まり」であり、さらなる「旅の始まり」となる。オリヴェイラ監督はそのことを強調するような画づくりを意識した。村に向かうまでの車からの目線はつねにうしろ=過去を向いていて、村を去るときに初めて前への視線となる。車のうしろにつづく白いセンターラインは、ここまでの人生の道筋だというように。

わたしと夫は、モンサオンからヴァレンサへと向かうバスの中から必死でペドロ・マカオを探したが、見つけられなかった。もしかしたら、モンサオンからメルガッソへの道の途中にあったのかもしれない。結局は、ヴァレンサからヴィアナ・ド・カステロへの列車の中から、ミーニョ川の対岸ガリシア側に立つ「神学校」と思われる建物を確認できただけに終わった。

わたしの旅の道筋はいつも右往左往して、なかなかまっすぐなラインにならない。そしていつまでも旅の途中である。わたしにとっての「世界の始まり」も、ポルトガルのどこかにある。そんな思いを抱きながら、旅をつづけている。

今日はクリスマス。ミーニョとガリシアでは、母ちゃんたちがタコ料理を作っているだろうか。思い起こせば、ポルトガルでタコを食べたのは、北部の町でばかりなのだった。

(つづく。次回は2月5日に掲載します)

わが家の定番タコ料理

福間恵子 近況
「室野井洋子さんを偲ぶ会」が12月24日に行なわれた。彼女が長年ダンスのワークショップを持った美学校有志の主催で、50人近い人たちが集まった。追悼文集も出された。福間健二監督『わたしたちの夏』の白い衣装の彼女は、観た人に強いインパクトを残していて、会でも話題になった。公演の映像の彼女の研ぎ澄まされた身体表現を見ながら、かけがいのない存在を失ったことをあらためて痛感した。わたしも福間健二も30年近いつきあいだった。