【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」 第13回 世界の始まりへの旅 text 福間恵子

町にいったん戻る途中で、城壁の外の空き地に立つ市をぶらぶら見て歩いた。週に1回の市は、たくさんの店と人でにぎわっている。なぜか服の店が多い。おどろいたことに、あちこちからスペイン語が聞こえている。駐車場にはスペインナンバーの車がずらり並んでいる。ガリシアから来たにちがいない。橋を渡ればポルトガルなのだ。ここにもガリシアが見えている。

バスは、市で買った野菜やパンの袋を両手に持った老人たちを大勢乗せて、定刻に出た。モンサオンの町を出ると、道路の左右はぶどう畑ばかりだった。新芽がやっと出始めた低木。アルヴァリーニョの木だろうか。添え木も何もないから、ここにぶどうの実がほんとうに生るのかと思うほど低い。メルガッソには35分で着いた。バスの停留所が町の中心のようで「アルヴァリーニョの町」と書かれた看板があった。バスの運転手に「ここに5時だぞ。あそこに城がある!」と言われた。

城はすこし高台にあり、とにかくそこに行く。上に登ると、四方が見渡せた。すぐ北側をミーニョ川が流れ、川の向こうにはガリシアの村が点々と見えた。東にはなだらかな山があり、そこにも国境を挟んだ村が点在している。

しかし、『世界の始まりへの旅』のあの寒村らしき光景はどこにも見えない。あの村はメルガッソのさらに上流ではないのだ、たぶん。旅に出る前に、その村の名前をチェックしてこなかったことを悔やんだ。さて、どうしたものか。ここには観光案内所もない。思えばいまから5年前はまだ、wifiの普及などごく一部で、旅先ですぐネットで調べられる状況ではなかった。

タクシーで国境まで行って、そのあたりを走りながら探すか、迷った。帰りのバスまで2時間を切っている。情報のなさと費用と時間。マイナス条件が多すぎてあきらめざるを得なかった。

メルガッソはとりたてて個性のある町ではないが、やはりガリシアとの共通点が見えた。畑のなかの穀物貯蔵庫である。石と木でできた高床式の、とうもろこしを保存するための倉庫。エスピゲイロと呼ばれるこれがあちこちにある。雨が多いガリシアとミーニョの土地柄に合った独特のつくりで、一見、高貴な人の墓だろうかと思うようなりっぱなものだ。ミーニョとガリシアの風物になっている。

町には、日焼けした恰幅のいい男たちが目立った。ぶどう農園で働く人たちだろう。そのなかには黒人の人もいた。こんな最北にまで、仕事を求めてやってきているのだろうか。

わたしたちは、町の通りを国境方向へと歩いたが、ふつうに家々が続いているだけだった。

ミーニョとガリシアの風物エスピゲイロ

『世界の始まりへの旅』は、映画監督と俳優三人が登場する。監督はオリヴェイラ自身を投影した人物で、マルチェロ・マストロヤンニが演じる。俳優の二人は、オリヴェイラ映画常連のレオノール・シルヴェイラとディオゴ・ドリアで、たぶんポルトガル人の俳優として登場している。もうひとりの俳優はフランス人のジャン・イヴ・ゴーチェが演じていて、彼(アフォンソ)の父が生まれた村を訪ねるという「旅」の物語だ。この旅の起点は、ポルトか、その北の海沿いの、アルト・ミーニョの代表都市ヴィアナ・ド・カステロだと思われる。ここから大西洋に面した道を北上して、国境のミーニョ川の河口の町カミーニャから川に沿って北東に進む。鉄道の国境駅の町ヴァレンサを通り、モンサオンとメルガッソもたぶん通過して、「父の生まれた」寒村カストロ・ラボレイロへと至る。この村は、はたしてメルガッソの南東 3、40キロのあたり、国境の高い山のふもとにあった。

わたしと夫の旅は、カストロ・ラボレイロへは行けなかったが、映画と逆のルートをたどった。まずモンサオンに行き、メルガッソを往復して、モンサオンからヴァレンサへ。ヴァレンサで列車に乗り換えてミーニョ川を下り、カミーニョを通過して大西洋岸を南下してヴィアナ・ド・カステロ、さらにポルトへと至った。

マノエル監督と三人の俳優

映画は、走る車の後ろの道路を映し出しながら始まる。車には四人が乗っている。フランス人の俳優アフォンソが、ポルトガル人の父の生まれた村を訪ねる旅に三人は同行している。監督のマノエルにとってミーニョ地方は、かつて家族とともにすごした懐かしい土地だ。ポルトガル人の監督と俳優二人に、フランス人のアフォンソという組み合わせで、四人はフランス語で会話する。

旅の前半は、マノエルの懐かしい場所に立ち寄りながら進む。マノエルがかつて寄宿生としてすごしたガリシアの神学校を、河口近いカミーニョの対岸に見る。ぶどう農園の入口に立つ丸太を抱えたペドロ・マカオの彫像。家族と避暑で滞在した廃屋となったホテル。杖を使うマノエルは自分の老いを意識しながら、裕福だった子どものころの思い出を懐かしみながら語る。これはまちがいなく監督オリヴェイラ自身の思い出を元にしていると思う。後半、いよいよ目的の村が近い車の中で、アフォンソは言う。監督のサウダーディ(思い出・郷愁)とわたしのサウダーディはちがう。あなたは恵まれていた。わたしの父の家族は貧困の底にあった。父は若いときに村を出てスペインに入り戦争に巻き込まれて、そしてフランスに行った。そこでわたしが生まれた。わたしは父の国ポルトガルを知らない。その父の育った村を知りたくて、父の姉に会いたくて行くのだと。

返す言葉にとまどうマノエルは「わたしは確かに恵まれていた。しかし心の苦悩はずっとあった」とつぶやくように言う。

四人はカストロ・ラボレイロの、さらに奥の集落にあるアフォンソの家族の家にたどり着く。父の姉である伯母はポルトガル語を話せないアフォンソに疑心を抱くが、ようやく二人は心を交わす。通じなかった言葉が、言葉を越えた感情表現となって、二人に同じ血が流れていることを確認する。アフォンソは自分の始まりがこの家族のなかに、この村のなかにあったと深く感じる。

マノエルとアフォンソの、それぞれのサウダーディ。そこには、ミーニョという地方が誇り高き建国の地であるとともに、貧困ゆえに国を捨てなければならない国境近くの寒村の地でもあることが表現されている。

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