【連載】ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー 第35回『ドキュメンタリー 東京大空襲』

1945年3月10日、東京の下町一帯は爆撃で焼け野原になった。1978年、火の海に包まれた記憶を体験者が語る―。

自分の町に爆弾が落ちてきたら

※今回の原稿を書き上げたあと、早乙女勝元さんの訃報に接しました。ご冥福をお祈りいたします。

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。廃盤アナログレコードの「その他」ジャンルからドキュメンタリーを掘り起こす「DIG!聴くメンタリー」の連載版です。

先日(2022年4月1日)、東中野ポレポレ坐でのイベント版聴くメンタリーを開いた。16回目の今回は『ドキュメンタリー東京大空襲』(1978・日本コロムビア)を紹介のハイライトにした。

理由はひとつ。2月24日に始まったウクライナへのロシアの軍事侵攻が、今も続いているからだ。首都キーウ(キエフ)や東部のマリウポリへの砲撃・空爆を伝える報道には、多くの人と同様、僕も暗然となった。
東ヨーロッパの近代国家の、大都市の住宅街や病院にロケットが撃ち込まれる。そんな戦争のありようが21世紀になっても再現されるとは思ってもいなかった。

自分が住んでいる町に爆弾が落ちてきたら。周りが火の海になったら。そういう想像を改めてしてみる必要があると思った。それで、体験者の話が収録された本盤をじっくり聴き込みたくなった。
東京は一度、爆撃によって焼け野原になった経験を持つ都市だからだ。

空襲当時、12歳だった早乙女勝元さんの証言
「東西南北全部火の壁に包まれちゃって立ち往生しましたところ、姉が、こっちに一ヶ所だけ暗いところがあると言うんです。そこを見ますと、浅草と曳舟を結ぶところの東部亀戸線の線路なんですけども。この一ヶ所だけがわずかに黒ずんで見える道筋で。線路を飛び込んで逃げることになったんですけど、枕木というのは物凄くこの、火が移るのが早いんですね。マッチ棒を横に並べたみたいに、途端に端から端までシュッシュと燃え出しまして。
それをピョンピョンと飛び越えていきますと、あちこちに焼夷弾が落ちるんですよ。それが線路の上にも落ちてカーンカーンという音が鋭く跳ね返ってきて、それでフト見ますと、背中に火を背負って走っていく人がいるんです。すぐ私の目の前なんですが、よく見ると私の母でした。『あッ、かあちゃん背中に火が』と言いますと、母さんは慌てて背負っていたリュックサックを下したんですが、これは一点の火の粉になって空高く舞い上がってしまいまして」

空襲当時、24歳だった橋本代志子さんの証言
「橋の中ほどまで逃げてきたんですけど、深川の方向から流れてくる人波と、本所のほうから流れてくる人波と橋の上でぶつかり合ったわけですね。両方とも、逃げようと思って。そこへあのう、荷物だの自転車だの、そういうものに火が付きましてね、橋の真ん中がまたあのう、火の海になってしまった。
その火の粉があのう、ちょっと肩に付いただけでもうボッと燃えるんですね。私の隣にいた人などはもう髪の毛に火が付いて転げまわって……やっぱりもう、どうすることもできないんですね。見ているよりほか、しかたがないんです」

早乙女勝元が監修したレコード

太平洋戦争末期の1945年3月10日未明、300機を超すアメリカ軍のB29が東京下町の上空に飛来、およそ2000トンの焼夷弾を投下した。
ちょうど北西の強風が吹く夜だったことも重なり、木造住宅が密集する下町はみるみる炎に呑まれ、約10万人が犠牲になった。
死者の大部分は、隅田川を挟んだ本所区(現在の墨田区の南部)、深川区(現在の江東区の北西部)、城東区(現在の江東区の東部)と、浅草区(現在の台東区の東部)の住民が占めた。

この東京大空襲の体験者の証言を構成したのが本盤だ。
監修は、前記のように体験者としても登場している作家の早乙女勝元。
早乙女は同封の解説書に「監修者のことば」として、「追体験の知性こそ、平和への力の原動力になるだろうことを、私は信じて疑わない」と本盤の制作意図を記している。

レコードによって追体験してほしい。その希望は、敵機来襲を伝えるラジオの再現や、焼夷弾の落下音や爆発音、火災で建物が燃える音を表現する音響効果が、随所に配置されるこだわりからよく伝わる。
「サウンド・エフェクト」とクレジットされているのは、江口高男、依田征矢夫、松下喜郎の3人。ネットで調べた範囲では、江口高男のことは分からなかったものの、依田征矢夫、松下喜郎のふたりはNHKの番組、映画、舞台の音響効果で実績のある人だった。

インデックスは以下の通り。

【A面】
1 「日本初空襲(早稲田中学校庭)」
話 尾山令仁氏 昭和17年4月18日
2 「サイパン、テニアン玉砕」
   昭和19年7月
3 「B29東京に出現」
   話 早乙女勝元氏 昭和19年11月1日
4 「B29編隊、中島飛行機工場爆撃」
   話 石上正夫氏 昭和19年11月24日
5 「東京の中心部を直撃」
   話 今井大和 昭和20年1月27日
6 「東京大空襲(向島区、深川区)」
   話 早乙女勝元氏、船渡和代さん 昭和20年3月10日

【B面】
1 「東京大空襲(深川区、本所区)」
   話 谷口たか子さん、橋本代志子さん 昭和20年3月10日
2 「横浜大空襲(東部軍情報、B29、五百機来襲)」
   話 藤倉修一氏、斎藤秀夫氏 昭和20年5月29日
3 「東海道線二の宮駅にP51機銃掃射」
   話 江井敏子さん 昭和20年8月5日

特色と言えるのは、東京大空襲のみにテーマを絞らず、その前の日本初空襲や、その後の横浜大空襲についても証言を録っていることだ。

早乙女は先の「監修者のことば」で、「戦争のメカニズムは、戦争が民衆にもたらした惨劇を基礎にするとき、はじめてその本質を見きわめることができるのではあるまいか」とも書いている。
僕の世代だとこれを読めば、ああ、早乙女勝元さんの作ったレコードらしいな、とすんなり了解できる。早乙女勝元と言えば、空襲体験を伝える活動の代名詞的存在だった。

▼Page2 もう1枚ある東京大空襲レコード に続く