【Interview】なぜ、オーストラリア人の私が「東京大空襲」を選んだのか――『ぺーパー・シティ』エイドリアン・フランシス監督インタビュー

エイドリアン・フランシス監督

今年で5回目を迎える東京ドキュメンタリー映画祭が12月10日(土)〜12月23(金)まで新宿K’s cinemaにて開催される。今年は2週に拡大。
この度、東京ドキュメンタリー映画祭2022の長編コンペティション部門にノミネートしている映画『Paper City/ペーパー・シティ』のエイドリアン・フランシス監督のインタビューが届いた。

――オーストラリア人の監督が、日本の、広島でも長崎でも沖縄でもなく、東京大空襲に興味を持った理由をお教えください。

オーストラリアに住んでいた時は、広島、長崎以外は日本の戦争の体験は何も知らなかったです。東京に来て数年経ってから、ドキュメンタリー『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』(監督:エロール・モリス)を観て、1晩で10万人が亡くなったと初めて知って驚きました。東京に来て5年も経っていたのに、空襲のことは全然知らなかったので、日本人の友達に聞いてみたら、東京大空襲があったことを知っているだけで、どれくらいの被害があったのかなど詳しく知っている人はほとんどいなかったです。東京に東京大空襲の痕跡がないし、日本人のアイデンティティに残っていないのが不思議で、それがなぜかを知りたくなりました。

――撮影はいつ行いましたか?70周年〜71周年に取材ができたのは、たまたまですか?

2014年にオーストラリアのプロデューサーに「一緒に作りませんか」と連絡して、撮影は、2015年の3月から始めました。翌年が70周年というのは、本作を撮るきっかけになりました。体験者は80代、90代がほとんどですから、そろそろ撮らなくてはいけないと思いました。

――撮影・編集でこだわったことはありますか?

映像や編集や音楽で繊細な感じを伝えたかったです。登場人物が高齢なので、思い出や年齢が皮膚や皺に刻まれていることを映像で見せるために、カメラで近づいています。

――日本の歴史の授業では、いつも縄文時代から教え、大正時代以降の話は駆け足になります。広島と長崎の話ばかりが振り返られ、東京大空襲はほとんど扱われることがありません。日本人の東京大空襲の扱いについてどう思いますか?東京大空襲(1945年3月10日)より前の関東大震災(1923年9月1日)の方が話されているように思いますが。

不思議に思います。(広島のような)慰霊碑だとかもないんです。オーストラリアでこういう大きな被害が起こっていれば、街の人たちのアイデンティティに残っているはずです。体験者に会う前は、体験者が生きていないのか、自分の経験を話していないのかと思ったんですが、体験者は、語り継ぎたいという人がほとんどでした。「この歴史を忘れたいのは誰なのか」を考えるのが大事だと思いました。

――名古屋や大阪など66もの都市が空襲で焼き払われたということもあまり話されていないように思いますが、全国空襲被害者連絡協議会などを取材して、東京以外の地域については何か聞きましたか?

犠牲者の集会やイベントで色んな方に会いました。本作にも出てくる、車椅子に座っている名古屋出身の杉山千佐子さんは、空襲を生き残った方です(2016年に死去)。政府にアピールするためにいろんな活動をして、東京にも何回も来ていました。そういう方から他の街のことを聞きました。

――江東区の森下5丁目の町会の方々は、自分たちで犠牲者のお名前を整理して供養していましたが、他の地域ではやっている町はないのでしょうか?

ないと聞きました。

――今回映画祭で併映される『「遺言」 〜呉服店 二代目が七十六年、思い続けること〜』では、東京大空襲を生き残った方が、「日本が東京大空襲の時点で負けを認めていれば、広島と長崎への原爆投下はなかった」と言い、本作では、東京大空襲を生き残った方が、「日本がパールハーバーの時点で負けを認めていれば、東京大空襲はなかった」と言い、アメリカを非難するのではなく、国を非難していますが、それについてはどう思いましたか?

第一に、(空襲で焼き払われた)66の街の人たちは軍人でも政府でもなく、一般市民を殺すのは戦争犯罪です。第二に、体験者の方達や支援者が、政府や東京都にアピールしているんですけれど、家がなくなった人や家族が亡くなった人だとかの補償や広島・長崎みたいな慰霊碑などもないのは、本当に無責任だと思います。
日本でこの作品をご覧になる方には、日本側について、アメリカの観客には一般市民を殺したアメリカ側について考えてほしいです。

『Paper City/ペーパー・シティ』

――劇中、「あの戦争を考え直すことが平和のための安全保障になる」という言葉もありましたが、監督ご自身は、何を求めますか?

『ペーパー・シティ』の撮影開始当初は、このストーリーは「過去のこと」だと思っていましたが、体験者に会って、活動を見ながら、「これからの話」だと初めて気づきました。

戦争や歴史を勉強しないと、これから選ぶ道を間違える可能性があると思います。今から日本で憲法第9条をどうするかという大事な議論があるんですけれど、今の若い世代は、あまり歴史のことがわからないから、政府が「この道にしよう」といえば、従うと思います。例えば、先々週、中学生に『ペーパー・シティ』について話したんですけれど、冒頭で、「僕はオーストラリア出身です。戦争の時、オーストラリアと日本は一緒に戦ったか、敵国だったか?」と問題を出したら、ほとんどの子供たちは前者だと答えたんです。基本的な事実を知らないのは、本当に怖いと思います。これからの安全のために、歴史を知ることが重要だと思います。

――タイトル『ペーパー・シティ』に込めた思いをお教えください。

アメリカは日本の街・家を燃やすために(目標を爆発で破壊するのではなく、攻撃対象に着火させて焼き払うために使用される)焼夷弾を作ったんです。ユタ州に、(木と紙でできた日本の木造家屋を建てて)日本の街を作って、焼夷弾を落として燃やして、作り直すという実験を何回もしていました。その当時の東京の家は木と紙で作られたものだったので、燃えやすかったんです。

もう一つは、体験者と話したら、体験者は毎回紙を出して見せながら体験の話をしてくれたことです。歴史とか思い出を残すためには、よく紙を使うということに気づきました。地図や写真、森下5丁目の犠牲者の名簿だとか、体験を残すために使うものとして、もろい紙が使われます。想い出というのは、もろいと思いました。なので、慰霊碑とかを作るのは大事なことだと思います。

――日本人の視点から見ても、知らないことばかりでしたが、元々は日本人に向けて作ったのでしょうか?海外の方に向けて作ったのでしょうか?海外の方の反応はいかがでしたか?

両方です。色んな映画祭で上映されてきました。ワールドプレミアはメルボルン国際映画祭で、その後、アメリカの4〜5ヶ所の映画祭、ドイツのニッポン・コネクション、ナイジェリア、ルーマニアなどで上映されています。コロナ禍の中なので直接行けたのはドイツのニッポン・コネクションだけなのですが、Q&Aもあって、この作品を見て空襲のことに初めて気付いた人が多いと感じました。

――体験者の方々は本作を観ましたか?反応はいかがでしたか?

今年の2月に関係者試写を開催した時は、体験者の方が20人くらい来てくださって、喜んでくれました。毎年3月10日の記念日にマスコミの取材を受けたり、テレビに出たことがある人は結構いるんですけれど、そういう取材は5〜10分くらいの取材なので、こういう長編の観察映画を初めて見たみたいなんです。自分の感情や活動を画面で見たことがなかったようで、喜んでくれました。

――本作が東京ドキュメンタリー映画祭2022で上映されることについてはどう思いますか?

選んでいただけて、すごく嬉しいです。この映画の完成は去年の夏頃で、その後、色んな国で上映されたんですけれど、やっぱりこれは東京の物語なので、日本、特に東京でたくさんの人に観ていただけると嬉しいです。今回日本初上映となり、ありがたいです。ぜひご覧ください。

【作品情報】

『Paper City/ペーパー・シティ』
(2021年/カラー/80分)

1945年、アメリカ軍による東京大空襲が東京の4分の1を破壊し10万人の命を奪った。この凄まじい記憶が今もなお生存者の脳裏に焼きついている一方で、世間の空襲の記憶が急速に失われつつある今、体験した記憶を生きているうちに後世に残そうと奮闘する3人の生存者にせまる。私たちは何を記憶し、何を忘れようとするか、そしてその先には何があるのかを『Paper City/ペーパー・シティ』では探る。

新宿K’s cinemaでの上映は、12月10日(土)10:00〜と12月20日(火)11:50〜。

【監督プロフィール】

エイドリアン・フランシス
1974年オーストラリア生まれ。メルボルン大学、ドキュメンタリー映画専攻を卒業。15年前から東京を拠点に活動。短編ドキュメンタリー『Lessons from the Night』はサンダンス映画祭でプレミア上映、2010年ベルリン映画祭のTalent Campusに招待された。初長編映画『Paper City/ペーパー・シティ』はメルボルン・ドキュメンタリー映画祭では2つの賞を受賞し、さらに2つの賞にノミネートされた。