【Pickup】特集★山形国際ドキュメンタリー映画祭2013 ヤマガタもぎたてレポート[4日目:10/13 SUN]

遠い国の幸福と、震災と、社会問題 岩崎孝正

まずアサイチで見たのがノンタワット・ナムベンジャポン監督『空低く 大地高し』。タイとカンボジアの政治紛争、国境紛争の実情やそこに生きる人々を美しい映像でとらえた傑作だ。シーサケート県へ除隊して帰還する若者を追いながら、監督はそこに生きる人々の営みをとらえていく。私が印象的だったのは、固定(フィックス)したカメラからとらえられた風景だった。シークエンスが切りかわる際に数カット挿入される美しい風景に、私は息を飲んだ。風景にとけこむように生きる人々の営みを、監督はうまく切り取っていたのだ(監督はアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の影響があるそう)。撮影は3人、1人1台のカメラ。タイとカンボジアの政治紛争を全面に押しだしていながら、本作の魅力は人と風景にあると私は感じた。

写真1ノンタワット・ナムベンジャポン監督(中) 『空低く 大地高し』ノンタワット・ナムベンジャポン監督 

『空低く 大地高し』は政治色が強いという理由で、タイの映倫から上映できないとされたという。だが監督がフェイスブックで問題をとりあげると、瞬く間に拡散してメディアに取り上げられて上映許可が降りたという。後に映画館はよくこの映画を上映したと報じられたのだそうだ。

『空低く 大地高し』のタイトルは、愛さえあれば階級差など関係がないのだとするタイの古い歌からとったらしい。監督によれば、統治者を大地として、民衆を空とするのなら、人々は皆幸福になれるのではないか、という問いかけでもあるのだそうだ。私は、遠い国の幸福を願わずにはいられなかった。そんな気持ちにさせられる映画だ。

一方で、我妻和樹監督『波伝谷に生きる人びと』は、2008年から南三陸町の人々を追ったドキュメンタリーだ。南三陸町波伝谷部落で民俗調査にかかわった監督は、人々がいかに土地で暮らしを育んできたのかを映像でとらえていた。波伝谷部落は、津波により跡形もなく消えている。カキの養殖の方法から講までをとらえた監督のカメラは、民俗学的調査とドキュメンタリーが一体となった映像に仕上がっている。人々がいかに部落内で幸福に生きていたのか。震災以前の日常をとらえた貴重な映像である。

写真2我妻和樹監督

                       我妻和樹監督

最後は「ヤマガタ・ラフカット」の『夕方の月』。神奈川県川崎市の市営団地に暮らす平均年齢70歳の独居高齢者たちの姿をとらえている。独居する高齢者がかかえる問題を、監督はうまく映像化している。いまはラフカット(粗編集)のため、何とも言えないのだが、監督が何を伝えたいのか。それが一番重要な気がした。さらなる取材を重ねることを強く望む。

写真3田中圭監督

田中圭監督 


写真4ディスカッション「震災映画のアーカイブ」

ディスカッション「震災映画のアーカイブ」。岡田秀則さん(右)、松山秀明さん(中)、三浦哲哉さん(左)が発言した。


“線路”と“倫理”は続くよ、どこまでも  佐藤寛朗

13日の最大の発見は、今回の山形で半ば成り行き的に追いかけることになった「鉄道のドキュメンタリー」が、クリス・マルケル特集にもあったことだ!ノーチェックで観た『動き出す列車』(1971)がそれだ。

作品は当時の記録映像と、パリで行ったソ連の映画監督アレクサンドル・メドヴェトキンのインタビューのモンタージュで構成されている。1932年、メドヴェトキンは、スタジオ、現像設備、編集室を備えた3両の「映画列車」を製造、ソヴィエト各地の工場や、はじまりたての集団農場に赴き、ニュース・宣伝映画の製作/上映を行った。車両の様子や活動が、当時70歳のメドヴェトキンによって語られ、マルケルにしてはシンプルな構成だ。「映画列車」を作らせた政治体制や社会主義への考察はあるにしても、メドヴェトキンの話のディテールは、マルケルにとっても、素直に面白かったのだろう。

テレビのない時代に速報性を重視し、移動中にも撮影・編集を行ってしまおうというアイデアは、当時の彼らには自然な発想だったかもしれないが、歴史を考えると、今後、二度とは現れないだろう。日本にも天皇が乗る御料車や現金輸送車という、神秘のベールに包まれた車両が存在するが、「映画列車」が存在するとは思ってもみなかったので、その事実の発見に、まず驚いた!

写真 2「映画監督と倫理」会場。大盛況!

午後、ふだんは比較的余裕のある山形美術館の開場が、満席以上の人であふれていた。

今回の話題作『殺人という行為』のジョジュア・オッペンハイマー監督と『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督が「映画監督と倫理」というテーマでディスカッションを行ったからだ。

お互いの作品をどう思うか、というところから、ふたりの議論ははじまった。オッペンハイマー監督は、原監督のファンだとしたうえで、『ゆきゆきて、神軍』を「恥の文化の沈黙に対する介入」だととらえ、対して原監督は『殺人という行為』を「日本語で言えば終始胸クソが悪い。でも、重要な映画」と述べた。

ふたりの話しは終始、原一男が『殺人という行為』で演出的に重要と思われる部分について質問し、それにオッペンハイマーが答えていく、という展開で続いた。

殺人の加害者を映画化するというアイデアは誰のもの(主人公or監督)か。加害者が被害者になるような見せ方は監督の狙いなのか。主人公の価値観を変化させる意図は監督にあったのか。殺人の再現シーンで現場をリードしたのは誰なのか。殺人の自慢話が観客の反感を買うような反応はあったのか……

このような原監督の質問に、オッペンハイマー監督は、アイデア自体は主人公のもので、彼らも自分を被害者だと思っていること。“殺人の再現”という、主人公にとって鏡のような映画をつくることで、殺人の全体像やインドネシアの社会像を示したかったこと。現場では彼らの演出がベースだが、監督として対話を重ねたこと。主人公たちは世界が自分達を支援してくれると信じていること、などを説明した。

そしてあえて映画の意図を言葉にすると、彼らの殺人行為の全容を判明させることと、それを支えるインドネシアの政権の腐敗を暴露することだ、とも述べた。コーディネーターの阿部・マーク・ノーネス氏は、殺人の再現シーンに子どもを出演させている事への疑念を、別の角度から提示した。

激しい議論に発展するというよりは『殺人という行為』に含まれた問題を掘り下げたところで、あっという間の2時間は終了した。私には、話が微妙に噛み合ない印象があった。その理由を頭のなかでめぐらせていると、ここ数日“倫理”のことばかりを考えていた私に、ある視点が抜け落ちていた事に気づいた。

 “人が人を殺す”行為を問うのは倫理的な課題だが、両作品とも、その先に“国家による虐殺”を問う、政治的な課題が立ち現れている。つい、主人公のキャラクターや内面に注目しがちな両作品だが、映画が世界の総体を描くならば、ふたつの課題の関係はどうなるのか。監督の、あるいは観客の視点は、どの地点に置かれるのか。そんなことを考えながら、会場を後にした。
mn    左から、原一男監督、ジョシュア・オッペンハイマー監督、阿部・マーク・ノーネス氏
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