【Interview】『三姉妹~雲南の子』ワン・ビン監督インタビュー text 萩野亮

(c)ALBUM Productions, Chinese Shadows

 『鉄西区』(2003)、『鳳鳴-中国の記憶』(2007)、そして初の長篇劇映画『無言歌』(2010)において、中国現代史をつぶさに見つめてきた映画作家ワン・ビン(王兵)の最新作は、中国西南部・雲南省の、海抜3200メートルの貧しい村につつましく生きる三人の姉妹を描いた『三姉妹~雲南の子』(2012)だ。
このフィルムは、ワン・ビン監督が初めて「子ども」に目を向けた作品でありながら、同時にこれまでの『鳳鳴』や『暴虐工廠』(2007、『世界の現状』の一篇)、『無言歌』に連なる「女性映画」としても存在している。これまでの映画で描かれた、「反右派闘争」や文革期といった激動の時代を生きてきた女性たちとすでに同じだけの生の気高さを、わずか10歳の少女にわたしたちは見出さずにはいられない。劇映画『無言歌』を経て、作家の視線はいっそう少女たちの「内面」に向けられ、計算された時間と空間が三人のよるべない姉妹の日々を物語ってゆく。
2012年ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門グランプリをはじめ、各国の映画祭で最高賞を受けた話題作が、いよいよ5/25(土)より渋谷シアターイメージフォーラムほかで全国順次公開される。

なお、今回のインタビューは「映画ドットコム」さん、「ぴあ映画生活」さんとの三誌合同取材で行なわれたものだが、すべての文責は筆者にあることをお断りしておく。(萩野亮/neoneo編集室)

通訳=樋口裕子氏

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ワン・ビン監督

 ――今回の映画の主人公となる雲南の三人の姉妹にどういった経緯で出会い、映画にされようと思われたのでしょうか。

 ワン・ビン(以下WB) 10年前に亡くなった雲南の親しい友人の家を、2009年に訪ねる機会がありました。彼はその地区を舞台にしたすばらしい小説を書いています。その友人のお墓参りの帰りがけに通りがかったのが、三姉妹の住んでいる家だったんです。そのとき彼女たちは、ちょうど家のおもてで遊んでいるところでした。そしてこの三人には、どうも面倒を見る人がいないようだということがわかりました。そのとき出会った姉妹は、この映画に映っているよりももっと幼い感じです。彼女たちの家のなかに入れてもらい、家の状況を聞いたりなど、いろいろと話をしました。

 わたしはこれまでいろんなドキュメンタリーを撮ってきて、さまざまなところへ行きました。いろんな状況に出くわし、多くの人に出会ってきたわけですが、姉妹たちの家ほどまさに「赤貧洗うがごとし」というような、生きていくことそのものが困難な状況を目のあたりにしたのは初めてでした。その日のうちに山を下らなければいけなかったので、彼女たちと一時間ほど話をして、ジャガイモを煮ていっしょに食べたりして過ごしました。

 そうして2010年の夏にパリへ行った際、Arte(アルテ)というテレビ局のドキュメンタリー部門のプロデューサーが、「何か作品を撮ってみないか」ともちかけてくれたんです。わたしは雲南で三人の姉妹と出会った話をし、「この三姉妹を撮ってみたい」と伝えたところ、同意を得て、その年の10月からこの村で撮影を始めたんです。

 ――わずか20日間で撮影されたとお伺いし、作品から受ける印象との落差にとてもおどろきました。最初の作品である『鉄西区』(2003)では一年以上の長い期間をかけて撮られ、またゴビ砂漠の油田労働者たちを記録した『原油』(2008)は3日間で撮られたと伺っています。今回の撮影では、どのようなお考えから期間を決定されたのでしょうか。

 WB 作品を撮る際には、いろんな製作の条件があります。短期間で資金も少ないなかで一本撮らなくてはならないとすれば、そのように臨むしかありません。長い時間をかけて、自由に撮影をする場合もあります。それはそのときどきの撮影対象による選択です。長い時間をかけて物語らなければならない作品もあれば、短い期間で撮れるものもあります。

『三姉妹』の場合は、子どもが対象となるのでシンプルな撮影になりましたが、もうひとつの理由としては、わたし自身が高山病で体調を崩してしまい、それまで撮りためたもので編集するしかなかったんです。当初はもう少したくさんの人物で、もう少し複雑な構成を考えていたのですが、こうしたいろんな事情で短期間での撮影になりました。

 ――今回の作品は、これまでの作品群とも共通する対象との独特な距離感をそのままに、よりいっそう細かなカット割りや空間の把握が見られるように感じます。撮影や編集はどのように進められたのでしょうか。

 WB 今回は2台のカメラで撮影しました。カメラが2台あると、計算された空間のなかで一定の距離を保って撮影ができるわけです。撮るべき対象が二、三人の場合は、近距離で撮るほうが対象の心理的な部分をうまく映し出すことができるのではないかと考えました。この距離を遠くしてしまうと、いきいきとした雰囲気が撮れなくなり、リアリティが失われてしまいます。そしてカメラが2台あることで、視覚がかなりひろがりました。毎日の撮影は長時間にわたり、細かに彼女たちの生活を記録しつづけたために、素材は膨大になりました。その素材を選んでいく編集の段階で、細かいカットでつないでいくことになりました。

 当初は製作元のArteから、三時間以上のかなり長い作品を要求されていたんです。そこから方針が変更され、もう少し短いものにしてほしいといわれ、その結果、わりと伝統的なスタイルのドキュメンタリーになりました。

 三姉妹のこの家庭が、この村でとりわけ貧困であるかといえばそうではありません。村の家々はどこも同じように貧しい。ですが、その貧しさゆえに彼女たちの生活を記録しようと思ったわけではなく、三人の姉妹の関係性が、わたしをひきつけました。長女のインインは妹たちの世話をし、次女のチェンチェンはとてもいたずらっ子、そして三女のフェンフェンはとても利発で、姉たちにいろんな質問をする。そうしたさまがとてもおもしろかったので、彼女たちの内面的な部分を記録できたらと思いました。

(c)ALBUM Productions, Chinese Shadows

 ――この映画を見た誰もが10歳の長女の存在にこころを打たれると思います。また「一人っ子政策」で、ましてや男子が望まれる社会のなかで、「三姉妹」という存在自体がとても大きな意味をもっています。いま中国で女性が主人公の映画を撮るということについて、どのようにお考えでしょうか。

 WB いまも中国の農村地区では「一人っ子政策」が施行されています。この政策によって、この映画の悲劇が起きたわけです。姉妹たちの両親のあいだに、じつはそれほどすれ違いはありませんでした。一番大きなすれ違いがどこにあったかというと、母親が男の子を産めない女性だったということです。この家では、母親が男子を産めないことにとても不満があった。そうして母親は失踪してしまったのです。

 いくら男女平等とはいっても、女性は社会的弱者であるわけです。姉妹たちはまだ思春期にさしかかってはいませんが、貧しく、社会からの圧迫を受けています。長女は不満も漏らさず、いつも静かに黙していますが、内面はとても強靭なものがある。強い女性だと感じます。ですが、これから彼女がひとりの女性として社会的な役割を担わされたとき、いろんなプレッシャーを受けつづけなければならないでしょう。

 ――長女のいつも来ているかわいらしい上着の背中に、「Lovely Diary」というロゴがありますね。それを見るたびに少し可笑しかったり、ぐっと切なくなったりします。この映画は貧困の厳しい状況を描きながら、長女と少年のふとしたふれあいなど、ほほえましいシーンがたくさん含まれてもいます。彼女にとってこの日々が、厳しくもじつはほんとうに「Lovely Diary」なのではないのかと、感じたりもしました。

 WB 生活している環境はとても貧しくはありますが、彼女はちょうど幼年期を終えた楽しい時期にあると思うんですね。生理的にちょうど成長していく時期でもあります。人間のからだが成長しようとする力、からだそのもののもつその生命力に、貧しさに負けないものがあるのだと思います。彼女は思いきりさけび、跳びあがり、生命力あふれるさまを見せてくれます。これは人間のもつ天性そのものだと思います。青春の若い力を、わたしは彼女を撮りながら感じていました。

 このドキュメンタリーは、三人の少女の物語としてあります。彼女たちが生きているその背後には、非常に貧しく厳しい現実がある。それは姉妹の両親や祖父など「大人」の世界の事情であり、彼女たち「子ども」の世界とはまた別の世界です。その大人の世界の事情を多く語ることはやめました。当初はもう少しそうした面を撮ることも考えていたのですが、子どもたちに焦点をしぼって描写していくことで、そうした背景も見えてくるのではないかと考えました。

(c)ALBUM Productions, Chinese Shadows

 ――今回の作品も、先ほど伺った通りフランスの資本によって製作されています。中国国内で当局の許可を得ないインディペンデントでの制作は禁じられているわけですが、そうした現況と、ご自身の映画作家としての活動をどのようにとらえられていますか。

 WB この映画が仮に中国で批判に遭うとしても、そうしたことにわたしは関心がありません。いまの時代は自由で、どこかから資金を得られれば、わりに自由に撮ることができます。このような状況は、以前の中国では考えられなかったことです。わたしはこのような社会状況のなかで、撮りたいと思ったものを撮りつづけるということ、どのような制限も受けずに撮りつづけ、たとえ制限があったとしても自分の考えを変えないということ、そのスタンスを貫いていきたいと思っています。そしてそのような環境を保つためにも撮りつづけるということ、これが映画監督として重要なことだと考えています。

 わたしは1981年に14歳のときから仕事を始めました。ちょうど文化大革命が終わり、78年以降の改革開放の時代に入ったころでした。80年代は社会が開放へと社会が動いていった時代です。そのころの雰囲気というのは、どのように「開放」というもの、「自由」というものを進めていくのかについて、多くの人が考えていた時代でした。社会的にそうしたことをとらえようとしていたのです。90年代に入ると、やはりまた変革が訪れます。経済変革の時代に突入し、その状況がいまもつづいています。

 このように、わたしたちは変革をずっと経験しつづけてきた世代にあたります。人生とはどうあるべきか、社会とはどうあるべきかという価値観を考えながら生きてきた世代なのです。ですから、あるときどきに何をすべきか、どのように他者を、そして自分を見つめるか。そういった考えを培ってきた世代です。この中国現代史のなかで、尽きることのない変化にみまわれながら、わたしたちには父母の時代にはなかった「選択の自由」があります。父母たちはひとつの方向にしか進めなかった。わたしたちは選択の可能性を手にしている。自分の価値観を自由にもつことができる。わたしは自分が正しいと思ったこと、やるべきだと思ったことをだれにもじゃまされることなくやりつづけたいと思っています。わたしにどれだけの能力があるかはわかりませんが、直面しているさまざまな環境のなかで、自分にできうることをやりつづけたい、そう思っています。(了)

【作品情報】

『三姉妹~雲南の子』
 フランス、香港 / 2012 / 153分/16:9/stereo
監督:ワン・ビン(王 兵)WANG BING
配給:ムヴィオラ公式 HP:www.moviola.jp/sanshimai
2012年ベネチア映画祭オリゾンティ部門グランプリ
2012年ナント三大陸映画祭 グランプリ&観客賞 ダブル受賞

5月25日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー!
『鉄西区』&『鳳鳴―中国の記憶』リバイバル上映中! 

【監督プロフィール】

ワン・ビン(王兵)
1967年11月17日、中国陝西省西安生まれ。魯迅美術学院で写真を専攻した後、北京電影学院映像学科に入学。1998年から映画映像作家としての仕事を始め、インディペンデントの長編劇映画『偏差』で撮影を担当。その後、9時間を超えるドキュメンタリー『鉄西区』を監督。同作品は2003年の山形国際ドキュメンタリー映画祭グランプリはじめリスボン、マルセイユの国際ドキュメンタリー映画祭、ナント三大陸映画祭などで最高賞を獲得するなど国際的に高い評価を受けた。続いて、「反右派闘争」の時代を生き抜いた女性の証言を記録した『鳳鳴―中国の記憶』で2度目の山形国際ドキュメンタリー映画祭グランプリを獲得。2010年には、初の長編劇映画『無言歌』がベネチア国際映画祭のサプライズ・フィルムとして上映され、世界に衝撃を与えた。

【執筆者プロフィール】

萩野亮(はぎの・りょう)
本誌編集委員。映画批評。立教大学非常勤講師。編著に『ソーシャル・ドキュメンタリー 現代日本を記録する映像たち』(フィルムアート社)、共著に『アジア映画の森 新世紀の映画地図』(作品社)、『観ずに死ねるか!傑作ドキュメンタリー88』(鉄人社)。最近の仕事に、論考「イメージによる被災に抗して 震災以降のドキュメンタリー映画」(「現代詩手帖」2013年5月号)、「桃まつりpresentsなみだ」パンフレット全作レビュー、など。