【Interview】なぜ、いま“芝居”なのか――『イヌミチ』 万田邦敏監督インタビュー text 小岩貴寛

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『UNLOVED』『接吻』などで知られる万田邦敏の新作『イヌミチ』が3月22日(土)よりユーロスペースにてレイトショー公開される(以下全国順次公開)。
『接吻』(2008)の制作から7年という時間を経て制作された『イヌミチ』は「不思議な」というには現実と地続きの感触を持っており、「日常的」というには突拍子もない映画に仕上がっている。
一体この作品はどのような思考の元に撮影されたのだろうか。『接吻』以降の7年間のこと、学生たちと共に映画を作ること、映画における演出のこと、映画の「芝居」について。様々なことを『イヌミチ』の制作経緯と絡めてお話を伺った。(取材・構成 小岩 貴寛/写真 竹之内葉子)

 

『接吻』以降の7年間の活動について

 プレスシートによりますと「『接吻』から7年間長編映画を撮る機会がなく、何をやっていたかというと、映画美学校と立教大学で、学生と一緒に映画の芝居についてあれこれ考えていた」とお書きになられています。今回『イヌミチ』について伺うに当たり、まずは『接吻』以降の7年間についてお聞きしたいと思います。万田監督にとってこの7年間というのはどのようなものだったのでしょうか。

万田 歳を取るとですね、7年あっという間なんですよね(笑)。『イヌミチ』撮ってからすでに1年経ったわけですけれども。じゃあ、その1年なにやっていたかというと、ほとんどなにもやっていない(笑)。それと同じでね、7年間なにをやっていたかというと、ほとんど自分の中ではなにもやってなかったな、と。元々性格がすごくのんびりしてるんで、なにもやってなくてもいいやという感じもありまして(笑)。自分の中でその7年間どうだったかっていうのをあまりきちんと考えたことがないんですね。

『接吻』を撮った後に短いもの、『葉子の結婚』というのがあったのかな、それは仲間とオムニバスで撮ったんですけれども。果たして『葉子の結婚』が『接吻』の前だったのか後だったかもハッキリ覚えてないのですけども。後か。後だよな。そのへんの後先が歳取るとホントにわかんなくなる(笑)。

あとは映画美学校のミニコラボっていう課題があるんですけど、7、8分のものを初等科の学生と一緒に作るっていう。それをたぶん3本くらい撮っているくらいで、実作に関しては本当にそんなもんなんですね。BSiのドラマもありました。

で、あとは文章に書いたように映画美学校の学生たち、それから立教の学生たちと一緒に主に映画のワークショップ形式の授業ですけど、学生たちに課題を与えて、簡単なA4一枚のシナリオの抜粋を、芝居を組み立てて、撮って、編集して、見せてっていうところまでやるんですね。芝居を組み立てる段階から授業でやって、どういう風に学生たちが芝居を組み立てていくのかというのを見て、その時に僕が気づいたことをいくつかサジェッションしながら、学生たちと一緒にその場で芝居を作っていくという授業をずっとやっていたんですよ。そのことで、僕は映画を作ることと繋がっていたんです。

学校以外の活動ですと、大阪のCO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)で審査員をやられていますね。

万田 はい。それとあとは学生映画祭の(審査員)を頼まれてやって、だから学生たちが作る映像作品はずっとみてましたね。

また、神戸の方で講演もされていますね。

万田 そうですね、神戸映画資料館と山口のYCAM(山口情報芸術センター)。で、溝口(健二)や増村(保造)の話をしました。

そうした審査員や一般の人に向けて映画について話すというのはこの7年間で多くなったという感じでしょうか。

万田 あんまり変わってないですね。僕が27、8才ぐらいから早稲田のシネ研の学祭に呼ばれて、松田政男さんと一緒に学生が作ったものを見て、講評しました。当時学生だった井川耕一郎くんとか、高橋洋くんと出会ったのもその時です。30年近く学生の映画と付き合い続けているんですよね。

第9回のCO2の講評では「自己表現と、観客をどうやって巻き込むのかという、そのせめぎ合いが映画作りである」とおっしゃっています。映画を作る上で観客を意識するのは当然だと思うのですが、「巻き込む」という言葉は「意識する」という言葉より強い意志が感じられます。どういう意図でおっしゃられたのでしょうか。

万田 その時に話したことって、他の人にも言われてね。そんな大それたことは言ってないですけれど(笑)。

CO2の催しの最後の総評だったんですが、いわゆる最優秀賞ってのがなかったんですね。だから、何故なかったのかということを言わなけりゃならないということがありました。その時の出品作が観客を巻き込んでいくっていう力に足りなかった。作家の映画としての意識は強いんだけど。映画は、作家の意識だけで作るとどんどん先細りしていくんじゃないかと思うんです。自主映画だからといって作家だけが喜んでるっていうような、そういう映画ではなくて、もうちょっと観客を、それこそ「巻き込む」ですよね、そんな力のある作品を目指して欲しいというのがありました。それを作るっていうのはものすごく難しいことなんですけど。

僕自身、自主映画をやっている頃とか、長編処女作の『UNLOVED』をやってる時なんかはものすごく作家性の強いものを作っていました。ところが僕自身が好きな映画、小学校中学校の頃から見ていた映画というのは必ずしもそういう映画ではなくて、もっと広い観客に向けた映画で、それを僕自身見て、喜んで、感動して、映画をやりたいと思ったわけです。

ですから、今の若い人たちにもそういうものを提供していく力を今のうちから付けていってほしい、それと僕自身もそれをやろうとしてる、出来ることならやりたいと思っているんで、一緒にやっていこう、というような気持ちで言ったんですけども。

学生たちに教えることで映画作りに対して考えが変わったということはありますか。

万田 教えるっていうことよりも、さっき言ったように学生と一緒に芝居を作っていくっていうことで、僕自身の中に芝居の作り方がいままでと違ってきた、変わったというか、「あぁ、こういう風にやるのか」とか、「この時は役者さんにこういう風に言葉をかけるのか」とか、「あ、人の体ってこういうとき、こういう風に動くのか」っていう、そういうことに気づく機会がものすごく増えて、そのことで僕自身が学んだ、気づいていったっていうことの方が多いんですよね。それは学生に何かを教えるっていうこととは多分違うことだろうと思うんですね。

映画美学校も17年目になりますけれど、立ち上げる最初から講師全員の気持ちの中には、「映画って教えられることなのか?」という問題意識がまずあったんですよね。それでも学校をやっていくっていう。しかも、いわゆる映画学校に行った講師って一人もいないんですよね。みんな独学で自主映画から始めて、好きな映画を見て、それを真似して作って、という。その後プロの現場で色々なことを習得して映画監督になった人たちばかりなのでね。

今も学生と一緒に映画を作っていく現場っていうのは僕自身も楽しいし、おそらく学生たちも面白がってくれてるかなと思うので、もの作りを共有する感覚っていうのがその場で出来あがって、そのことがものすごく彼らが今後自分たちで何かを作っていく時に力になるなって思うんですけど、それは、何か技術を教えるとか、何かを教わるという態度とは多分ちょっと違うんだろうと思いますけどね。

ついでにいうと、いわゆる撮影所というのが昔ありましたね。撮影所の中にいなかったので実際がどういうものだったかっていうのは、全然わからないわけですけども、よく言われることは、撮影所こそが一番の映画の学校だってことですね。実際、昔の人たちは撮影所の中でいろんなことを学んでいった、映画を作りながら学んでいったんですよね。

つまり、そういう風になにか、映画に関してはね、作っていくことがやっぱり、ものすごくいい環境、いい関係に、きっとなるんですよね。学校で先生が何かを言う、学生も学生の立場で先生に対する、そういうような環境とは違うものを僕も立教の中で作りたいなと思って、映画美学校の中でもそうですけど、それでまぁ、講師やったり、先生やったりしてるっていうことなんですけどね。

inumichi_flyer_main『イヌミチ』より

 

ここ7年間の短編映画について

『接吻』以後、いくつか短編をお撮りになられていらっしゃいますね。大きく分けて、学校での実習、TVでの仕事(『県境』、『一日限りのデート』)、『葉子の結婚』のようなオムニバス作品という感じかと思います。『絶体絶命』とか『ハラリータ舞、暁に死す』(いずれも映画美学校実習作品)を見ていると、いわゆる実験的な印象がありましたが、短編と長編は万田監督の中ではどのような関係にあるのでしょうか。

万田 それは短編と長編ってことじゃなくて、いわゆる商業のものと自主のものということでしょうね。映画美学校の場合はカリキュラムの中の作品ですけれども、自主映画に近い形で作れる環境なんですよね。商業のものはやっぱり商品として作品を最終的には仕上げなきゃいけないっていう、最低限のプロ意識といいますかね、それがあるわけですよね。

映画美学校で作るものや自主で作るものは基本的に誰が見るかが決まっている。映画美学校の場合で言えば学生たちが見るものですよね。『葉子の結婚』みたいな、これは僕が声をかけて作ったオムニバスなんですけれど、上映会のために企画をしてその時に上映するっていうのが決まっている。そうなるとそういう場に来てくれるであろう人たちっていうのが大体想定される。その範囲の中で作るっていうのがある。

だから、さっき言った一般の観客をどうやって巻き込むのかを考えるような、商品としての作品をどういう風に作っていくかということと、そうではないある想定される観客を今度はどうやって巻き込んでいこうか、というか、その観客に向けてメッセージをどうやって発信していこうか、ということになる。多分それで作っているんじゃないかと思います。そのへんは僕の中で、今でも分裂してるといいますか、たぶんお互い補完し合っていて、バランスを取りながらやってるのかなと思います。

先ほどの分類とは別に『面影』(2010)という作品がありますよね。

万田 そういえばそうだね。すっかり忘れている(笑) 。

『面影』もまた(長編作品とは)違ったように思いましたが。

万田 『面影』はどちらかというと商品に近いものですよね。ヨーロッパ映画祭での上映を見込んで、大阪のフランドールセンターというところが企画して、プラネットの富岡君が古い知り合いだったんで、僕の所に話が来ました。そうすると一般の観客を相手にした映画ですよね。その線であまり無茶苦茶なことをしないで面白い映画をどう作るかっていうようなことを、僕なりにいろいろ考えて作ったものなんですよね。

個人的には(万田さんというと)『接吻』のイメージがあったので、『面影』を見た時に「これ万田さんの映画なの?」とびっくりした覚えがあります。

万田 それはどういうところ?

親子関係が一つの軸になっていていると思うのですが、そうしたものを万田さんはあまりやられていないイメージがありました。また演出に関しては、万田さんには台詞の発話に特徴があるように思っていたのですが、それがわりとフラットだった印象がありました。大阪弁などいろいろな言語が交わされているというのもありましたし。

万田 団子屋の親父さんとか、べたべたの関西弁でね(笑)。でも、僕の中では『面影』も『接吻』も『県境』(2007)や『一日限りのデート』もそんなにやってることに差はないんですよ。僕の中ではね。ただ、見る人はたぶん『UNLOVED』の印象なんですかね、『UNLOVED』から『接吻』につながるライン、何かこう、先鋭的なといいますか、作家性を見てくれて。『UNLOVED』はねぇ、僕の中でも作家性の強いもの作ろうっていう意識があったんですけど、『接吻』はかなり普通の映画撮ろうと思って撮ったところがあるんです。それでもやっぱり、普通と違うと。万田が作るから普通じゃねぇだろうっていうね(笑)。そういうふうに見てくれるわけですよ。これって、得してるのか損してるのか。多分、得してますね(笑)。

でも、僕の中では普通の映画を作ってる、その延長で『面影』がある。おそらく、題材が違うっていうだけですよね。もう一つは、題材に対する思い入れっていうのが、僕は多分薄いんだと思うんです。『面影』にしろ、『接吻』にしろ、どちらも面白いと思ってるわけですよ。『ありがとう』も。ばらばらなんですよ(笑)。一貫した何か、つまり物語的な意味での一貫性、この監督はこの状況におかれた主人公が好きだよね、っていうような、そういうのは僕にはあんまりないんですよね。性格もあると思うんですけど、自分で言うのもなんなんですけど、器用なのかな。来るもの拒まずで、何でもいいですよ、どっかが面白いと思えればというね。全然面白くないものはさすがにやらないですけど、どこかに面白くなりうるよねっていうのが見つかれば、それを拠り所にして面白くしようと思って出来ることはあるんです。だから『接吻』と『面影』に差はないですね。

テレビの場合と違って、映画の場合作家で見るというところがあると思います。それがいい誤解なのか悪い誤解なのかはわかりませんが、そうしたことについてやりやすい、または逆にやりにくいと思うことはありますか。

万田 それはやりにくいとも思わないし、やりやすいとも思わないし、というかそんなに仕事してないしね(笑)。だから僕はそれ以前ですよ(笑)。本当に僕のことを知っていてくれる人だけがそういう話をしているだけで、そんな人はほんの一握りにすぎないわけで。だからやりにくいもやりやすいもないですね(笑)。

inumichi_sub1『イヌミチ』より