Camera-Eye Myth : Episode.3 Fathers(2)/Illness
朗読:菊地裕貴
音楽:田中文久
主題歌『さよならのうた』
作詞・作曲:田中文久
歌:植田裕子
ヴァイオリン:秋山利奈
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郊外映画の風景論(3)
郊外/映画のヘテロトピー
1. 郊外の終わりの風景
1990年代から2000年代にかけて、日本の郊外はさらなる変貌を遂げる。大店法の改正と廃止、大店立地法(新大店法)の制定などが転機となって、ジャスコやららぽーとなどの巨大店舗や外資系企業の店舗が立ち並ぶ風景が各地で見られるようになったのだ。競争の激化の中で、ショッピング・センターがさらに大型化してショッピング・モールとなったり、閉店した店舗を再利用する居抜き出店が盛んに行われるなど、ロードサイドの風景を構成するものの質的な変化が起こるのである。また、このような新規店舗の増殖とは裏腹に、日本の経済状況の悪化や人口減少は郊外にも影を落とし、空き店舗だらけのモールや、入居者のいない放棄住宅や未成住宅、高齢化と少子化によって廃墟化しつつある団地や空き家といったものが新たな「郊外的」風景として広がってきた。それに伴って、郊外の時代の終わりを唱える者も現れてくる。
こうした変化を記録した映画が、富田克也と空族による『サウダーヂ』(2011年)である。富田はここで、それまでの郊外を舞台にした映画の主流が経済的な「豊かさ」によって生じた病理を扱っていたのに対して、低所得労働者たちの生活にフォーカスして、くたびれて殺伐とした郊外都市の風景を捉えていく。それこそ「郊外の時代の終わり」を象徴するような「貧しさ」を徹底して見つめるのである。
『サウダーヂ』からは、前回ヘテロトピーを描き出す方法として紹介した「風景映画」的方法と『遠雷』的方法の両方が見出せる。山梨の郊外都市を舞台に、土木労働従事者やブラジルの移民たちの生が捉えられたこのフィルムに記録されている風景もまた、『略称・連続射殺魔』と同様に、あるひとつの広がりを持った空間として捉えることができない。レコードショップ、カポエラ道場、商店街、夜の美容室、風俗嬢の待合室、クラブ、鹿の飛び出す山道、遠くに山の見える工事現場、移民たちが住み込む団地……といったように、空間的・時間的なつながりを欠いた断片的なショット=風景が淡々と映し出されていく。また、奇抜な意匠や電飾で彩られた、キッチュな看板や標識、建築物などを捉えたショットもまた、『下妻物語』と同様に、もはや都市的/農村的の対立には収まり切らないほど複雑化した家族構成や生活様式を感じさせるのである。