芝居を通して社会に挑戦する、元受刑者やHIV/AIDS陽性女性の群像劇
上映でもトークバックを呼び起こせ! ミニシアターでの仕掛けとは?
8年がかりで完成させたドキュメンタリー映画『トークバック 沈黙を破る女たち』が、3月末に渋谷のシアター・イメージフォーラムで封切られ、現在地方上映が続いている。私にとってはまだ監督・製作2作目の劇場公開作品だが、今回自分で自分に与えた課題の一つが、その見せ方だ。取材や編集過程については既にあちこちで書いたり報告されたりしているので[i]、今回は主に、映画『トークバック』の国内におけるミニシアターでの見せ方や配給の方法について考察してみようと思う。
映画の舞台はサンフランシスコ。主人公は8人の女性たちで、元受刑者やHIV/AIDS陽性者だ。様々な暴力にさらされ、“どん底”を生き抜いてきた彼女たちは、女だけのアマチュア劇団「メデア・プロジェクト:囚われた女たちの劇場」(以下メデア)に所属している。映画は、芝居づくりを通して自分に向き合い、変容していく女性たちの過程を追っている。チラシやポスターには、ドラッグ、依存症、レイプ、HIV/AIDS、孤立、虐待、貧困、前科、偏見・差別、DVというトピックが散りばめてある。
というと、何だか深刻で重たい映画という印象を与えてしまうかもしれないが、決して重く暗い映画ではない。深刻なテーマを扱っていることは確かだが、映画の後のセッションでは、涙を流したり、強い感情につき動かされるようにして「自分の人生は無駄じゃなかった」、「主人公の女性たちに励まされた」、「○○から勇気をもらった」などと、ポジティブなコメントを口にする人が多い。そして観客の多くが、驚くほど晴れやかな表情で劇場を後にする。
そんな姿や状態は、実は、映画の中の世界とシンクロする。
トークバックを夢想する
まず、映画のタイトルにつけた「トークバック(talk back)」は、英語圏では、口答えする、言い返す、というネガティブな意味で使われることが多い。しかし、映画では、申し立てる、呼応する、というポジティブな意味で使っている。様々な暴力によって長年沈黙を強いられてきた女性たちにとって、言い返すということは、抑圧してきた対象に、もしくは社会に対して、申し立てをすることを意味するからだ。
映画の主体である劇団「メデア」は、公演の直後に観客との質疑応答の場をかならず行うのだが、その場のことをtalk-back トークバック(呼応しあう場)と呼んでいる。観客と演者の間で行われる単純な質疑応答というよりは、互いの境界線を踏み超えていくような、しかも、二者の間を行き来するだけではなく、ピンボールのようにボールがあちこちにあたって、さらに当たったところで化学反応を起こしていくような、そんなマジカルな場だ。私には、そういう場の持ち方自体が、非常に「メデア」的に思え、早い段階から、映画のタイトルにはトークバックとつけようと決めていた。(意味がわからない、とっつきにくいという周囲の反対を押し切って。)
映画の後半で、観客の一人がカミングアウトする場面がある。10代でHIVに感染し、現在40代だというその女性は、子どもを生むということなど考えたことがなかったという。舞台の上で堂々と「結婚して、子どもを生む」と断言した20代半ばの、やはり陽性者である若い演者に対して、彼女は温かいエールをおくった。涙ぐみ、声を震わせ、必死で言葉をふりしぼりながら。その彼女に、観客も舞台上の演者も拍手を送った。そして、女性の横に座っていた同伴者らしき男性が、彼女の肩に優しく腕をまわす。映画では、ここで場面転換する。
しかし、実際はその後もカミングアウトが続いたのだった。50代から70代までの年齢層の高い男性やセクシャルマイノリティらが、20年以上もの間、誰にもHIVであることを打ち明けたことがない、演劇を見て心が揺さぶられた、自分を偽ることに疲れている、などと語った。沈黙を破った一人の女性に続いて、次々に連鎖反応を起こしていたのだった。カメラが次々に彼らの姿を追っていく横で、私は興奮していた。4人もの人が立て続けにカミングアウトするなんて、信じられない光景だ。
一方で、「ここはアメリカ」という思いが私自身の中にあったことも事実だ。私はアメリカに長年暮らしたことがあり、取材でも頻繁に訪れている。日本では考えられないようなことが、そこでは起こるということを実感してきていたから、このような状況を、アメリカ的な現象として受け止めることはできた。しかし、日本では難しいだろう、と即座に答を出している自分がいた。
とはいうものの、前作の『ライファーズ 終身刑を超えて』の上映でも、予想外の奇跡が幾つも起こってきていた。撮影を積み重ねるうちに、試してみる価値はありそうだと思うようになっていった。最近、国内の映画館では、監督の初日舞台挨拶やゲストとのトークが、ある種あたりまえに期待されるようになってきているが、それとは一線を画した双方向の場。単なる作品への賞賛や批判ではなく、作り手から受け手への一方通行でもなく、互いが響き合う場。映画が媒介となって、対話が始まる場。ポジティブな気持ちの連鎖反応が起こる場。日本でも映画館をそんなトークバックの場にしたい。撮影時からすでに私はトークバックの実現を夢想していたのだった。
トークバック@ミニシアター
封切館は、渋谷のシアター・イメージフォーラム。ミニシアターの老舗だ。スクリーンが2つしかないこともあり、映画と映画の間の入替時間がタイトだ。支配人にトークバックのイメージを伝えると、おもしろいと共鳴してくれたが、15分という時間内で収めることが条件だった。
私は週末を中心に、ゲストとのトークバック・セッションを企画していった。身体や声を使ったワークショップとトークを織り交ぜながら、最終的には会場とのトークバックを行うことをめざす。逆に言うと、会場とのトークバックを引き出すためのゲストであり、対談であり、ワークショップである。その事を理解してくれそうな柔軟なゲストを選び、しかも無償で引受けてもらわねばならない旨を伝えた。(本来は小額であっても謝礼は支払うべきだと考えているのだが、今回はどの袖を振っても捻出が不可能な状態だった。)全員が快く引受けてくれた。
トップバッターには、日頃からつきあいのある、体奏家の新井英夫さんにお願いした。この映画では、演劇が重要な要素なので、観客にも身体性を少し体感してもらえるような機会で初日を迎えたいと思ったのだ。映画館という狭い空間で、しかも固定された椅子に囲まれ、トークバックの時間を残すとたかだか6~7分の短い時間。そんな悪条件で何が出来るのだろう。依頼することさえ申し訳なく思ったのだが、新井さんは「出来ることをやりましょう!」と前向きに臨んでくれた。
ワークショップ当日、映画館の空間をフルに使い、見知らぬ観客同士が腕を伸ばして握手したり、ペアになって手のひらや膝を合わせ、相手と呼吸を合わせながら、ダンスのような動きを作ったりした。戸惑いの表情を見せていた観客が、次第にほぐれていく。極めつけは、3月が誕生日だという2人の観客のために、全員がろうそくになって灯をともし、2人がその灯を吹き消すという動きだった。実は映画に、HIVに感染した日を「感染記念日」と名付け、明るく笑い飛ばす女性が登場するのだが、新井さんはその場面を意識したのだろう。不思議な一体感と祝福の気持ちが会場に漂い、誕生日の一人は感極まって涙していた。
その直後に行ったトークバックでは、すでに身体と心がほぐれていたからか、手があちこちからあがった。四国からわざわざ劇場初日に合わせて東京に来たという弁護士の女性は、感極まって涙し、声を震わせながら自らの思いを語り始めた。HIVでも、元受刑者でも、薬物依存症でもない、傍目からはその対局にいる女性が、“どん底”を生き延びてきた女性たちの姿に、深く共振し、励まされたと目を真っ赤にして、ハンカチで涙をぬぐっていた。また、性産業に従事するという女性が「自分の人生に、恥を感じなくていいんだと思えた。仲間にも見てもらいたい」と発言。会場も温かく彼女たちの発言を受け止めているように見えた。
これは、私が撮影中に見たトークバックそのものではないか。日本では無理、と思っていたことが初日から実現していた。私は感動で胸が一杯になり、涙をこらえるのに必死だった。
ただやはり、15分という時間は短い。聞きたい、話したいという観客が映画館の外の道に集まり、大きな人だかりができた。「映画も感動したけど、ワークやトークバックにも心が動かされた」「映画館でトークバックを再現するなんてスゴイ!」と興奮気味に語る観客の姿に、まさにトークバックの力を感じた。また、仙台、名古屋、岡山、栃木など、遠方から映画を見に来たという人達がいることには、ただただ驚かされた。それほどまでにこの映画を待ち望んでくれている人々が、各地にいるんだと。
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