【自作を語る】トークバック(呼応)する映画——ミニシアターの上映・配給をめぐって text 坂上 香

左から社民党副党首の福島瑞穂さん、偽アベ総理、社会学者の上野千鶴子さん。                   トークバック・セッション終了後に即興パフォーマンス。©out of frame


ゲリラ配給

映画鍋という映画制作者の勉強会で、藤岡朝子さん(山形国際ドキュメンタリー映画祭ディレクター)は、私たちの映画の配給スタイルのことを「ゲリラ配給」と呼んだ。参加者はドッと受け、私はきょとんとした。ゲリラなんてなんだか物々しいが、配給の素人が体当たりで劇場に売り込む私達のスタイルは、確かにゲリラ的であると思った。

映画の劇場配給は、通常、配給会社を通して行うわけだが、私たちのような地味な自主映画の場合、配給会社に支払う費用と収益が見合わない場合が多い。前回の「ライファーズ」は右も左もわからず、制作から配給まで全て自分たちで行うしかなかった。完成と同時ぐらいに海外の映画祭から賞をもらったこともあって話題になり、東京、大阪、京都など都市部での劇場はすんなり決まった。自主上映も健闘したのだが、実は地方の劇場ではほとんど上映されなかった。答は簡単、自主上映で手一杯で、こちらから一切打診しなかったのだ。

自主上映は比較的意識の高い人が来る。多様な層に届けられただろうか、という疑問が残った。今回はその課題を踏まえて、いかに地方のミニシアターで展開するかを考えてきた。映画の完成前から、複数の配給関係者に相談した。思い切って託してみようかとも思ったのだが、悩んだ挙げ句、今回も自主配給に決めた。

自主配給の最大の問題は、一つ一つの劇場との関係を、0から開拓していかないとならないということ。配給会社がついていないというだけで信頼してもらえず、門前払いされてしまうことも少なくない。しかも前作は10年前。配給関係者から紹介を受けてアプローチをするのだが、それでも電話でフォローすると、何ヶ月も前に郵送した包みの封さえ開いてもらっていなかったり、試写用DVDが書類の山に埋もれていることがわかったりして、気落ちする。試写してくれたとしても「この映画を見にくるのは女性が中心で、男性の映画ではない」「動員が難しいタイプの映画」と頭ごなしに決めつけられて断られ(実際はそうではないのだが)、腹が立ったり、心が折れそうになったりもしてきた。

ただ、最近ミニシアター関係の書籍を読み[ii]、どこも経営が大変なこと、それぞれの劇場にそれぞれのこだわりや歴史があること、映画の数が膨大で公開される数が1/3にも満たない状況であることなどを知り、私達のような地味なドキュメンタリーを簡単には受け入れられない、というのも仕方がない、とどこか諦めがつくようにもなった。

話を戻す。「ゲリラ配給」にはSNSが欠かせない。私自身、SNSが好きでも得意でもなくて、映画の宣伝段階に入るまで(昨年の年末まで)ほとんどやっていなかった。それで、年末から年始にかけて、映画の公式Facebook、twitter、そしてHPを一気に立ち上げた。半年近くたつ今でさえまだまだおぼつかないが、それでもSNSを積極的に利用しているほうだと思う。

たとえば、今回は東京の封切りの次が佐賀だった。そのきっかけは、佐賀に住む友人とのFacebookだった。小学生の息子の同級生のお母さんである彼女は、原発事故を機に、家族で佐賀の実家に移住した。彼女はこの映画の寄付者でもあり、エンドロールに名前が出ているのを楽しみにしてくれている支援者の一人だった。東京や大阪では昨年末から複数回に渡って試写会を行ってきていたのだが、SNSを通して日々伝わってくるイキイキとした人々の反応を見て、彼女はどうしても見たいと思ったようだった。ある日Facebookを通してメッセージを送ってきた。「香さん、佐賀でも試写会できませんか?近くのカフェが場所を提供してくれると言ってます」と。

まだ見ぬ映画への思いを強くして、すでにカフェに相談をしてくれていたのだった。このメッセージをどのぐらいの時間、そして何回見つめただろう。映画への思いはとても嬉しかった。でも、交通費だけで4万円はかかる。それを彼女たちが負担するだけの資金がないことも知っていた。佐賀の劇場には年末からアプローチをかけていたが、音沙汰が全くなかった。自主上映をやるとしても、大きな規模は期待できないだろう。とすると上映費の最低ラインの5万円を見込めるとして、試写の交通費と経費を引いたら収益は数千円。費用対効果を考えたら正直、佐賀で試写会をする意味が見出せなかった。

仲間と相談した結果、難しいということになった。しかし、それでも彼女は諦めない。地元の映画館にも交渉する、この試写会を劇場公開の宣伝の場にするから、と何度もメッセージを送り続けてきた。その強い思いにほだされて、私は自己負担で行くことにしたのだった。

そんなある日、突然電話がかかってきた。佐賀のもう一人の友人からだった。彼女は東京の試写で映画を見ていた。二人は共に劇場に向かい、資料を渡して支配人と交渉してくれていたのだった。「今劇場に来てるの。支配人と話して」と言われ、突然電話口に支配人が出てきたのには驚いた。既に話がまとまったようである。あとは時期とやり方などについて後日相談をしたいという話だった。狐につままれたような感じだった。私は別の取材で青森に来ていたのだが、吹雪きの中、しばらくぼおっと立ち尽くしていた。そしてガッツポーズをとって小さく叫んだ。「やったー!」

そのことを個人のFacebookで伝えたら、各地方の友人・知人たちからメッセージが相次いだ。「私も○○劇場に交渉に行く」と。見てられない。そんな感じなのだろうと思う。実際、一人では限界がある。だから、SNSなどでつぶやいたり(ぼやいたり)、各地の状況を頻繁にアップしていくことで、友人・知人自らが見かねて動いてくれる。もちろん、頼りっきりではダメなので、コミュニケーションを重ねていくことが大切だ。まだ交渉中のところもあるので、あまり突っ込んだ報告はできないが、この「ゲリラ配給」で決定したところが他にも複数あるし、この手法に励まされて、私自身が地方出張の際にアポ無し、突撃の売り込みをして上映にこぎつけた映画館もある。(失敗したところもあるので、いつも上手くいくとは限らない。)

情報発信を通して、思いを共有できるコミュニティを育み、そのアクターたちが劇場に直接かけあって上映の場を作っていく。そんなことが、SNSを通して今まさに起こっている。

釜ヶ崎のバンドをゲストに迎えて、楽器を使った詩とリズムのワークショップをおこなった。大阪第七芸術劇場にて ©out of frame

見せ方への挑戦

この半年近く、映画『トークバック』の配給・宣伝や上映活動で走ってきた。前作『ライファーズ』から10年、ドキュメンタリー映画をめぐる状況が大きく変化するなかで、戸惑ったり、壁にぶつかってへこんだりする日々だが、その一方でおもしろいと思うことも少なくない。たとえばSNSの登場は、私のような弱小制作者にとっては救世主のような存在である。映画館の新しい使い方や「ゲリラ配給」といった新しい動きを活性化できるかもしれないと思う。

映画の見せ方についての模索は、何も今に始まったことではない。neoneo読者の中には、詳しい方が多いと思うが、土本典昭氏による水俣映画の巡回上映、小川紳介氏による農と生活に密着した上映活動、映画館でドキュメンタリーが上映されることのなかった時代に劇場公開され、息の長い上映活動を続ける佐藤真氏の映画、それらを引き継ぎながらも「カフェ」と名付けて現代風にアレンジする鎌仲ひとみ氏の上映スタイルなど、先人たちから学べることは多いはずだ。

様々な意味で厳しい時代ではあるが、人のつながりや、つなげるという発想、ミニシアターという場、新しいメディア環境などを使って、ドキュメンタリー映画の見方/味方を広げていくことは可能である、と実感している。しかし、そのためには、それぞれの囚われから自由になり、さまざまな境界を踏み越え、トークバックしていく必要があるのではないか、とも思う。

映画「トークバック」の模索は続く。


[i] women’s action networkのウェブ連載 http://wan.or.jp/reading/?cat=72  ハフィントンポスト http://huff.to/1nUG1gy

[ii] 『ミニシアター巡礼』(代島治彦 大月書店 2011)『映画館(ミニシアター)のつくり方』(映画芸術編集部 ACクリエイト 2009)『映画館ほど素敵な商売はない』(神谷雅子 かもがわ出版 2007)など

【作品情報】

『トークバック 沈黙を破る女たち』
(119分/カラー/HD/2013年)

監督・プロデューサー・編集: 坂上香 
共同プロデューサー:麻生歩 
撮影:南幸男 録音:森英司 音楽:伊藤彰教

5月31日より渋谷・アップリンクでアンコール公開
京都シネマ大阪第七藝術劇場で公開中

公式サイト:http://www.talkbackoutloud.com


 【執筆者紹介】

坂上香(さかがみ・かおり)
1965年大阪生まれ。NPO out of frame代表/一橋大学客員准教授。映画監督デビューの『Lifers ライファーズ 終身刑を超えて』(2004)でNew York International Independent Film and Video FestivalのBest International Documentary Award受賞。おもな著書に『ライファーズ 罪と向きあう』(みすず書房 2012年)、『癒しと和解への旅 犯罪被害者と死刑囚の家族たち』(岩波書店 1999年)などがある