【連載】ワカキコースケのDIG! 聴くメンタリー 第3回『~砂漠のレコード~サラート(祈り)』

けっこう強引に演出した、耳で聞く幻想(幻聴)の旅

今回はこんなレコード。〈レコード界初のアラブ・現地取材に成功!〉と帯で銘打つ、1979年のLP。

みなさんは、アラブを旅したことがありますか? 広大な砂漠に足を踏み入れ、灼熱の太陽の下であまりにもちっぽけな自分と向き合う、そんな貴重な体験をしたことが……。ありませんか。そうですか。いえ、お気になさらず。僕もありません。

ふつうは、無いのである。大学での専攻はアラビア語だったとか商社マンと結婚したとかでないと、そうそう身近には感じられない地域だ。昔から。だからこのような、音で旅気分を味わいましょう、というレコードができた。

『サラート(祈り)』は、どう捉えればよいか、ちょっと戸惑うレコードだった。現地の生の音を収録したストレートな「聴くメンタリー」の要素と、それを浪漫ティックに加工する演出の要素が、強引に絡まり合っている印象をまず受けた。

当時、「KLMオランダ航空スチュワーデス」の肩書でメディアにも登場していた小池咲子の、前年の『世界の大空港』(未入手)に続くプロデュース第2弾。アラビアの風景を題材にした画家・藤沢章の個展に刺激を受けて「この絵を“音”にしよう!」と思い立ち、アラブ首長国連邦のドバイを拠点に録音した。そう、ライナーノートで自ら解説している。

だから現地の写真は、小池がテレコを肩から下げ、マイクを持って砂漠に立つ姿(年齢20代半ば。実際、絵に描いたように才媛な感じ)のみで、ジャケットも内封されているミニポスターも、藤沢の作品だ。本物のアラブの顔も風景も、載っていない。まずこれで、ン? と思う。

 

A面では朝から昼、B面では夕方から夜、の構成でアラブの一日を表現した音のほうも同様。

朝のパートは鶏鳴から始まる。早朝を音で表現するため、選択したのはニワトリの声。ンケコッコー。これ、ラジオドラマの考え方と同じでは。

のっけから悪い予感はしたが、くじけずに聴く。経済発展中のアブダビ・ハイウェイを走るトラックやバイクの走行音、コーランや街のざわめき、市場の賑わいが、いろいろと立ち現れてくる。しかし、どれもコラージュのように切り貼りされていて、記録性はかなり無視されている。

アラビア風の曲をチェロが奏でるコーナーもある。なかなか神秘的でステキだ。しかし、あれ、チェロって西洋楽器だよね……とフト気が付く。クレジットを確認したら「CELLO:H.ENOKIDO」。エノキドさんの演奏によるものでした。録音、日本じゃん!

それに砂漠のシークエンスも、負けず劣らず怪しい。「灼熱のサハラ」と題されてあるから、まあ、サハラ砂漠が広がるアラブ世界(エジプトなど)まで出向いたんだろうと僕は解釈している。いるんだけど、アラビア半島のドバイを拠点に録音したのなら、どうしてアフリカ大陸のサハラまで……? 冷静に考えれば、かなり不自然だ。ジワジワと生じてくる、「日本では有名な砂漠といえばサハラ。だからアラビア砂漠で録音しようとサハラでいい」と、かなりテキトーにタイトルを付けたんじゃねーか疑惑。大体においてどれも、録音場所のデータが明記されていない。

 

つまり、フンイキ勝負。異国ムードあふれる絵画のイメージを、現地録音を主な素材にして(一番のセールス・ポイントにはしつつ)作り上げた、音のフィクション、幻想(幻聴)の旅なのだった。

レバノンの国民的女性歌手、ファイルーズの歌がA面、B面に1曲ずつ収録されている。名前しか知らなかった人の歌が聴けて、オー、これは思わぬ得した、とまずは喜んだのだが、歌声にはずっと風の音が重ねられ、ついにはかき消される。「アラブの歌姫」すら、ここでは素材扱い。

“乾いた旧市街の路地を行くと、砂塵の向こうから哀しみに満ちた女の歌が聞こえ、やがて砂とともに運ばれていった。日毎にアラブに魅せられていく私の心に、熱い思いだけを残して……。” 例えばこんな、ポエミーな心境を表現したかったらしい。ラジオドラマと同じと考えたら、確かによく出来ている。

 

1979年の“気分”を表現したレコード

それに、リリースされた年が79年、昭和54年だってことを、僕は特に面白く感じている。

ここでまた、うんちく風に時代背景を説明しますと。

まず、73年に第四次中東戦争が起きて原油価格が引き上げられ、国内の物価が上昇。74年は戦後初めてマイナス成長の年になり、高度経済成長期が終わる。前回書いた、昭和の「ゴジラ」シリーズが終了したのも、端的にこの影響(怪獣映画は他のジャンルよりお金がかかる)。一次エネルギーの自給率が、60年代に石炭・水力などの天然資源活用中心から石油の輸入に代わったことで、大幅に低下した頃なので、このオイルショックは大きかった。

つまり、それまで政治的に遠く、文化的にもアラビアンナイトの素朴な印象から留まっていたアラブの国々が、一般市民にも無視できない存在として立ち現れた。一方で「石油に頼らず自前のエネルギーを増やさなければ」と原子力発電が強く推進されるようになり、原子力実験船「むつ」が洋上で放射能漏れを起こしても、政策は変わらなかった。

 

こうした(エネルギー不安を巡る)アンビバレンツな感情が、中東の再認識=異国への憧憬のかたちで思い切り振れたのが、79年の久保田早紀の大ヒット曲「異邦人」であり(あのイントロの旋律を思い出されたし)、そして、セールス的には比べるべくもないだろうが、『サラート(祈り)』だったのだと思う。「NHK特集『シルクロード』」も、初回の放送は80年だが、撮影と大がかりな前宣伝は79年から始まっていた。

さらに言えば、前年には女性のめざましい社会進出で「キャリアウーマン」が流行語になり、国際線が、成田の新東京国際空港(現・成田国際空港)に移転した。

国際線スチュワーデスとしてホントに「翔んでる女」だった小池咲子による『サラート(祈り)』は、今、僕が考える以上にキャッチーな、時流を穿つレコードだったのだ。

 

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