【連載】ワカキコースケのDIG! 聴くメンタリー 第3回『~砂漠のレコード~サラート(祈り)』

「砂を踏む音だけ」 作り手と聞き手の我慢比べ

 ただ、内容に関しては、前述したように幻想(幻聴)ロマンがキモである分、記録性は心もとない。ハッキリ言えば、〈なんちゃって〉の危うさを抱えたレコードだ。

けれど、期せずして旅行の性質をよく抽出しているとは思う。大抵の旅人は異国を歩いてさまざまなことに出会っても、取り込むのは、自分の中にすでに回路があり、取捨選択した上で確認・補強・充填できるものだ。100%虚心で知らない風物や価値観とぶつかるわけではない。いちいち自分をリセットしていたら日本に帰れなくなる。旅は、これぐらいのムードに浸る位でちょうどいい。海外旅行がレジャーとして市民層に定着してきた時代の、それがリアリティではある。

せっかく現地録音したのにフィクションの装いで仕上げた『サラート(祈り)』について、今はこれだけ冷静に把握できている。だが入手してしばらくは、「聴くメンタリー」ならではと思える納得を探しあぐね、ろくに聴かずにいた。

連載の方向を詰めるため、映画プロデューサー・大澤一生の事務所にターンテーブルと数枚のレコードを持ち込んだ時、本盤も用意した。他のレコードでは「面白い!」と前のめりになった大澤が、これには露骨につまらなそうな顔をした。

「メチャクチャ作りこんでるじゃないですか」と大澤は言うのである。その前に試聴したのは小泉文夫の『世界の民族音楽シリーズ イラクの音楽』(78 キング)で、小泉先生のフィールドワークに感心した後だと、現地の音を記録する厳密さ、真摯さに著しく欠けていると。

痛いところを突かれたのと、マイ・コレクションにケチをつけられたのとで、僕は「これはこれでいいんだ」と憮然となった。実は、小泉文夫は民族音楽研究の泰斗だったと知らなかったので、内心焦ったせいもある。世界各地で録音したレコードを何枚か持っているが、同じ名前に気付くたび、(よほどヒマな人だったんだろうなあ)と思っていた。

「キミはそういうけどな。ちゃんとテレコで録音している女性の写真はあるし、帯のジャンルも〈ドキュメント〉となっているじゃないか。これをどう説明する」
「若木さんもトーシロじゃないんだから。そんなの、いくらでも間接的にイメージ付けできるでしょ」
「じゃあ、このサハラ砂漠(であることが前提)を歩くシークエンスはどうだ。踏まれた砂が、サク、サク、キュッ、と鳴り続けるのみ……。臨場感たっぷりだろ」
「音だけじゃ、サハラか鳥取砂丘かも分からない」
「あ、ほら、いつのまにか風に乗ってコーランが聞こえてきたよ」
「砂漠を歩いてて、そんなものがなんでハッキリ聞こえるの。完全にダビングです」
「……イヤだなあ。そういうところ、良くないよ。なんだい、ちょっと一度ドバイに(映画祭出品で)行ったことがあるからって。ホテルから会場までは、ゴンドラで送り迎えだったって? 優雅なもんだ。それで大物になったつもりか」
「あのね、がんばって作った作品を持って行ったんですよ。それぐらいのご褒美、いいでしょう」

やや気まずい沈黙。ところがその時、いきなりビュユワーーン……と電子音が。

砂漠を歩き、砂を踏む音だけをレコードでずっと聴かせても、退屈されるのでは。そんな、作る前から分かり切っていたはずの課題に不安になり、耐えられなかったのだろうか。コーランだけでなく、モーグ・シンセサイザーまでSF映画の効果音のように重ね、ダメ押し演出をしているのだった。

ビュユワーーン ミューーー ヒュォーーーン

これには二人して、椅子から崩れ落ちるように笑った。ここまで記録性とかけ離れてしまったら、むしろ、あっぱれというわけだ。

 

美女の溜息は妄想力を鍛える

 わざわざ遠い国に取材して、録ってきた音がある。貴重な現地録音だと上手く伝え、しかも飽きさせないようにとなると、何らかの演出は必要になってくる。それが過ぎての、ダビングや加工。

このいささか物悲しくもある皮肉、表現の難しさは、ドキュメンタリー全般にも通じると思う。

 

ただ、何回か聴いて気付いたのだが、本盤のハイライトである砂漠を歩く音のシークエンスには、演出を施した加工物になってしまっても、まだ揺るがない、ナマの魅力がある。

さっきからしつこく書いている砂を踏む音に交じって、小さく、小さく「……ハアッッ……」という女性の溜息が録られているのだ。つまり、テレコを抱えた小池咲子の肉声。マイクを足元に向けて黙って歩きながら、暑さに堪らず、漏れたのだろう。しばらくは、何かが擦れた音かと気に留めなかったほど小さな溜息なので、まず間違いなくダビングではない。

何回も針を戻して、溜息を確認していると。ええと、そのう、こんなこと言うのは基本、すごく苦手なタチなんだけど……欲情する。

写真で見る小池さんは、長い黒髪をゆったりとウェーブにしたパーマ。うりざね顔の和風美人で、気は強そう。写真で見るスラッとした印象よりも小柄だろう。身長は150㎝台じゃないかな。でもって、「KLMオランダ航空スチュワーデス」である。陸に下りれば、ヒールを鳴らして颯爽と街を歩く。つまらない男なら、歯牙にもかけないぜ、きっと。それに絶対、吸い込まれるような色白。

木目の細かい白い肌が、アラブの陽に容赦なく焼かれ、上気して赤く火照る。砂漠の乾いた熱気に搾り取られるように、汗の珠がひとしずく、ふたしずく、首筋を濡らしながら走り、大きく息を吸って揺れた胸元に落ちる。朝、ホテルでつけたオーデコロンはもう、汗と一緒に蒸発してしまった。息苦しさから逃れるように黒髪をかきあげた時、つい、切なく、声が出る。「……ハアッッ……」 以上、完全に妄想。

 

声だけ、で妄想をたくましゅうできるスキルは、思春期に鍛えておくと一生モノである、と今回自覚した次第です。僕の世代までは、もっぱらラジオが教官だった(カセット、いわゆる“エロテープ”になると、もうちょっと上の世代になる)。友達は『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』を毎週録音して聞かせてくれた。僕は、やはりニッポン放送の『明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送』。岡本かおりが初代アシスタントだった84年頃の、あえぎ声コーナー。

もちろん小池さんの溜息は、全く意味合いは違う。だけど『サラート(祈り)』のなかで、いちばんナマであり、艶めかしい音だった。いろいろ工夫して作りこんだゆえに、より、間隙に残っていた作り手の肉声(存在)が際だって聞こえる。この予期せぬ面白さもまた、ドキュメンタリー全般に通じるところだろう。

 

 

 |音源情報

『~砂漠のレコード~サラート(祈り)』
1979/STEREO/¥2,500(当時の価格)
キングレコード

 

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|プロフィール

若木康輔 Kosuke Wakaki
1968年北海道生まれ。本業はフリーランスの番組・ビデオの構成作家。07年より映画ライターも兼ね、12年からneoneoに参加。アキラ&ひばり、ゴジラと「大ネタの隅を突く」アプローチが続いたわけですが、3回目にして、おそらくほとんどの人が知らない(覚えてない)文化人女性のレコに。ここから本格的なDIGの旅が始まるのだ! と思っております。http://blog.goo.ne.jp/wakaki_1968