【Interview】小川プロの映画にはじめて“映像のアジア”を見た! 石坂健治さん(東京国際映画祭アジア部門ディレクター/日本映画大学教授)インタビュー

最近のドキュメンタリーと小川作品の距離感


——いま、アジアの映像作家における小川作品の影響についてお聞きしましたが、日本において小川プロ作品が与えた影響という部分は、どのように考えられますか。

石坂 いま言ったように、どうも小川プロの種子は海を越えてアジア各地に蒔かれ、芽を出しているという印象なんだけど、はて肝心の日本はどうなのか。ちょっと違うかもしれない。松江哲明監督(1977—/『フラッシュバックメモリーズ3D』など)が最近よく言うのですが、なぜ日本のドキュメンタリー映画史は小川・土本から語られるんだ、全然違う切り口があってもいいじゃないかと。そこは自分もなるほどと思った部分があって、今の日本の若者がもしドキュメンタリーをやるとしたら、小川さんを反面教師として、ああいうのではない道を行こう、みたいなかたちの影響から出発してもいいんじゃないかと思いますね。かつては原一男監督(1945-)がそうでした。小川プロが「集団」を扱うなら自分は「個」に密着する、と言って、自らのスタイルを「アクション・ドキュメンタリー」と名づけたわけ。

フィルムからデジタルの時代になって、撮り方もなにもかも変わってしまって、特に編集の概念が全く変わりましたよね。中国のワン・ビン(王兵1967−/『収容病棟』など)には、映画を2時間にまとめるなんていう固定概念は一切ない。『鉄西区』(03)は9時間の作品ですが、最初の10分は列車の前にカメラを取り付けて列車とともにひたすら前進するだけ。カット割りはほとんどありません。タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン(1970−/『ブンミおじさんの森』など)の映画にも、時間感覚が麻痺するような瞬間がしばしばある。編集で切らずにそこに流れている時間の長さそのものを観客も一緒に共有する、という映画の考え方が出てきている。彼らの映像には新しい「映像のアジア」を感じます。松江さんは斬新な3Dも試みているけど、ドキュメンタリーをやるのにアダルトビデオの現場と行ったり来たりする、これも非常に新しいやり方です。松江さんの「どうして小川・土本からはじめるの?」という問題提起には、私も関心があります。

海外では日本のセルフ・ドキュメンタリーが話題になっていて、そうした作品を多数手がけている安岡卓治プロデューサーの名前とか、安岡さんが教師をしていた学校の名前を付けて「日本映画学校派」というコトバができたりしています。日本の場合、ドキュメンタリー映画史的にいえば土本典昭・小川紳介のあと、人脈的なことも含めて、原一男、佐藤真ぐらいまでは一筋のラインで語れるけど、その後は同じラインで考えない方がいいのかもしれない。海外に行くとそのことをよく聞かれますが、今の若い人たちの作品を見ていると、そんなに単純に一直線に考えないほうがいいと思います。


——今回は関連作品も何本か上映されますが、小川プロが撮ってきたもののフォローという意味では、どのように考えられますか。

石坂 例えば、いまや中韓はじめアジア諸国が次々と巨大なハブ空港を作る時代になっていて、もはや成田空港では追いつけない、やっぱり羽田が重要だ、みたいな論調がでてきたり、古屋敷村も映画の舞台になったあと、バブルの頃にテーマパークにしようという構想が持ち上がり、それが破綻してからも30年近く経っていることを考えると、三里塚と山形で小川プロが描いたものの意味を現在の日本から探るという視点は、もっと出てきてもいい気がします。ただ、3.11みたいな大災害が起こってしまうと、やはりその問題が大きくて、30年とか長いスパンを俯瞰して日本社会の変容を見据えるようなテーマ設定に目がいきにくくなっている状況はあると思います。三里塚に関しては、この特集のトークにも登壇する大津幸四郎・代島治彦共同監督の『三里塚にいきる』(14)が完成したそうなので、楽しみにしています。

それから、今回の特集上映でいえば、バーバラ・ハマー(1939-)の『Devotion 小川紳介と生きた人々』という作品がそうだけれども、小川プロとは何だったのかという問い直しも、もっとあっていいかもしれないですね。『Devotion』は相当ストレートなフェミニズムの視点で小川プロを批判的に検証した作品ですが、ある映画集団が運命共同体となって、優秀な技術のある者たちが一緒に住んで生活して、映画を作り、米まで作っていたのはどういうことかという問題は、もっと突っ込んで考えてもいい。そのスタイルを踏襲しようとしたのは佐藤真さんの『阿賀に生きる』が最後でしょう。

『Devotion 小川紳介と生きた人々』

  【次ページへ続く】