ドキュメンタリー作品が集中的に上映される映画祭としては、8月には、こちらも15回を迎えたラテンアメリカ・カリブ人権研究所(IMD)が主催するブエノスアイレス人権映画祭(Festival Internacional de Cine de Derechos Humanos)があった。
国内外の長編短編作品が並び、ゲストもヨーロッパ系大使館の支援を得た作家たちが参加していた。本映画祭では、1976-83年にアルゼンチンにおける「汚い戦争(Guerra Sucia)」と呼ばれる軍事政権下における左派ゲリラの取締を名目として労働組合員、政治活動家、学生、ジャーナリストなどが逮捕、監禁、拷問され、3万人が死亡または行方不明になったと言われ、未だにその全貌が明らかにされていないアルゼンチン最大の国家テロを追求する側面も併せ持つ。究明に活発な活動を続ける「五月広場の母の会」(Associacion Madres de Plaza de Mayo)の共同創設者のひとりで人権活動家ノラ・コルティニャス氏もオープニングに参列し、カタログに言葉を寄せている。
昨年は、オープニングの数日前に起こったアルゼンチン第三の都市ロサリオでのガス爆発事件を受けて、政府から喪に服し、公式行事中止のお達しが全国に出ていたためオープニングセレモニーとパーティは中止。しかし非公式にスペースに集まり、パーティは開かれ、期間中も参加者の交流を深めるための集まりが急遽設けられていた。
チリ国際ドキュメンタリー映画祭でも選挙前日はレストラン、バーなど営業は夜の12時までと決められているが、クロージング・ナイトにぶつかったその晩もどういうわけか日をまたいでも開いているバーがちゃんと用意されていた。ほぼどこのラテンアメリカの国々も独裁政権を経て、現在の民主政権を獲得していることからの経験がものを言うのか、政府や警察、軍部のお達しを真っ正面から異議を唱えるだけでなく、時と場合に応じ躱していくことを心得ており、自分たちの表現を実践する試みを随所に見受けることになる。
映画祭期間中、寒さで(そう、8月は真冬!)体調を崩し、あまり作品を見ることが叶わず残念だったが、映画祭主催のツアーに参加して、会場のひとつでもるハロルド・コンティ・メモリアル文化センターを凍えながら歩いたことは強烈な記憶だ。ここは、かつての軍事独裁政権時代に最大の拷問機関であった海軍機械学校(ESMA)の跡地で、現在は同時の忌まわしい記憶を忘却するのではなく、明らかにしていくための記憶を紡ぐ場所として、展示や映画上映などを行っている施設だ。当時のまま残っている部分も多く、専門の案内人の方の話を聞きながら当時の残酷という言葉では事足りないほど壮絶な暴力の事実を目の前にして、この国の抱える暴力の深淵をまたひとつ知る。アルゼンチンからのドキュメンタリー作品には、やはりこの問題を扱ったものが少なくない。ちょうど自身の親や親戚らが被害者となっている世代が制作者の中核を担っている。今後も作り続けられるだろうし、作品作りがひとつの解きとなるように続いてほしい。
*ブエノスアイレス人権映画祭
http://www.imd.org.ar/festival/
そして、2013年9月には、ドキュメンタリー映画学校オブセルバトリオ(Observatorio)が主催するブエノスアイレス国際ドキュメンタリー映画祭(FIDBA)がスタートした。FIDBAのディレクターマリオ・ドゥリューは、以前よりコンペティション部門のあるドキュメンタリー映画祭をブエノスアイレスで開催したいという強い思いを持ち、コンペ部門のあるドキュメンタリー映画祭を2013年より開いた。国際、アルゼンチン、イベロアメリカ、短編の4つのコンペティションの他に、レトロスペクティブ、フォーカス、2つの特集プログラムを設置。さらにキャンパス(国際ドキュメンタリーセミナー)、フォーラム(国内、国際共同製作に関する映画専門家、作家の公開討議)、ラボ(製作途中の作品に対しての技術的サポートの実践工場)と一週間の中に盛りだくさん詰め込まれていた。準備段階時がちょうどブエノスアイレス滞在時で、たまにFIDBAの事務所を訪れるといつもディレクターは疲労気味で鳴り止まない電話、スタッフからの質問対応、来客、ミーティング、とほんとうに話しかけるのも申し訳なくなってしまうくらいのカオス状態。映画祭一ヶ月半前までINCAAからの給付金額が判明しなかったり、会場交渉が続いたりと、混沌ぶりはいくらでもあげられるのだが、このなかなか日本では考えづらいスケジュール感覚でも猛烈な仕事ぶり(ブエノスアイレスは眠らない!)と情熱が映画祭開催へと実を結びつけていく。参加者の声を聞くと、第一回の混乱ぶりは仕方ないとしても、とても将来性のある心意気ある映画祭だとの評判。今後の活動を見守りたい。
*ブエノスアイレス国際ドキュメンタリー映画祭
http://www.fidba.com.ar/en
10月には、先ほど触れた今年14回を迎えるDOC Buenos Airesが開催されている。DOC Buenos Airesは滞在時期と重ならず参加はできなかったのだが、1986年から活動を続け、アルゼンチン・ドキュメンタリーのパイオニア的な存在でもあるドキュメンタリー制作・配給プロダクション、シネ・オホ(Cine Ojo)のメンバーが主宰してきている。創設者のひとり、カルメン・ガリーニ氏は、多数のドキュメンタリー作品を制作しつつ映像人類学の教鞭も執り、キューバの国際映画テレビ学校などでドキュメンタリー制作を教えている。映画祭は、言葉だけではなく、世界についての様々な問いかけを示す兆候としてドキュメンタリーを祝福し、遠く離れた場所やここで起こっていることを理解することを目指している。それだからこそコンペ部門はないが、テマティックな8つほどの小特集が並ぶ独自路線を貫く映画祭だ。アルゼンチン新作上映も、プレミア上映される3作品のみだったりする。
シネ・オホ系と言う通称が成立するくらい名が通っているシネ・オホだが、アルゼンチンには他にもDOCA(アルゼンチン・ドキュメンタリー監督協会)、DAC(アルゼンチン映画監督協会) AND(アルゼンチン・インディペンデント・ドキュメンタリー監督・プロデューサー協会)など、ドキュメンタリー作家に限定しても幾つか組織があり、それぞれが映画祭や特集上映を企画していたりする。激しく対立しているわけでもないが、積極的に恊働しているわけでもなく、仲間意識の強いアルゼンチン・コミュニティの特長の現れとも組織化に長けたお国柄とも考えられよう。2007年に山形映画祭に来たニコラス・プリビデラ監督(『M』)は、「私は本当の“インディペンデント”だから、どこにも属さないよ。」と笑って言い、隣にいたプロデューサーが、彼みたいなのは珍しいんだよ、と苦笑していた。
*Cine Ojo
http://www.cineojo.com.ar/
*DOC Buenos Aires
http://www.docbsas.com.ar/
ほかにもブエノスアイレス外で行われているという意味でも注目したいのが、2013年より隔年開催で始まったパタゴニア国際ドキュメンタリー・実験映画祭(PAFID)がある。こちらは自身も映画作家であるルーベン・グスマンが現在の住いであるパタゴニアで主宰する映画祭。スタッフは、地元だけでなくブエノスアイレスの意欲的な有志の映画関係者がプログラミングや作品提供をして始まった小さいながらも贅沢なプログラム。例えばアルゼンチンのスーパー8mmシーンの先駆けとなったドイツ出身のナルシア・イルシュ特集など。現在、映画祭のために、映画上映にも対応した文化施設が設立中とのことで、来年の開催時にはさらなる飛躍が望まれる。
ブエノスアイレスでの映画祭会場に触れなかったが、シネコンを丸々使って開催していたのはBAFICIだけで、他の映画祭はBAFICI同様、市内の5〜7文化施設、アートシネマなどで同時開催していた。東京よりはコンパクトといっても、各会場間はそれぞれ離れている。道路渋滞や地下鉄故障などが頻発する交通事情があまりよろしくなく、なかなか移動しづらいブエノスアイレス事情を反映して、それぞれの生活エリアという各々の“近場”で上映の機会を増やすという着眼点も働いているようだ。
*パタゴニア国際ドキュメンタリー・実験映画祭
www.pafid.com.ar
以上、長々と映画祭を辿ってきたが、ほかにも紹介しきれなかった映画祭がブエノスアイレス中心に、多々ほぼ毎月のように開催されている。映画大国アルゼンチンを支えるのは、INCAAのサポートがまず挙げられる。全国にINCAA劇場と銘打った映画館があり、廉価でアルゼンチン作品から良質なアート作品が見られる。製作面でも年間約60本のドキュメンタリー製作支援を行っている。ほかにもテレビ局や文化施設、国際共同製作など様々な形でのバックアップがあることももちろんだが、なによりも映画だけでなく、アルゼンチンの人々が芸術にかける情熱に満ち満ちていることがこれだけの数の映画祭や映画製作数につながっているのだ、と深く実感し、遠い情熱の国の人々にいまは敬愛の念を覚える。
【執筆者プロフィール】
濱 治佳(はま・はるか)
2001年より山形国際ドキュメンタリー映画祭東京事務局、シネマトリックススタッフ。2013年文化庁新進芸術家海外研修員としてアルゼンチン、メキシコ、キューバに滞在。現在、高嶺剛監督作品『変魚路』の製作に携わり支援集め開始中。皆様のご協力をどうぞよろしくお願いいたします。詳細はこちらより→http://hengyoro-yokoku.jimdo.com