【Review】作家•佐藤泰志という光と闇−−呉美保監督『そこのみにて光輝く』 text 小川学

2014年6月から8月にかけて開催された、シネマ・キャンプ「映画ライター講座」「配給・宣伝講座」(シネマ・キャンプ事務局/合同会社カプリコン・フィルム主催)の全日程が修了した。2講座あわせて数十名が参加する大規模なものとなり、学生から社会人、すでに映画会社や映画祭で活躍している人たちまで、幅広い人材が交流する場となった。当方は「映画ライター講座」前期と後期の講師を担当し、修了課題のなかから特に力編だと思われた映画批評文を1編、ここに掲載したい。

批評文は『そこのみにて光輝く』という劇映画に関するものだが、評者である小川学さんは、佐藤泰志という夭逝の小説家が2008年の『海炭市叙景』の映画化によって息を吹き返した背景をノンフィクション的に掘り起こした。また『そこのみにて光り輝く』の物語に潜められた本質を、新聞に掲載された佐藤泰志の長女へのインタビュー記事から照射してみせた。きわめてジャーナリスティックな切り口であり、ドキュメンタリー的な批評のあり方であると思われたので、ここに全文掲載するものとする。(neoneo編集委員/シネマ・キャンプ講師 金子遊)


光が輝く場所、そこには暗闇が必ず存在する。この映画が制作、公開された事によって、原作者の佐藤泰志が賞賛という光を受け、今まさに輝いているようだ。今作に登場する役者たちは皆、佐藤が心の奥底に持っていた光と闇を引き受け、更にはそれぞれが演じ分ける事によって、彼を浄化したのだ。つまり『そこのみにて光輝く』という作品そのものが佐藤泰志という人間の投影なのである。佐藤は自死という闇を選び、この世から去った。映画のラストシーン、眩く昇る朝日の逆光から突如として暗転した漆黒のスクリーンに、ぽつんと、真っ白い骨のように角張ったタイトル文字「そこのみにて光輝く」が浮き上がる。これは佐藤が書いた実物の原稿から抽出された彼の渾身から紡ぎ出された作者の思い、魂が最もよく現れているペン字である。正に骨身を削り、魂をすり減らし書かれたような文字。絶筆の最期の一瞬に刻まれた一文字ではないかと、そうまで思わせる佐藤自身による肉筆の縦書きの文字で、この映画の物語は幕を閉められる。

思えば今作は妹の「手紙」で始まり「手紙」で締めくくられる「文字」と「文章」が織り成す「言葉」の作品だった。私は映画を観賞後すぐに、この原作を、佐藤の文章を読みたいと強く思った。この物語を描いた作家が如何なる思いを持って、今作を描こうと考えたのかを知りたいと思った。映画を観賞後に胸をぎゅっと鷲掴みにされた気持ちになったからだ。物語の内容が重く暗く悲しいからでは決してない。むしろ映画に登場する人々の息遣いが、目を閉じると、時間を経た今でも、かすかに聞こえてきそうで、そしてその言葉達は、生き生きとしているのだが、時に息切れしそうなほどの苦しさを感じさせるので、私は思わず手を差し伸べたくなってしまう思いに駆られたからだ。どんな事が起こっても決して諦めず、地道に、懸命に生きぬく事。それがこの映画の、そして佐藤泰志の伝えたかったメッセージだったのではなかろうか。

私はこの物語の世界に入り込みたいとさえ思った。ついには『そこのみにて光輝く』こそが私の求めていた世界なのかもしれない、とまで思えたからだ。その世界とは原作者の佐藤泰史、その人、そのものに他ならない。しかし、彼は死んだ。1989年の1月、最愛の妹を亡くし、翌年の10月に41歳で自ら命を絶つまで、佐藤自身が中学生の頃から見てきた芥川賞受賞の夢を見ながら、死んでいった。彼は他にも幾度となく文学賞に落選し続けた。同年代では脚光と賞賛を浴び続けている村上春樹や中上健次と比べられた佐藤。しかし彼は不遇な作家では決してないと私は思う。

なぜならば、佐藤泰志は死して今尚、人々の心の中にあたたかい情感を注ぎ続けているからだ。彼の遺した作品や、映画に触れる度に、静かに流れる清流のような言葉、それでいて力強く脈打つ鼓動を持つ言葉、生きていく為に必要な活力のようなものをじわりじわりと与えてくれる。佐藤は死に、自身の遺した文学の中に彼は生き続けている。そしてそれは、今作が映画化された事実にこそ、最もよく表れているのではないだろうか。今作の原作本が発表された当時、一般の人々に見向きもされなかった佐藤が遺した作品から、何らかの強いメッセージを受け取った人々の思いが結集して本作は、時を経た2014年の今、制作され世界に向け放たれたのだから。

はじまりは2008年の夏、本作『そこのみにて光輝く』の企画•制作者の菅原和博が佐藤の遺作小説『海炭市叙景』を読了し感銘を受け、映画化を企画したことから始まる。函館市の映画館「シネマアイリス」の支配人である菅原は「地方に生きる事の現実、生きる意味を信じようとする人達の姿」を感じ取り「それこそが現代にこそ描くべき映画のテーマだと思った」と語っている。2009年1月北海道帯広市出身である熊切和嘉監督が菅原の依頼を快諾し、『海炭市叙景制作準備委員会』が発足された。原作者佐藤の同級生であり制作事務局長を勤めた西堀滋樹(海炭市を走る路面電車の運転手として、実際に映画へ出演されている)をはじめとする、函館在住の原作ファン等の市民らが参加するようになる。行政や企業に依存しない自立した活動隊として制作が始まったのだ。

函館の市民により企画されモノトーンの冬空の中、オールロケで撮影された『海炭市叙景』は架空の町「海炭市」で慎ましく、力強く生きる市井の人々を描く事に成功し、第12回シネマニラ国際映画祭にてグランプリを受賞するなど、興行面でも成功をおさめた。「海炭市」の撮影終盤、企画者の菅原がプロデューサーの星野秀樹に「どうしても作りたい作品がある」と話した作品が佐藤泰志、唯一の長編小説『そこのみにて光輝く』であった。「海炭市」では町に生活する人々が主題であったが、次作では町が持つ閉塞感の中で生きる¨男と女の物語¨を作りたいと菅原は考えた。市井の人々が懸命に生きる「人間そのもの」にクローズアップした作品を作ろうと考えたのだ。

そして次にスケジュールの都合などから熊切監督ではなく、呉美保が監督に選ばれた。呉は代表作『オカンの嫁入り』など「家族のつながり」を丁寧に描く監督である。結果的に呉監督を起用する事で『続•海炭市叙景』となるような印象を持つ作品にはならず、新しい佐藤泰志原作の映像作品となった。それはヒロイン役の千夏(池脇千鶴)の描写に一番良く現れている。原作を読むと佐藤は作品に登場する人物達を力強く描いている点が印象的だが、呉はそれを踏襲し、飛躍させ、特に千夏を女性のきめ細やかな心情の移ろいや機微を持った、芯のある魅力的な人間として演出している。そして脚本は佐藤泰志の原作を非常に大胆に組み替えて、登場人物の繊細な心情を映画という短い枠に創り上げた高田亮が担当した。撮影は『海炭市叙景』にて神々しいとも言える初日の出をキャメラに記録した近藤龍人が起用されている。近藤は松江哲明監督作品『ライブテープ』においても或る年の正月の落陽を奇跡的に捉えた名手である。函館の路地裏の僅かな光、スナック街の鈍色に灯されるネオンのコントラストを照明で演出したのは藤井勇。彼は近藤と同じく「海炭市組」であるが、今回は台本にエドワード•ホッパーの名画「夜の人々」のプリントを本作の台本に張り、照明作りの参考にしたという。(エドワード•ホッパーは20世紀初期、中期のアメリカで、何気ない日常に慎ましく生きる人々の刹那を絵画の中に収めた画家である)

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