【Interview】小康(シャオカン)とともに生きた20年――ツァイ・ミンリャン[監督]&リー・カンション[出演]、商業映画引退作『郊遊〈ピクニック〉』を語る text 萩野亮

ツァイ・ミンリャンが映画界を引退する――。その報せは台湾の映画メディアを通じて世界中に衝撃をもたらした。ことのしだいについては、この取材記事の最後に監督自身が語ってくれている。2013年のヴェネチア国際映画祭で審査員大賞を受け、東京フィルメックス2013でも上映されたその引退作『郊遊〈ピクニック〉』(2013)は、いよいよ9月6日(土)よりシアター・イメージフォーラム、シネ・リーブル梅田で公開される。
主演はリー・カンション。テレビ映画『小孩』(1991)を経た長篇第一作『青春神話』(1992)以来、すべてのツァイ作品に主演し、自身の愛称でもある「小康」(シャオカン)という人物を演じてつづけてきた。ふたりは、じつに20年以上にわたる協働関係をきずいてきたのである。
『郊遊〈ピクニック〉』は、彼らの集大成というべき136分だ。ツァイ映画が一貫して主題としてきた都市生活者の疎外感と独特のユーモア、そして強靭なロングテイク(長回し)は、ここに明らかな達成をみた。
公開を機に来日したおふたりに、その20年来の歩みについて聞いた。

[取材・文・撮影=萩野亮●通訳=樋口裕子さん]

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(C)2013 Homegreen Films & JBA Production

――じつに20年以上にわたって協同関係をきずいてこられた、ツァイ・ミンリャン監督とリー・カンションさんの出会いとその歩みについてお聞かせください。

ツァイ・ミンリャン(以下TML) 最初に出会ったときはこんなふうでした。ちょうどテレビ映画『小孩』(1991)の高校生役の主演俳優を探していたころのことです。見た目はふつうなんだけど実はワルだった、という役柄で、おおかた決まっていた役者は、けれどもちょっとふつうすぎるところがあった。そのときたまたまあるゲームセンターの入口で、バイクにまたがっているリー・カンションを見かけたんです。すこし距離はあったのですが、その静かなたたずまいにわたしはとても惹かれて、この役は彼しかいない、と思いました。

そうしていっしょに作品づくりをはじめて、撮影3日目にとても後悔したことがありました。彼のゆっくりした話し方や動作がまるでロボットみたいで、わたしはNGばかりを出していたんです。あるとき、「目をぱちぱちまばたきできないか?」と提案したら、彼の答えはこうでした。「いつもぼくはこんな感じなんです」。そのことを家に帰ってからよく考えてみて、それこそが彼の個性なんだと思ったんです。

わたしは大学で演劇を専攻していて、演技についてもしっかり学んでいました。けれども役者というのは、そうした「個性」こそが大事なんだということを考え直させられたんです。

それから20年以上彼といっしょに組んでやってきて、3年前に舞台劇をやったことがありました。長くはない距離を歩いてゆくなかで役柄が変化してゆく、という一人芝居です。彼はその距離を7分ほどかけてゆっくりと歩いていった。その「歩く」という身体の移動のすばらしさ。わたしはとても感動しました。それがきっかけで、「歩く」ということを主題にした『Walker』というシリーズが生まれました。

その先に今回の『郊遊〈ピクニック〉』があるわけですが、この作品で彼はほんとうに成長して、自信にみちた演技をするようになりました。彼はもうただの俳優ではありません。演技の芸術家です。こうしたプロセスをわたしたちは歩んできました。彼は専門的に演技を学んだわけではないけれども、このような高い境地に達することができた。リー・カンションとの特別な出会いをうれしく思っています。

リー・カンション(以下LKS) ツァイ監督と20数年歩んできて、彼の自由な創作にひたすらこころを打たれてきました。役者として自分の個性を大事にしてくれる、そうした監督と出会えたことはよろこびです。ツァイ監督は、「芸術」をつよくもとめて実現しようとしてきました。

TML ふたりとも「野心」がなかったからね(笑)。

LKS わたしたちは、いわば映画界を漂流してきたようなものです。いつも多くの観客にはめぐまれません。それでもつくりつづけて来られたことは、この世界では異質なことかもしれません。わたしたちの映画を支持してくれるひとというのは、少ないけれども質の高いかたばかりです。インテリな文芸青年たちがずっとわたしたちを応援してきてくれたわけです。彼らのそうした励ましが、20年来の歩みを支えてくれた力になっていますね。


――ツァイ監督の作品は、都市生活者の孤独が描かれながら、同時にいつも喜劇的な側面があります。人間が人間であることのかなしさと可笑しみとがつねに同時に託されている、それがツァイ映画の人物の尽きせぬ魅力になっていると感じます。

TML 人間は、何かを求めようとするとき、その本質がどこにあるのかがわかりません。人生の意義をひとははじめ考えようとしない。そうした人間が考え始めるのは、すべてをなくしたときです。そのときにいたってはじめて、価値のあるものとないものについて思考しはじめます。自分が何の役にも立たない人間だと思ったとき、たとえばこの映画で、子どもたちに幸せをあたえられず何もしてやれないとき、やっと自分とは何なのか、人間の本質とは何なのかを考えるわけです。だからリー・カンションは、自分の人生をかけて、すべてをなくしたときのことを想いながら演じたわけです。

「人間立て看板」を見ると、またホームレスを見かけると、わたしは「自由とは何か」について考えてしまいます。もしかすると、彼らのほうがもっと自由なのかもしれない。わたしは映画の登場人物を考えるとき、社会の隅に追いやられているひとからどう見えるか、ということを考えたりします。

LKS ツァイ監督の作品に出演するときは、監督と話す時間がとにかくたくさんあるんですね。監督は脚本を書き始めると、だれか話し相手をもとめるんです。そうして監督と話している期間が1年も2年もありますから、ある日脚本をぽんと渡されて、役柄を理解するというような作業ではまったくありません。たえずその人物と接している。また監督の書く脚本というのは、ごくかんたんなプロットしか記されていません。そのなかでわたしが人物に入ってゆく。たとえば今回のような人物を演じる場合は、特別な準備をしません。町にいるホームレスのひとを見にゆくことはありますが、役づくりのようなことはありません。ただ人物が就いている職業について、技術的なことを勉強するくらいです。

TML わたしが脚本を書くときは役者に宛てて書いていますから、どれくらいの年齢で、どういう気分でどういう状況に置かれているか、そうしたことについて監督であるわたしのほうがむしろ役者を理解しようとするわけです。『郊遊〈ピクニック〉』で、リー・カンションが演じた父親は、社会的に失敗した負け犬のような人間です。そうしたひとを見にゆくだけでいい。俳優が何かを作り上げる必要はありません。「人間立て看板」のひとを、わたしたちはこっそりと観察しにいっただけです。

(C)2013 Homegreen Films & JBA Production


――キャベツを食べるシーンが凄絶です。

LKS 演技に入る前に、小道具さんがキャベツを7、8個用意しているのをわたしは見てしまったんです。これは1回でやりきらないとキャベツを食べつづけることになるぞ、と。そのときの監督の指示は、「キャベツを出て行った妻だと思って食べてくれ」「キャベツを枕で押さえつけてほしい」ということしかありませんでした。カメラが回って数分経ってもまだ「カット」の声がかからない。そのうちに、カメラマンが「テープの残りがない」といったんですね。それでも監督は「カット」といわない――。

TML 感動していたんですよ。わたしのスクリプターもその場にいられなくなって、外で泣いていた。もし2テイク目を回したとしても、これ以上のものは撮れないだろうと思いました。このときほど、リー・カンションの成熟を感じたことはありません。すばらしい俳優だと思いました。


――ツァイ監督の映画は、『黒い眼のオペラ』(2006)、『ヴィザージュ』(2009)そして『郊遊〈ピクニック〉』がいずれもフランスとの合作で製作されるなど、ヨーロッパの制作者、また観客にめぐまれてきました。

TML ヨーロッパでのわたしの市場は、台湾のほかの監督に比べれば小さいものです。けれどもこれまで途切れることなく映画をつくりつづけて来られました。これはヨーロッパでも台湾国内でも同じ状況です。おそらくわたしは特殊な映画監督なのだと思っています。わたしの映画には、ヨーロッパの人間から見た「異国情緒」というものはありません。ごく個人的な映画であるにもかかわらず、おそらくヨーロッパの観客は自分のことのようにして見られるのだと思います。彼らは作品のゆったりとしたリズムや長回しも好んでくれました。それはほんらいヨーロッパ映画の伝統だったわけです。けれどもいまではヨーロッパ各国の映画もアメリカナイズされてきて、ハリウッド映画の市場にアートフィルムが太刀打ちできない状況が生まれています。わたしの映画がヨーロッパで見られているとすれば、それはその地でつくられてきた映画の伝統を思い起こさせるからかもしれません。

(C)2013 Homegreen Films & JBA Production


――商業映画はこれで引退されると聞きました。今後の活動についてお聞かせください。

TML とくに計画はありません。わたしはこれまでも「計画」というものをもたないで創作をつづけてきました。資金が調い、そのときたまたま撮りたいものがあれば、撮ろうというまでです。この『郊遊〈ピクニック〉』もそうでした。この作品でわたしが引退するということが話題になったのは、あくまでハリウッド的な配給システムに則った公開方式による作品は撮らないといったことを、台湾の映画メディアが拡大解釈したまでのことです。

わたしはもっと自由に映画をつくっていきたいと思っているんです。映画の自由な創作と現行の配給システムは合致しません。この『郊遊〈ピクニック〉』も、台湾では美術館での3ヶ月間の展示公開という形式です。けれども機会があれば、またリー・カンションといっしょに作品をつくりたいですね。彼の演技はますます磨きがかかっています。リー・カンションを撮りたい、いつもわたしはそう思って映画を撮ってきたんです。(了)

(C)2013 Homegreen Films & JBA Production

[2014年6月19日、イメージフォーラムにて「映画.com」誌・「アジアンクロッシング」誌との合同取材]


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|公開情報

郊遊〈ピクニック

監督・脚本:ツァイ・ミンリャン 脚本:ドン・チェンユー、ポン・フェイ
製作:ヴィンセント・ワン、ジャック・ビドゥ、マリアンヌ・デュモウラン
出演:リー・カンション、ヤン・クイメイ、ルー・イーチン、チャン・シェンチー
撮影:リャオ・ペンロン、ソン・ウェンチョン 編集:レイ・チェンチン
2013年|136分|台湾・フランス|中国語|配給:ムヴィオラ
公式サイト http://www.moviola.jp/jiaoyou/index.html

★9月6日(土)よりシアターイメージフォーラム、シネ・リーブル梅田で公開(他全国順次)

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|プロフィール

ツァイ・ミンリャン[蔡明亮] Tsai Ming Liang
1957年、マレーシア生まれ。77年に台湾に移り、大学在学中からその才能で注目を集める。91年、テレビ映画「小孩」で、後に彼の映画の顔となるリー・カンションを見いだし、92年彼を主役にした『青春神話』で映画デビュー。つづいて発表した『愛情萬歳』、『河』が世界中で絶賛され、世界の巨匠のひとりとなる。2013年ヴェネチア国際映画祭にて、本作『郊遊〈ピクニック〉』を最後に劇場映画からの引退を表明。現在は、アートフィールドにて、映像作品や舞台演出などを手掛けている。

リー・カンション[李康生] Lee Kang Sheng
1968年台北生まれ。ツァイ・ミンリャンに見出され、本人の愛称でもある小康(シャオカン)という名前の役柄で、全作品の主演をつとめているツァイ作品の顔。最後の劇場公開作となる本作の演技は、20年に及ぶキャリアの中でも最高の演技と絶賛され、金馬奨では初の最優秀主演男優賞を受賞した。2003年に制作した『迷子』以降、監督も務めこれまでに長編2本と短編1本を発表。今後は、他の監督の作品にも積極的に参加していくと共に、ツァイ監督とは“Walker”シリーズなどでのコラボレーションを続けていく予定。

萩野亮 Ryo Hagino (取材・文)
1982年生まれ。本誌編集委員。映画批評。編著に『ソーシャル・ドキュメンタリー』(フィルムアート社)。共著に『アジア映画の森』、『アジア映画で〈世界〉を見る』(以上作品社)。「キネマ旬報」誌星取り欄連載中。