−−映画の構成についてもお聞きしたいのですが。まず、クラウド・ファンディングで「和製マイケル・ムーア」と謳っていますが、「メガネ、帽子、太め」という監督の風貌は、意識的にやっているんですか?
石田 いや、太ったのは意識的にではないです(笑)。メガネ、帽子、マイクを持つというスタイルは、マイケル・ムーアを意識しました。マイケル・ムーアがカンヌでグランプリを取った時、周囲から「お前もああいうのを撮れ。お前のキャラなら行けるだろ?」と言われたこともあったので。なので、今回このテーマで映画を撮るとなったとき、帽子やマイクというスタイルだけは、最初に決まりましたね。
−−映画の中で、監督は冒頭からラストまでずっと画面に登場しますが、それはどういう考えですか?
石田 最初はそんなつもりはありませんでした。とにかく構成がどんどん変わって行ったので、あまり考えてなかったのです。糾弾できない自分に気がついてから、色んなことがバタバタと決まり始めました。この映画は糾弾ではなくて、何も知らない自分が色んなところに行くという映画なんだ、と。だから、観る人みんなが僕に乗っかって観てほしいと思ったら、自分は常に画面に出ていたほうがいいんじゃないかと。
−−編集の段階でずっと自分を見るのは、どういう気持ちでしたか? インタビューの前に、「自分の容姿に自信がないから、トイレに行っても鏡を見ない人間」と言っていましたが。
石田 自分が映っているのを見るのは最高でしたね(笑)。自分の容姿を見たくないという反面、相反する感情が自分の中にはあって。例えば、マイケル・ジャクソンのコンサートに行くと、なんで俺はマイケルじゃないんだろう?って、ずっと思っていたの。相反する自己愛と自己否定が自分の中にずっとあって、それがこの映画で結実したというか(笑)。自分が出ているのが最高でしたね。
−−編集はどのように進めましたか?
石田 あまりに膨大な量の取材をしたので、どこから手をつけていいか分からず、最初の2週間ぐらいはただうなっていました。パソコンに触れなくて、七転八倒。ああ、もうダメだ、と思ったときに、パソコンを触ったらフゥーって5時間バージョンができた(笑)。だからあまり構成っていうのは考えなかったのね。七転八倒しながら、何となく頭の中で考えていたみたいです。自分で編集作業をやりながら、え、何でこの次はこの人なの?とか、不思議に思いながらやっていました。
−−映画では、避難生活を余儀なくされ、落ち込んでいた人が、避難先に家を建てたとたんに元気になる姿も描かれています。こういったエピソードは、原発のドキュメンタリーを熱心に観る人からは批判されるかもしれません。そういう“配慮”のようなものはあったのですか?
石田 僕は余りそういうことは考えませんでした。先ほども言いましたが、この映画には自分の再生という面もあります。出会った人たちは、皆それぞれ事情が違います。彼らの話を聞いて、ショックを受けて、じゃぁ自分は何が出来るかってなった時、映画の出来とは関係なく、出会った人は俺が救うって決めたんですよ。
なので、カメラを持たないでもしょっちゅう彼らに会いに行きますし、元気になってほしいんです。家を建てた人に関しては、電話で話したときにとても元気がなさそうだったので、心配して会いに行きました。ところが訪ねてみたら、とても元気で(笑)。ただ、「あきらめた(から家を建てた)」って笑う日本人というのが、僕はとても悲しいと思っているんですね。おかしくない? こんなに喜んでいるけど、っていう。それをどうしても表現したかった。
−−資金集めについてお聞きします。制作費用はクラウド・ファンディングを利用されましたね?
石田 はい。当初、この映画にスポンサーがつくのは難しいと考えたので、クラウド・ファンディングという方法があると知り、利用しました。だけど、クラウド・ファンディングは、日本ではまだ定着していないし、現実にはそんなにお金は集まりませんでした。
でも、スタートのきっかけとしては、出資してくれた人たちが自分の肩に乗っかってくれている、一緒に電車に乗ってくれている人がいるというのはとても大きくて、頑張るための起爆剤となりました。
しかし、現実にお金がないと映画が出来ないので、プロデューサーは必死にスポンサーを探しました。生協がいいのではないか?という話になり、パルシステムさんに話をしに行きました。
−−パルシステムは特別協賛になっています。
石田 パルシステムさんでは、お金について決める取締役的なおじさまがいて。その方に一生懸命プレゼンをしたら、じっと僕のことを見つめて、自分のこれまでの作品PVも観ずに、「お金を出しましょう」と言ってくれたんですよ! この僕のキャラに対してね。「その代わり、条件があります」とも言われて。「監督、苦しんでください」ってマジで言われたんですよ。すごい衝撃でした。悩んで撮ってくださいね、と。結局、本当にそうなりました(笑)。最高の出会いをさせてもらったと思っています。
−−ドキュメンタリーを撮ってみて、今後はどんなことがやりたいと考えていますか?
石田 自分でも、この映画が何なのか、まだ良く分かっていないのですが、この手法、このキャラを合わせると面白いぞと思っていて、色々やりたいなと考えています。『無知の知』シリーズとか(笑)。例えば、僕はパチンコをやっていたのですが、パチンコの暗部って深いんですよ。絶対扱えないところが沢山あって。そういうのもいつかやってみたいです。
この映画を撮り始めたときも、「原発? 危ないよ」とか、「二度と仕事できないよ」とか、僕とプロデューサーは散々言われました。でも、2人とも全くそんなことはなかったです。
−−危険な目には遭わなかった?
石田 なかったですね。Facebook経由で、元東電の人が「すごい秘密を話してやる」って連絡が来て、「このUSBの中に入っているものは、誰にも言うな。自分は今、命を狙われている」というのはありましたよ。「(USBを)君に預ける!」とか言って。その人は本当に東電にいて、法的にやりくりをして汚いお金を洗うという仕事をしていたそうですが、その資料が真実かどうかどうやって調べれば良いか分からなかったし、その資料は自分の映画では使いようがなかった、というのがあります。
−−最後に、監督から観客へのメッセージをお願いします。
石田 はい。私は東日本大震災から2年たった、昨年の3月からこの映画を撮り始めました。原発、福島をテーマにしていますが、タイトルどおり、私は何も知らずにこの映画を撮りました。この映画が出来て、今、どんな方々に観ていただきたいかというと、やはり僕と同じ思いの、原発事故の映像をテレビで見てショックを受け、何かしたいと思ったけど、未だに何も出来ないでいる人、そして少しずつ原発事故についての関心が薄れてきているあなたに観て頂きたいです。
普段、ドキュメンタリーなんてあまり映画館に観に行かないと思うのですが、僕はそういう方々に観ていただきたいと思って、この映画を作りました。足を運んで観て頂ければ、なるほどと納得していただけるのではないかと思っています。観て気に入っていただけたら、その輪を広げていただきたい。声を掛けてもらえたら、会いに行きたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
−−ありがとうございました。
石田朝也監督からメッセージ
【映画情報】
『無知の知』
(2014年/カラー/モノラル/107分)
監督・編集 石田朝也
企画・制作:株式会社大風
配給:アルゴピクチャーズ
製作:「無知の知」製作委員会 ©「無知の知」製作委員会2014
ゼネラル プロデューサー:大塚馨
エグゼクティブ プロデューサー:北島成治・松本典丈・櫻井隆
アソシエイト プロデューサー:植田真仁
撮影:松崎高久 録音:小松一之
ラインプロデューサー:米倉宏一 音響設計:芹川賢
協力:株式会社ケイ・アイ・エス 株式会社PINE10 株式会社バルーン・アンド・カンパニー
2014年11月1日(土)より ポレポレ東中野にてロードショー
他、順次公開
【監督プロフィール】
石田 朝也(いしだ・ともや)
1967年6月7日 静岡県生まれ。ESRA(パリ映像高等専門学校)卒業。NHKドキュメンタリー番組や海外作品や合作映画に携わる。2005年ドキュメンタリー映画「成瀬巳喜男・記憶の現場」で監督デビュー。日本の映画史に残る監督の軌跡を交流のあった俳優やスタッフの証言を基に3年の歳月を費やして制作。国内外から高い評価を得る。福島原発事故をテーマとした本作品『無知の知』は2作品目にあたる。
【聞き手プロフィール】
早川由美子(はやかわ・ゆみこ)
1975年東京都出身。大学卒業後、公務員、会社員を経て2007年に渡英。ロンドンでジャーナリズムを学ぶ傍ら、独学でドキュメンタリー映像制作を開始。これまでの作品に『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』(2009)、『さようならUR』(2011)、『木田さんと原発、そして日本』(2013)、『乙女ハウス』(2013)、『踊る善福寺』(2013)、『ホームレスごっこ』(2014)がある。