【Review】『ミンヨン 倍音の法則』「映像詩」を乗り越えた映画的強度の獲得 text 佐野亨

人生における最初の映像体験がTV番組であるというひとは、もしかすると今後減っていくのかもしれない。インターネット、スマートフォン、タブレット……これらの情報機器が完全に社会のコミュニティツールとして浸透した現在では、自分の好きなときに好きな映像を好きなだけ「消費」することが可能である。筆者自身もふくめ、多くのひとはその便利さに抗えない。そんな時代にあっては、映画もスポーツ中継も政治討論もすべて「コンテンツ」という言葉に回収されてしまう。しかし、そこには大きな欠落がある。

TVというメディアは、いったん家庭(茶の間と言い換えてもよいが)に入り込んでしまうと、一気に漫然たる日常的娯楽装置と化してしまう。その娯楽を享受するさいの究極的な選択権は、じつは視聴者にはない。視聴者は日常の風景のなかに存在する小さなハコに、電波信号をとおして投射された映像を、ただダラッと目視することしかできないからだ。しかし、だからこそ、TVというルーティンな日常を脅かすような映像に出会ったとき、私たちは心底たじろぐ。「ウルトラマン」における実相寺昭雄演出回や、かつて存在した過激なお色気番組の数々(これについては、先日刊行された編書『昭和・平成お色気番組グラフィティ』を参照されたい)、あるいは町山智浩が『トラウマ映画館』(集英社)で書いているようなTVの映画放映枠は、まさしくそうした脅かしによって視聴者に忘れがたい「体験」を与えた。

現在の「コンテンツ」化された映像の集積からは、こうした体験性はきわめて生まれにくいように思える。私たちがスマートフォンやタブレットをつかって映像を観るとき、まずそこには「自分の興味のあるコンテンツにアクセスする」という能動性が介在している。つまり、それを観るさいの選択権はどこまでも視聴者の側にある。この時点で視聴者は、これから自分が目にするコンテンツによって、刺激を受けたい、脅かされたいという心理的期待を背負うことになる。こうした状況では、いかなるショッキングな映像も、決定的な「体験」にはなりえない。たとえば、インターネットの動画サイトによく見られる「ブラクラ系動画」(ブラウザクラッシャー、ホラー系フラッシュ)にしても、一過性のショックを与えるものにすぎず、それによって視聴者の心理や社会性に決定的な「体験」をもたらすことはできない。これが大きな欠落である。

だが、いっぽうでTVというメディアがそのような「体験」を視聴者に与えることができたのは、TVが漫然たる日常装置であったからにほかならない。先述した実相寺昭雄にせよ、あるいは和田勉にせよ、岩井俊二にせよ、星譲にせよ、TVの世界においてその「異物感」こそが才能の発露とみなされていたような演出家たちは、映画に進出したとたん、当然のごとくその特性を失い、迷走することになる。すなわち、TVという日常装置のなかではじゅうぶんな「強度」を持ちえていたはずの表現が、映画という非日常装置のなかではことごとく脆弱なものに映ってしまうというジレンマを、TVと映画双方をわたりあるく表現者はつねに抱えていかなければならないのだ。

では、NHKで数々のTVドラマを演出した佐々木昭一郎の場合はどうだろうか。

筆者が佐々木作品に出会ったのは、1990年代前半。我が家に導入されたばかりのNHK衛星放送第2チャンネルで、「佐々木昭一郎の世界」なる特集放映が企画され、「マザー」「さすらい」「夢の島少女」「四季・ユートピアノ」などの代表作を目にしたのだった。正確にいえば、じつはそれ以前の1993年に、やはりNHK衛星放送第2チャンネルで放映された「八月の叫び」を佐々木作品とは知らずに観ていた事実が、のちになって判明したのだが。

このいずれの出会いも、まったくの偶然によるものだった。そう、まさにある晩、実家のリビングルームに会ったTVを漫然とつけっぱなしにしていたがために、筆者は佐々木作品と出会うことができたのである。おそらくリアルタイムで佐々木の作品を観た多くの視聴者もそうだったのではないだろうか。

 TVで目にした佐々木昭一郎の世界は、まさしくTVのルーティンな日常の外側にあるように感じられた。いわば圧倒的な「異物感」がただよっていた。これは筆者がいわゆるフィルム撮りのTVドラマ(時代劇や刑事ものなど)の全盛期が過ぎたあとの、VTR撮影によるドラマやバラエティ番組をおかずに育ったこととも関係していると思うが、35ミリや16ミリのフィルムで撮られた映像の質感は、どこかアンドレイ・タルコフスキイやジョナス・メカスの映画をほうふつとさせた(水や火など映し出される被写体が共通しているということもあるが)。

つまり、筆者は佐々木昭一郎のTVドラマを「映画的な作品」と認識していたのである。

その後、時を経て、佐々木作品がスクリーンで上映される機会が何度かあり、筆者も足を運んだ。佐々木作品はもともと「映画的」なのだから、TVではなくむしろスクリーンで上映されてこそ、その真価がわかるのではないか、とそんな期待を胸に、かつて胸打たれた「四季・ユートピアノ」「夢の島少女」などをそこで再見した。その映像表現のみずみずしさ、美しさには感嘆したけれど、初めてTVで佐々木作品を観たときのあの衝撃には到底およばかなった。もちろん初見と再見では印象が違ってあたりまえだし、年齢に応じた人生経験の多寡もいくぶん影響はしているだろう。だが、それ以上にTVと映画というメディアの違いは、一見「映画的」と思えた佐々木昭一郎の作品にあってさえ、如実に表れてしまうのだな、ということをあらためて痛感した。

無論、佐々木昭一郎自身も、そのことを意識していなかったはずはない。著書のなかで、佐々木は以下のように述べている。

「映画とテレビの一番の違いは、映画は官能で、テレビは感覚。大きな違いだと思います。官能的世界を描くには映画が最も向いていると 思います。説明の必要はないでしょう。テレビは感覚的であり、知的興奮をもたらします。映画は知的ではない、という意味ではありませんよ。官能が知性を超えて伝わる。テレビで官能世界を描くには、小さければ小さいほど、いいんじゃないですかね。見えなければ見えないほど! だから感覚なんです」

「もしぼくが映画に挑戦するとしたら、まるきり違う映像と音声になるでしょう。テレビの映画化ほど馬鹿げたものはなく、その逆も同じです」
 (『創るということ』新装増補版)

佐々木自身の言葉を借りるなら、この官能性こそが、スクリーンで観た佐々木作品には欠落していた。いや、まさしく「見えないほど」脆弱であった、と言い換えたほうが的確かもしれない。
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