だから、佐々木がTVの世界を去ってから20年近い歳月を経て、映画製作に乗り出したと聞いたとき、筆者は大きな期待とともに不安も抱いていた。これほどTVと映画の違いを自問しつづけてきた映像作家ならば、きっと……という思いのいっぽうで、しかしそれを実践するのは並大抵のことではないぞ、という懐疑の気持ちもかなりの部分を占めていたのである。
そして、試写室のスクリーンで、筆者は佐々木昭一郎監督の初の映画作品『ミンヨン 倍音の法則』を観た。衝撃を受けた。その衝撃の度合いはかつてTVで佐々木演出のTVドラマを初めて目にしたときの衝撃とくらべても遜色がない。だが、その衝撃のなかみは、大きく異なっている。
たしかにこの映画には、かつて私たちの心をとらえた佐々木昭一郎作品のイメージがところどころに影を落としている。音と記憶をめぐる旅という全体のモティーフは「四季・ユートピアノ」や川三部作を想起させるし、ロケ地として「さすらい」「東京・オン・ザ・シティー」に登場した神泉駅前の路地や住宅街が使われているし、さらに川面に横たわる男のかたわらには「紅い花」が流れてくる。
が、これらのイメージをとおして展開されるのは、かつての佐々木作品の記憶を反復することではなく、見覚えのある風景が現在に至る時代の移り変わりのなかで、どのように変化したか、あるいは変化していないかという「いま・ここ」の風景論なのだ。街の雑踏、雑音、ざわめきは「いま・ここ」の時間と空間をあらわす要素としてフィルムに刻み込まれ、その現在の風景をミンヨンという若い女性主人公が駆け抜ける。さらに、佐々木が少年時代に体験した戦時下の出来事、家族の記憶までもがミンヨンら現在を生きる者たちの肉体をとおして再現され、「いま・ここ」と地続きの物語として描かれる。
この過去と現在をシームレスに行き来する大胆な演出は、佐々木の二歳年下にあたる映画作家・大林宣彦の近作群(『その日のまえに』『この空の花』『野のなななのか』等)とも通底している(実際、本作と『野のなななのか』はグラマンのレコードや「アリラン」などのディテイルを共有している)。
こうした現在への確固たる視線によって、佐々木は「伝説の作家」が陥りがちな自己模様や退行からみごとに逃れ、TVと映画の差異を軽々と飛び越えて、圧倒的な「強度」を獲得してみせた。
そういえば、本作が岩波ホールの公開待機作品として宣伝されていた一時期、『モーツァルトの娘たち』という仮タイトルが付けられていたと記憶しているが、考えてみればこのタイトルはじつに佐々木昭一郎的なのであった。が、本作は結局、『モーツァルトの娘たち』ではなく、当初の予定通り『ミンヨン 倍音の法則』として完成された。「この映画はミンヨンという女性を見せるためにつくったのだ!」という思い、そして一般にイメージされる佐々木昭一郎像に迎合してなるものかという強い意思が感じとれる。
筆者は先日、佐々木監督へのインタビュー取材をおこなったのだが、そのとき印象的だったのは、監督が自身の作品を「映像詩」と形容されることについて違和感をおぼえる、と話していたことだ(筆者もついうっかり使ってしまうのだが)。そう、たしかに佐々木作品は一見ポエティックな映像やダイアローグに彩られているようにみえるが、中心軸にははっきりと劇的な人間ドラマが貫かれ、その物語を語るために直観的、即興的な演出が採用されているにすぎない。この点が安手の「アートフィルム」にありがちな雰囲気だけの詩的演出と佐々木の演出を決定的に隔てているものではないだろうか。それは、佐々木自身が言うところの「技法ではなく方法論を」という考え方にも通じている。
「僕は、技法を確立することには興味はないんです。方法論について考えることは、毎回、一つの戦争であって、それはキャスティングについても音楽についてもおなじ。手持ちキャメラでドキュメンタリータッチでやります、ということが先にあるんじゃないんですね」
(筆者によるインタビュー、ウェブサイト「INTRO」2010年7月)
こうした佐々木の発言をあらためて読み直すことで、筆者はこの数年のあいだにスクリーンで上映された佐々木作品を観たときの違和感の正体をあらためて理解したのである。
そのうえで、佐々木昭一郎が映画という非日常装置を存分に遊びこなしているさまに拍手喝采を送りたくなった。
【作品情報】
『ミンヨン 倍音の法則』
主演 ミンヨン ユンヨン 武藤英明 旦部辰徳 高原勇大 ほか
監督・脚本:佐々木昭一郎
撮影:吉田秀夫
音響:岩崎進
編集:松本哲夫
録音:仲田良平
音楽:後藤浩明
企画・プロデュース:はらだ たけひで
製作:山上徹二郎、佐々木昭一郎
製作:シグロ、SASAKI FILMS
製作協力:岩波ホール
配給:シグロ
岩波ホールで公開中 以降全国順次公開
http://www.sasaki-shoichiro.com/index.html
写真は全て©2014 SIGLO/SASAKIFILMS
【執筆者プロフィール】
佐野亨(さの・とおる)
雑文書き、編集業。『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)、『アジア映画の森 新世紀の映画地図』(作品社)、『文藝別冊 タモリ』『アニメのかたろぐ 1990-1999』『昭和・平成お色気番組グラフィティ』(河出書房新社)等。映画サイト「INTRO」(http://intro.ne.jp/ )等に寄稿。