【追悼 大津幸四郎さん】 巨大な映画人、大津幸四郎さんを悼む text 伏屋博雄

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 巨大な映画人、大津幸四郎さんを悼む
伏屋博雄(neoneo編集室 元小川プロプロデューサー)

2014年11月28日未明、大津幸四郎さんが肺がんで亡くなった。享年80歳。今年の4月にアテネフランセ文化センターで行われた『三里塚に生きる』試写で挨拶を交わした時は、お元気だったのだが・・・・

亡くなる前日、病院に向かうバスが荒川の橋を渡るとき、これが最後のお別れになるかもしれないという予感が込み上げていた。病状が思いのほか重いという知らせを受けていたのである。病室の大津さんは背の傾斜したベッドで酸素吸入器を付け、全身で荒い呼吸をされていた。耳元で声をかけたものの反応はなかった。

わたしが大津さんに初めて言葉を交わしたのは1968年春。小川プロ製作部の一員として駈け出してひと月が過ぎた頃、上司から「製作費を集めてくれないか」と突然言われ、心の用意のないまま、三里塚の第1作となる『日本解放戦線 三里塚の夏』の金策に駆り出された時である。人に無心する口上をどのようにすればいいのか途方に暮れ、ふと大津さんにアドバイスを得ようと思ったのである。はたして大津さんは、三里塚にどのような経緯で飛行場が建設されようとしたのか、それに対して農民はどのように抵抗しているのか、映画の狙いは何かなど、予期する以上に、実に丁寧に教えてくださった。なぜこの時、大津さんからアドバイスを得ようとしたのか?・・・・何人ものスタッフの中から大津さんに訊ねたのは、この人ならば適切な助言をしてもらえるだろうという、直感ながら大きな信頼感があったからである。

情況への理解力、それを支える豊富な読書は当時から大津さんの真骨頂だった。高校時代から「哲学の好きな変わり者」だったという大津さんは、カメラマンの中でも抜きん出た理論家だった。それは、時折行った講演やインタビュー、さらには昨年出版された著書『撮影術―映画キャメラマン大津幸四郎の全仕事』(以文社)での発言が雄弁に物語っている。

大津さんは生涯をフリーランスのキャメラマンとして全うされた。その作品の数々にわたしたちはどれほど鮮烈なイメージを受けたことだろう。『圧殺の森』の密室から解放された学生の水浴びシーンの瑞々しさ。『三里塚の夏』の闘う青年たちの凛々しさ。『不知火海』の海辺の岩場にたたずむ少女の背中越しのショット。『三池』の建物の存在感・・・小川紳介、土本典昭、熊谷博子、佐藤真など、大津さんを恃みに思う監督は広範囲に及んだ。活躍の場はドキュメンタリーだけではない。時には黒木和雄といった劇映画の監督などとも組むかと思えば、『大野一雄 ひとりごとのように』では70代に入って自ら監督にも挑戦。その流れは今年完成した『三里塚に生きる』(代島治彦と共同監督)にも及んだ。介護されていた長女の知美さんによれば、闘病中も劇映画を構想されていたという。どこまでも貪欲に映画人として貫徹する姿勢を示されていた。そうした生き方は、キャメラマンという枠を超え、人生の師として、わたしたちに「人の歩み」を教えてくださっているように思われる。

東京ではもっか、大津さんが全力で取り組んだ傑作『三里塚に生きる』が公開中である。劇場に駆けつけることが、せめてもの大津さんへの感謝の気持ちを表わすことになるのではないか。走れ!ユーロスペースへ。

大津幸四郎さん、ありがとうございました。つつしんでご冥福をお祈りいたします。

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現在公開中『三里塚に生きる』を撮影中の大津幸四郎さん 撮影:北井一夫

大津幸四郎 Otsu Koshiro

1934年、静岡県生まれ。キャメラマン。静岡大学文理学部卒。1958年に岩波映画製作所に入社。5年間撮影助手としてつとめるが、PR映画に限界を感じ退社。以後、フリーランスのキャメラマンとして独立。同時期に岩波を退社した小川紳介監督の『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』(67)『日本解放戦線・三里塚の夏』(68)、土本典昭監督の『パルチザン前史』(69)『水俣 患者さんとその世界』(71)の撮影を担当。被写体に皮膚感覚で迫る柔軟なキャメラワークで注目を浴び、日本映画界の最前衛に立つキャメラマンとしての評価を固めた。劇映画にも進出、黒木和雄監督『泪橋』(83)、沖島勲監督『出張』(89)などの作品を残す。90年代以降は積極的に若手映画作家と組み、佐藤真、ジャン・ユンカーマン、熊谷博子などの作品を撮影した。2005年に自ら撮影・構成した作品『大野一雄ひとりごとのように』を発表。2014年11月28日午前0時9分、肺がんのため逝去。

フィルモグラフィー

主な撮影作品

『青年の海 四人の通信教育生たち』監督:小川紳介 1966年
『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』監督:小川紳介 1967年
『日本解放戦線・三里塚の夏』監督:小川紳介 1968年
『パルチザン前史』監督:土本典昭 1969年
『水俣 患者さんとその世界』監督:土本典昭 1971年
『水俣一揆 一生を問う人々』監督:土本典昭 1973年
『不知火海』監督:土本典昭 1975年
『医学としての水俣病 三部作』監督:土本典昭 1975年
『泪橋』監督:黒木和雄 1983年 劇映画
『出張』監督:沖島勲 1989年 劇映画
『狭山事件 石川一雄・獄中28年』監督:小池征人 1991年
『魂の風景 大野一雄の世界』監督:平野克己 1991年
『アリランのうた 沖縄からの証言』監督:朴寿南 1991年
『アイランズ島々』監督:セミョーン・D・アラノヴィッチ 1993年
『まひるのほし』監督:佐藤 真 1998年
『ドルチェ 優しく』監督:アレクサンドル・ソクーロフ 2000年
『花子』監督:佐藤 真 2001年
『チョムスキー9.11』監督:ジャン・ユンカーマン 2002年
『映画 日本国憲法』監督:ジャン・ユンカーマン 2005年
『三池 終わらない炭坑の物語』監督:熊谷博子 2005年
『エドワード・サイード OUT OF PLACE』監督:佐藤 真 2005年
『三里塚に生きる』 2014年

監督作品
『大野一雄 ひとりごとのように』 2005年
『三里塚に生きる』 2014年

【執筆者プロフィール】

伏屋博雄(ふせや・ひろお) 
1944年、岐阜県生まれ。プロデューサー、 68年小川プロに参加し、『どっこい!人間節』でプロデューサー、 『ニッポン国古屋敷村』『1000年刻みの日時計』などを製作。小川紳介の死去に伴い93年に製作会社を設立、『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』 (07)などを手がける。2000年代よりドキュメンタリーメールマガジン「neo」(00~03)「neoneo」(03~12)の編集・発行を手がける。現『neoneo』編集長。