【ゲスト連載】Camera-Eye Myth/郊外映画の風景論 #10[最終回]「Readers / Cinema/ドキュメンタリー」 image/text 佐々木友輔

4. 環境ノイズエレメント

編集作業を続ける中で、わたしは、建築家の宮本佳明が設計した「「ゼンカイ」ハウス」のことを思い出していた。

宮本は編著書『環境ノイズを読み、風景をつくる。』において、風土性や土地の起伏などの自然物、あるいは過去の都市計画や土木建築物といったものが現代の都市計画に具体的に影響を与えることで生じるほころびを「環境ノイズエレメント」と呼び、その代表的なパターンを整理・体系化することを通じて、誰もが多層的で豊かな風景をつくり出せるような設計ツールを提案した。彼はそれを料理の過程になぞらえ、「クッキング・アーバニズム」と名付けている。

 

クッキング・アーバニズムによるデザインとは、「創造」というよりはむしろ「編集」に近い。それは人工的であるか自然発生的であるか、スケールが都市的であるか建築的であるかを問わず、異なるフェイズのもとで発生した意図が重層してひとつの環境が成立すること、つまり複数の意図の書き重ねとその積極的な編集によって、オールマイティな単一のシステムのもとでは得難い風景の多層性がもたらされる可能性を示唆するものである。(166頁)

 

「「ゼンカイ」ハウス」は、こうした考え方が見事に具現化された例のひとつである。これは宮本が、1995年に起きた阪神・淡路大震災によって「全壊」の判定を受けた自らの生家を、取り壊して更地にしてしまうのではなく、建物全体を——まるで骨折した足をギプスや副木で固定するようにして——鉄骨で支え、補強し、アトリエとしてリノベーションしたものである。従来の木造による構造と鉄骨による構造が絡み合うその姿は、まるで古い建築物と新しい建築物が互いに寄り添って、支え合っているかのようだ。

宮本は、大きなダメージを受けた建築を「リセット」して新しい建築に建て替えてしまえば良いと考えるのでもなければ、古い建築がいつまでもそのままの姿であるように修復・保存に勤しむべきだと考えるのでもなく、2つの時間それぞれを尊重し、両者をかさね合わせるようにして新たな形態を生み出そうとする。また彼は、いわゆる「自然物」に限らず、過去の都市計画や建築物など、人間の手によってつくられたものも環境ノイズエレメントとして捉えている。ここでは、「新」と「旧」の対立や「自然」と「人工」の対立を前提としないところで建築が思考されているのである。

 

宮本が建築の問題として取り組んだことを、映画と場所をめぐる問題に置き換えて考えてみよう。

先に確認したように、撮影や編集を通じて見つめられた「郊外」と呼ばれる場所もまた、自由自在に書き込み可能なタブラ・ラサとしての場所ではなく、常に「郊外」という語から逸脱するような、映画制作者の思いどおりにならない要素を無数に含み込んだ場所として現れてきた。すなわち、ショット同士の「つながらなさ」や思いがけない「つながり」もまた一種の環境ノイズエレメントなのであり、それは、自然/人工といった区別には従わず、地平線の傾きや揺れの強さ、明暗や色彩など、映像に独自のパターンや規則性を持って画面上に映し出されるものである。

ある場所で撮影した映像を見返す中で、次々に見出される環境ノイズエレメントを、個々に独立した無秩序なものとして捉えるのではなく、宮本がクッキング・アーバニズムで試みたように、複数の環境ノイズエレメントに共通して備わっているパターンや規則性を抽出し、そこから、撮影した映像全体の「傾向」を掴む。そして、事前に用意した脚本や構成に沿うように編集作業をおこなうだけではなく、撮影した映像全体の「傾向」にも従い、それを損なわないように編集作業をおこなう。すなわち、編集のドキュメンタリー性を通じて見出される場所の「傾向」と、制作者が事前につくりあげたイメージのそれぞれを、ひとつの作品の中に共存させるような映画制作ができるのではないだろうか。一方的に場所を撮るのでもなければ、場所に撮らされるのでもなく、場所と共に映画をつくってみたい。エンドクレジットに流れる監督の名前が人間でなければならないルールなど、どこにもないはずだから。

5. 場所とつくる映画

そのような制作を可能にするためには、おそらく、いくつかの条件をクリアしなければならないだろう。

まずは、映画をつくるときにも観るときにも、すべての主導権がこちらにあるという傲慢さを捨てること。撮影の時点でも編集の時点でも、出来上がった映画を観る時点でも、そこには無数の環境ノイズエレメントがひしめいている。それらは、こちらが望む・望まないにかかわらず、常に予測を裏切るような動きを見せて映画のかたちを内側から変形させていく。人間が自らの意思で映画をつくっているように見えて、実はそれはすべて、無意識のうちに場所によって突き動かされた結果なのかもしれないのだ。

しかしこのような考えは、これまで人間の側に優位があると信じ切っていたことへの揺り戻しに過ぎないのかもしれない。そこで次に気をつけるべきは、自らの力を過小評価しないということだ。映画やテレビなどの映像メディアが、「郊外的」なるイメージをかたちづくり、それを現実の土地のありようにかさね合わせ、押し付け、改変してきたこともまた確かな事実であり、決して「なかったこと」にはできないだろう。過度に無力さを強調することは、自らの暴力を隠すことに他ならない。

そして最後に、もうひとつ注意しなければならないことがある。それは、連載の第6回でも述べたように、場所を「人間的」に捉えすぎてはいけないということだ。「映画の共同制作者としての場所」という発想そのものが、場所の擬人化を前提とした考え方であるかもしれないのである。もちろん、人間の行為や心理になぞらえることによってこそ得られる発見や関係もあるだろうし、そもそも、わたしたちが人間としての身体を持ちその社会に生きている以上、「人間的」な解釈から完全に外れたところで何かと関わることは不可能だろう。けれども、そうすることによってこぼれ落ちてしまうものだって当然あるのだということを忘れずにいたい。場所を「人間的」に捉えるというのは、あくまでも「のぼり終えたら外す梯子」でなければならない。それはとても難しいことだけれども、特別なことでもないはずだ。それこそふだんの人間関係の中でだって、わたしたちは特定の理論や類型に則って他人と接しているわけではなく、ひとりひとりとその都度、それぞれまったく異なる関係を築き上げているのだから。

 

肉体を持つ「このわたし」は、場所から離れて生きることなどできないから、本来、場所に別れを告げる必要も再会を誓う必要もない。けれども決意表明の気持ちを込めて、最後にもう一度「さよならのうた」を歌おう。まだ、人間のような姿をしているのだろうと信じていた頃の、郊外的なる場所のイメージに向けて。

[了]

|参考文献/関連資料

宮本佳明 編著『環境ノイズを読み、風景をつくる』、彰国社、2007年
松本俊夫 著『映像の発見——アヴァンギャルドとドキュメンタリー』、三一書房、1963年
松田政男著 『風景の死滅 増補新版』、航思社、2013年
三浦哲哉 著『映画とは何か フランス映画思想史』、筑摩書房、2014年
小田原のどか 編『あなたはいま、まさに、ここにいる』、トポフィル、2011年
佐々木友輔「フェイクドキュメンタリーとして『ホビット』を観る」、Book News、2014年、http://www.n11books.com/archives/37211346.html
アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 監督『ピカソ—天才の秘密—』、1952年
ジャン・パンルヴェ 監督『アセラ、または魔女の踊り』1972年
原將人 監督『初国知所之天皇』、1973年
森田芳光 監督『(ハル)』、1995年

 

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|プロフィール

佐々木友輔 Yusuke Sasaki (制作・撮影・編集)
1985年神戸生まれの映像作家・企画者。映画制作を中心に、展覧会企画や執筆など様々な領域を横断して活動している。イメージフォーラム・フェスティバル2003一般公募部門大賞。主な上映に「夢ばかり、眠りはない」UPLINK FACTORY、「新景カサネガフチ」イメージフォーラム・シネマテーク、「アトモスフィア」新宿眼科画廊、「土瀝青 asphalt」KINEATTIC、主な著作に『floating view “郊外”からうまれるアート』(編著、トポフィル)がある。
Blog http://qspds996.hatenablog.jp/

菊地裕貴 Yuki Kikuchi (テクスト朗読)
1989年生まれ、福島県郡山市出身。文字を声に、声を文字に、といった言葉による表現活動をおこなう。おもに朗読、ストーリーテリング中心のパフォーマンスを媒体とする。メッセージの読解に重きを置き、言葉を用いたアウトプットの繊細さを追究。故郷福島県の方言を取りあげた作品も多く発表。おもな作品に「うがい朗読」「福島さすけねProject」「あどけない話、たくさんの智恵子たちへ」がある。
HP http://www.yukikikuchi.com/

田中文久 Fumihisa Tanaka (主題歌・音楽)
作曲家・サウンドアーティスト。1986生まれ、長野県出身。音楽に関する様々な技術やテクノロジーを駆使し、楽曲制作だけでなく空間へのアプローチや研究用途等、音楽の新しい在り方を模索・提示するなどしている。主な作品に、『GYRE 3rd anniversary 』『スカイプラネタリウム ~一千光年の宇宙の旅~』『スカイプラネタリウムⅡ ~星に、願いを~』CDブック『みみなぞ』など。また、初期作品及び一部の短編を除くほぼ全ての佐々木友輔監督作品で音楽と主題歌の作曲を担当している。
HP http://www.fumihisatanaka.net/

門眞妙 Tae Monma(キャラクターデザイン・原画)
1985年生まれ、宮城県仙台市出身。アーティスト。少女のキャラクターを用いた絵画表現を中心に活動する。言葉にできない『感情』『時間』『一瞬』の集積と、この世界との和解を描く。主な展示に「美しいending」、「ドラマ」
、「だけど、忘れられる」、「floating view2 トポフィリア・アップデート」など、いずれも新宿眼科画廊にて。
HP http://www.gel-con.jp/