大空小学校、という現場
——真鍋さんは、長編のドキュメンタリー番組を制作するのは初めての経験だったとお聞きしましたが、そのことで戸惑いはありませんでしたか?
真鍋 僕、実はずっとドキュメンタリーのカメラマンをやっていたんですよ。入社して3年目ぐらいから、毎年1本はドキュメンタリーを撮らせてもらっていたんですが、10本ぐらいやった段階で、もうカメラマンはいいかな、と。別にカメラマンが嫌になったわけでは無くて、組みたいと思える先輩のディレクターもいなくなり、それならば、自分で演出した方がいいかなと思って。10年前に(記者職である)報道部に異動させてもらいました。
とはいえ、いきなりドキュメンタリーの演出ができるわけもなく、原稿の書き方から学んでいった方がいいのかなと思ってふつうに記者をやっていたんですけど、そういう慎重な性格が災いしたのか、今やっている「スーパーニュース・アンカー」の立ち上げで人員不足となったこともあって、大阪府庁のキャップとか本社のデスクとか、ドキュメンタリー番組からは遠いところに行きました。自分の役目がキチンと決まると、なかなか企画書を出すこともできなくなり、ずるずると…。今回は、たまたま制作の機会が巡ってきた感じです。長期取材は8年ぶりぐらいでしたかね。
——実際に、大空小学校に通われてみての印象はいかがでしたか?
真鍋 それまでに取材されていた映像で様子は見ていましたが、行ってみると、正直「なんだこれは?」という感じでした。教室でワーッといって歩いている子がいても、なんとなく授業は続けている。日野先生(大空小学校に赴任したばかりの、支援の必要な子が多い6年生の担任)と同じ心境ですね。日野先生は映画の中で、ワーッと言って歩く子を押さえた時に「なんか俺、場違い?」といった顔をしていたんですけど、まさにあのような感じで、僕も同じように唖然としてて、ただ廊下から子供たちを見ていました。子供が外に歩いてきても他の子は気にしてないし、その状況が何なのか、全く分かりませんでした。
でも逆に、それがよかったのかもしれないですね。大した予備知識も無く学校に放り込まれて、そこで一本撮ってこい、という感じだったから、小学生と同じで、僕も「みんなの学校」で一緒に学んでいくしか無いんですね。今はそれで良かったと思っています。
——子供たちがカメラに慣れている、といいますか、カメラを意識しないはずが無いと思うんだけれども、わりと自然体で、カメラ目線が一切無いですよね。
真鍋 あまり無いですよね。ラッシュの段階からそうでした。何故なんでしょう?分からないですよ。何かこういうことをしたからこうなった、というのが何も無いんですよ。何故でしょうね?
——カメラマンさんは、ずっと同じ方ですか?
真鍋 はい。大窪という僕と同世代のカメラマンが、ずっとついていてくれました。4月に通い出した頃は、ふつうは学校ではこんなに回されへんよなあ、という話をよくしていました。ふつうは学校に行くと、ピースサインの子に囲まれて、いつの間にかレンズやマイクに誰かが触っている、みたいなことになります。大空でも休み時間はそんな感じですが、最初の頃から授業中になるとそんな雰囲気は消えて、みんな自分のすべきことに戻っていくみたいな感じでした。カメラに近づいてくる子が山のようにいる学校でも、毎日通ったらそうなったのかもしれませんが、本当のところはよく分からないです。秋になると子供たちは、僕らがいてもいなくてもどうでもいいや、ぐらいの空気感で、僕ら自身も、何となくそこにいるといった雰囲気になりました。
今にして思えば、それは例えばセイシロウ(主人公の生徒のひとり、通称セイちゃん)が学校に行けるようになったのと同じことじゃないですかね。変わった人がいても過剰に気にとめないのが、大空小学校の伝統とか空気みたいなものかもしれないな、と思いました。もし僕らではないスタッフが行って撮ったとしても、変わらなかったんじゃないかと思います。
——映像を見ていると、学校がテレビの取材に全面的に協力していて、関係性ができているように見えますね。
真鍋 それは迫川が1年前に3ヶ月間やっていた、というのが大きいと思います。彼女も3ヶ月間で10回以上は取材に行っていましたから。当時の子供たちがある程度残っているというのもあるし、大空小学校はもともとお客さんが多い学校で、視察も多いんです。みんなが一緒に教室で過ごすってどういうこと?と、見にくる教育関係者の方が多くて、子供たちも、お客さんがきたらちゃんとあいさつしいや、とかは言われてますが、あまり気に留めないんです。
とはいえ、カメラがいれば相当気になるはずですよね。ただ、1年前にも彼らは経験しているので、そんなに構えられることはなかったです。僕らがうまくやった、というよりは、学校が開かれているんで自然に受け入れられた、というのが大きいんじゃないでしょうか。
——ということは、校長先生の教育方針によるところも大きいのですかね。
真鍋 撮影をすることによって起きる責任は全部私にある、と校長先生は断言してくださいました。いろいろあるかもしれないけど、カメラは基本としては、どこでも撮らせてあげてね。ただし、どう世間に出すかというのは私と関西テレビの信頼関係の中でちゃんと決めるから、そういう意味でも全てのところを見てもらいます、と。つまり僕らが撮るスキルがどうこうではなくて、撮らせている側がすごいんですよ。ただし、どの場面をどういう文脈で使うのか、それで誰が傷つき、誰が傷つかないのか、という問題は、最終的にはきちんと詰めなければならなかったです。子供の心に関しては僕らも神経質になっていて、どこまで追いかけてよいのか、という問題に対しては、それなりにぴりぴりしながら撮っていました。
——もうすこし具体的にお聞きします。セイシロウくんをはじめ、何人かの子どもはいつ、どのように動くか全く予想がつきませんよね?それを撮影するために、どれぐらいの頻度で学校に通われたりしたのですか?
真鍋 週に2、3回は行っていて、時には週5日の時もある、という感じで、トータルでは年間二百数十日のうち、138日行っていました。
校門が開く朝の8時に行くと子供たちが、その日はどんなふうにやってくるのかを、こちらの顔も見せながら観察できるんです。そうすると、今日はカメラがきている日なんだなって子供たちにも周知される。毎日7時半に会社を出て、8時には校門の前で管理作業員の方とだべりながら、ぼくらもおはよう!という感じで一緒に立っていましたね。そのうちに撮っていなくてもカメラになつく子供が出てきて。大体同じ子が毎朝絡んでくるんですよ(笑)。カメラをのぞかせろ、とか言って。
——子供たちだけでなく、先生方にも結構カメラを向けられていますよね。
真鍋 もちろん日野先生みたいに、こちらが意味付けをして撮っている人もいますが、日々撮って行くなかでどこが一番の騒ぎになるんだ、みたいな視点で動いていると、おのずと校長先生を中心とした先生方の奮闘が、視野に入ってくるのです。
セイシロウやカズキというのは、校長先生がすごく気にかけていた子ですね。カズキは家庭環境に不安定な所があって、何かといえばカズキはなあ…という話を校長がするので、僕らもひきずられて見守っていく感じでした。校長からは他にもいろんな名前が出てきましたが、6年生と4年生を中心にいろんなことが起きるので、自然にその二つの学年への取材が多くなりました。どちらかにカメラがいて、もう一方に僕がいる、というふうに分かれて、僕は時々職員室に行って、誰かが深刻な相談をしていたらすぐにカメラを呼ぶ、といったような体制でした。
——長くカメラを回していると、何を撮っているのか分からなくなる時とかがありませんでしたか?
真鍋 何を撮っているのかなんて、撮影中は全然分からないですよ(笑)。目の前に起こることをとにかく追いかけて、それをどうしよう、ということの連続でしかなかったですね。これを撮ろう、みたいな決めごとは、特にありませんでした。
もちろん、撮る理屈としては「学校選択制がはじまると、こういう小さな学校は潰されるかも知れない」という意識がスタートの時点で僕の頭の中にあったんですけれども、実際に通ってみると、とにかく子供たちが面白いんです。僕も大窪もカメラマン出身だから、面白いものは撮っておこう、というノリなんですよ。途中どのような意味付けをしようかということは考えますけども、大空小学校では、流れが自然にできていいきました。
セイシロウも、たった2ヶ月で学校になじんでいました。5月の終わりぐらいには教室に座り出して、もちろん中でワーッと言って歩き回ったりしているんですけど、4月に「脱走する!」とか「引退する!」とかいっていたはずが、いつのまにか片がついてしまった。カズキに関しては、学校に来れなくなったり来れるようになったりと結講波があったんですが、最後に卒業式で、ああいう顔をして無事巣立ってくれたんで、とりあえずは良かったなあ、と。
——長期の取材では、こういうものが撮れたから作品として成立する、と気がつく瞬間があるかと思うのですが、『みんなの学校』の場合はいかがでしたか?
真鍋 5月か6月の段階で、何を世間に出せるかは別として、今まで見たことも無かったような「大空小学校の世界」がみえてきて、1時間ぐらいの番組にはできるだろうと思いました。
とにかく思ったのは「学校は面白いな、楽しいな」ということです。僕らが目撃するひとつひとつの“事件”よりも、それが積み重なることで、子供たちが成長していく姿が時間軸で捉えられるんです。たった2ヶ月ぐらいでも、子供たちは日々いろいろなことに気づいて、成長していくものなんだなって。当時は僕も子供が小さかったのでよく分からなかったのですが、大空小学校に通ううちに、素直にすごいと思いましたね。なるほど、先生というのは、そういうことが魅力でやっているんだ、と。
子供たちは着実に成長するという感じではなくて、一歩進んで二歩下がる、みたいなところがあるのですが、何となくそれを繰り返しながら進んでいく楽しさがあって、物語をどう組み立てるかみたいなことは、後でどうにでもなるだろうという予感が撮影のときからありました。
▼Page 3 テレビ番組を映画にする、ということ につづく