|上映館・横浜シネマリンについて [スタッフより]
『七人の侍』のように再生した映画館
昨年12月12日にリニューアルオープンした映画館「横浜シネマリン」で縁あって働いております。主にフロア業務を担当しております。この文章を書いている今は3月の末近く、日を追って外の陽射しには暖かみが増し、冬がその終わりを告げ、春の訪れを想わせます。
そう、もうすぐ新生シネマリンにとって初めての春を迎えようとしています。
オープンからはや3ヶ月、あっという間でした。わずか3ヶ月ながら、多くの映画、多くのお客さまと出会いました。大袈裟かもしれませんが、映画館の毎日はまるで移ろう季節のようです。
横浜シネマリンのリニューアルオープンについては、既に多くのメディアに取り上げていただいた記事のとおりですが、2014年の3月末で横浜シネマリンは一旦休館となりました。後にシネマリンの新代表となる八幡さんは、横浜キネマ倶楽部という映画サークルで活動しており、地元横浜に、いつか映画館を作りたいという構想を長年温めていました。実際に実現に向けて動いてもいましたが、場所探しからしてなかなか思うように進まずにいた、そんな折、閉館の危機に瀕していたシネマリン存続の為、後を引き継がないかという知らせが八幡さんのもとに届きました。「やります」と即答したことで話が一気に展開することになりました。リニューアルオープンに向けて横浜シネマリン再生プロジェクトを立ち上げ、いよいよ動き出したのです。
このプロジェクトはまるで黒澤明監督の『七人の侍』のようだと、リニューアルオープンを果たした今、八幡さんは言います。彼女は長年映画サークル活動はしていたけれども、映画館運営なんてやったことが無い訳で、熱意はあるがノウハウは正直無い。そこで方々から、劇場設計、音響、番組編成、映写、運営などの各ジャンルで活躍中の才能あるプロを呼び集めることになるのですが、呼び集めること自体並大抵のことではありませんでした。アテネ・フランセ文化センターの堀三郎さんに無理を言ってお願いし、『七人の侍』でいう勘兵衛役として、いつも遅くまで大変な現場の指揮をとっていただきました。それから相談役だった渋谷のミニシアター、ユーロスペースの北條支配人が、陰ながらせっせと、まるで加藤大介さんが演じた七郎次のようにシネマリンに必要な人間と八幡さんとを次々に結びつけてくれたのです。そのようにしてシネマリンは、侍たち、大工さん電気屋さんたち、ボランティアの皆さんのあらゆる力を結集して生まれ変わったのです。
プレオープンを振り返って
プレオープンの12月12日はドタバタの慌ただしい一日でした。フロアの床の張り替え、カウンター設置、発券システムの導入作業がその日の午前中まで続いていました。昼過ぎのプレス用の内覧会を済ませ、そしていよいよプレオープン記念イベント、柳下美恵さんのピアノ伴奏付き小津安二郎監督の『青春の夢いまいづこ』のチケット販売が始まりました。
申し遅れましたが、僕は映画が好きなだけの、映画館業務はおろか接客業経験もないただの「ズブの素人」です。『七人の侍』のキャストのどれにも当てはまらない。10月末に突然八幡さんから声をかけていただき、会社員を辞めて参加するのを即決した身です。元々、八幡さんとは一般社団法人コミュニティシネマセンターと映画美学校とが開いている「映像アート・マネージャー養成講座」の同期生だったのが出会いのきっかけです。映画館運営・興行、番組編成、映画祭、コミュニティの場としての映画館の現在形など、現役のプロから教わり、映画を観客に見せる側(興行側)の人材育成を目指す講座です。僕自身二転三転しましたが、ここ数年映画館に興味を抱き、仕事に就きたいと思うも、映画館スタッフ募集の面接に落ち続けていた次第で、埼玉県の当時の最低時給785円のバイトに書類審査で落ちた時は、現実の厳しさを30歳半ばにして改めて実感しました。このような僕に機会を与えてくれた八幡さんには恩を感じております。
話をプレオープンの日に戻します。ズブの素人の僕にとって、長蛇の列が出来た状況に面食らいながら、他館からのヘルプの先輩方に助けられながら、何とかチケットを発券できました。先輩は当たり前かのように涼しい顔をされていましたが、自分にとってはひたすら緊張状態が続きました。上映については、柳下さんの演奏も素晴らしく、大入り補助席まで出る大盛況のうちに無事終えることができました。勿論、受付のレジ〆作業や翌日の準備に追われ、自分は上映を観ることはできませんでしたが、映写室と事務所を繋ぐ換気口から、時折こぼれるピアノの音色が、受付カウンターにまで微かながらきこえて来る度「小津さんの命日なんだ、小津さんの命日なんだ」と思わず心の中で呟いていたのを憶えています。そして終映後の拍手の音が強く印象に残っています。
横浜シネマリンのこれから
これからの横浜シネマリンの未来について、弱輩の自分が語るのは恐縮ではありますが、常日頃、街に映画館が素朴にある風景をずっと見ていたいと思っています。
シネマリンのある伊勢佐木町界隈は、商店や飲食店が軒を並べるモールもあれば歓楽街もあり、少し離れた一帯にはどや街がある。通りのひとつひとつが異なる空気を持っている。さらに他国の言葉が些か乱暴に飛び交ったり、観光地横浜のイメージとは別のディープな横浜の顔を見せてくれます。既に数名いらっしゃった、暇つぶしなのか途中入場、途中退場されるお客さまやら、当たり前ですが観客もまた色々です。この街固有の様々な顔を、そして人々の顔を知りたいと思います。コミュニティを知り、ひとつひとつの顔を肌で感じ対話していけば、自然とシネマリンの顔も作られていくのではないかと思います。
興行の世界ですから、悠長に理想ばかりも言っていられません。多くの方々の協力があってリニューアルオープン出来たご恩、これからいらっしゃるお客さまからのご恩の為にも、この街のとある地下で、多様な映画を上映し続ける横浜シネマリンを、スタッフ皆で作っていきたいと思います。
[横浜シネマリン スタッフ・高橋秀弘]
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|「追悼特集 大津幸四郎からのメッセージ」企画の経緯について
さて、今後の横浜シネマリンについて少し補足させて下さい。
シネマリンには35ミリの映写機がありますので、監督の新作に併せて旧作を上映するスタイルの特集上映を何度か取り入れて来ました。5月9日(土)~5月29日(金)には、「追悼特集 大津幸四郎からのメッセージ」と題して、計10本、3週間に亘る特集上映を行います。
そもそも、大津幸四郎さんと代島治彦さんの共同監督作品、『三里塚に生きる』はぜひ上映したかった作品ですが、すでに横浜の上映館はシネマ・ジャック&ベティさんに決まっていました。これは致し方ないとして、『まなざしの旅 土本典昭と大津幸四郎』のサンプルDVDを観たり、大津幸四郎著「撮影術」を読んだりするうちに、この偉大なキャメラマンの功績を何とか皆様にご紹介したい、何とか追悼特集という別の見せ方で上映が実現出来ないものだろうかという思いが強くなりまして、そのことを直接代島さんにご相談したところ大乗り気で(当然です)、トークの対談役も買って出て下さるという展開となりました。特集のチラシも鈴木一誌さんにお願い出来るという幸運にも恵まれました。
大津幸四郎追悼特集、ぜひ大勢の皆様にご来場いただき、偉大なる大津さんの仕事をご堪能いただければ幸いです。
[横浜シネマリン 代表・八幡温子]