———人は過去を思い出すと、より善良になる (『ストーカー』アンドレイ・タルコフスキー監督)
余りにも示唆に富んだ台詞だ。タルコフスキーが1979年に発表した映画「ストーカー」は複雑な世界を複雑なままに、矛盾を矛盾のままに描いた傑作である。タルコフスキーのフィルモグラフィーの中で、『ストーカー』は『惑星ソラリス』と並び、SFとカテゴライズされる作品であるが、福島第一原子力発電所事故を経た現在の日本において、鮮烈なアクチュアリティーでわたしたちのイマジネーションを浸食してやまない。
ある地域で“何か”(隕石が墜落したとも言われる)が起こり、住民が多数犠牲になり、政府はそこを「ゾーン」と呼んで立ち入り禁止にした。しかし「ゾーン」の奥にはすべての望みを叶える”部屋”があるという。作家(アナトーリ・ソロニーツィン)と物理学者(ニコライ・グリニコ)は、ゾーンの案内人“ストーカー”(アレクサンドル・カイダノフスキー)に導かれ、ゾーンに侵入するが…。
政府が立ち入り禁止にした「ゾーン」への侵入を自ら望み案内人に申し出た作家と物理学者の二人だったが、その深部である”部屋”を目指す過程で、彼らの信仰にも似た気持ちは揺らぐ。その旅の過程は途方もない現実の過酷さを痛感する過程、逃避行でもあったからだ。この台詞を二人に語りかけたストーカーに対する信頼も揺らぎ、挙げ句の果てに「他人の不幸で食っている」と罵り出す始末。どうにもならない絶望的な現実を前にして、真偽も信頼も意志も絶望も、簡単に揺らぐ。そういった登場人物たちの変遷の過程、登場人物たちの心理描写が2015年の今もなお、異様な現実味を帯びてわたしの胸に迫る。
この映画をベースにした演劇作品が、4月10日より、東京で上演される。演出はサンプルという劇団を主宰している松井周氏。松井氏が講師を務める映画美学校アクターズスクールの卒業公演として、企画された公演である。出演者たちは、この学校に通い演技を学ぶ生徒の皆さん。原作は「マレビトの会」という劇団を主宰されている松田正隆さんがタルコフスキーの上述の映画を基に創作した戯曲である。この作品は2013年にF/T13(フェスティバル・トーキョー)で維新派の松本雄吉氏によって演出、上演されている。
アクターズスクールの講師を務める青年団という劇団の山内健司氏より、ご案内を頂き、この稽古場に二日間、見学にわたしは訪れることを許された。松井氏が主宰する劇団サンプルの公演をこれまで何作か観ていて、舞台の重厚さがいかにして醸成されているのか、気になっていたのが稽古場を観たいと考えた大きな理由のひとつ。同時に、SF(サイエンス・フィクション)とカテゴライズされる作品を舞台で上演するという、それ自体、あまりにも難儀を極めるような試みを技術の差はあれど演技を学んでいる生徒の皆さんとどのように形にしていくのだろうか?という関心から。
演出の松井周氏を含む全体での本格的な稽古自体は、三月に入りスタートしたそうだが、昨年の年末より、台本を受け取った出演者の皆さんはそれぞれ、自主稽古を積んで来たという。稽古開始より前に稽古場を訪れると、まだ演出の松井氏の姿はなかったものの、出演者の一人一人が段取りの確認や台詞の読み合わせを互いにし合っていた。当事者として 作品に深くコミットメントしようというモチベーションの高さ、熱量を感じた。とはいえ、稽古が始まると具体的な容赦のないダメ出しが繰り返される。当然ながら、出演者の技量の差もあるのだ。松井氏は気になる場面は時間を忘れ徹底的に繰り返す。同時に、出演者も、疑問に思ったことは躊躇せず松井氏にぶつける。「手数が多いか?」「小道具をどのタイミングで持ち上げるべきか」 「衣装はこれで良いか?」…etc. そのひとつひとつに、松井氏は観念的ではなく、具体的で明確な指示で答える。一方通行ではなく、最終ラウンドのギリギリまで殴り合いの応酬が続く格闘技の現場にように、熱量の高い稽古場の空気にわたしも思わず上着を脱いだ。
「この空間を使って。この空間で起きることを無視しないで」
松井氏と俳優・スタッフが台詞を発話するタイミング、速度、発声の方法、場面展開の際の出掃けの仕方、照明や音響の質感、ひとつひとつを緻密に構築していく過程のなかで、不意に松井氏が俳優たち皆に約束事として伝えたその言葉を聴いたとき、それがどんな題材であれ、演劇作品がアクチュアリティーを持つための条件に改めて気付かされた気がした。非現実的な展開、描写でも、観客が舞台上で起きる現実として信用する限り、いかにその内容が突飛で非科学的な内容であったとしても、アクチュアリティーを上演は獲得することが出来る。当たり前でありながら、重要な、演劇をビビッドなライブとして観客とともに上演するための条件を、改めて教わった気がした。
———電車の中なんかで、前に立ってる人が、実は幽霊でも、わからないってことです (『石のような水』より)
この戯曲を読み、被災地へ毎年、3.11に通う友人の映像作家のことを思い出した。彼は毎年、松島の沿岸部の同じ場所へ通い、14時46分の前後の時間を記録し続けているという(岸建太朗氏によるプロジェクト『母の肖像』)。今年、松島から戻って来た彼は、毎年毎年、海に祈りを捧げる人の姿が減っているのを痛感しているという。今回、松井周氏が映画美学校アクターズスクールの俳優とともに立ち上げようとしている『石のような水』は、震災から4年を経て、ともすれば忘却や思考停止になりがちなわたしたちを刺激し挑発する強い作品となりそうだ。なぜなら、それは「今、何を?」という問いに徹底的に向き合い、上演作品として松井氏が選んだ戯曲だから。「今、他のなにか、ではなく、絶対のこの作品を」その覚悟が、技量の差はあれど、稽古場で、出演者たちのひとりひとりからも感じることが出来たから。 戯曲のなかで交信する登場人物たち(死者と生者)は俳優の身体を借り、生と死という境界を飛び越えてわたしたちの前に現出しようとしている。客席と舞台、俳優と観客、あらゆる境界を揺るがせようとする演出によって、観客にとってこの上演はビビッドな”体験”として遺る違いない。ぜひ、「いつか」ではなく、いま、この作品の上演に立ち会って欲しい。
『石のような水』
作 :松田正隆(マレビトの会 代表)
演出:松井 周(サンプル 主宰)
出演:市川真也 大石恵美 大園亜香里 大谷ひかる 鬼松功 金子紗里
佐藤陽音 しらみず圭 津和孝行 長田修一 横田僚平
(以上 映画美学校アクターズ・コース第4期)
舞台監督|小川陽子 照明|山岡茉友子
演出助手|坂西未郁 宣伝美術|岡部正裕(voids)
制作協力|冨永直子、富田明日香(以上、quinada)
初演製作|京都造形大学芸術舞台芸術研究センター、フェスティバル/トーキョー
協力|マレビトの会、サンプル、quinada、青年団、アトリエ春風舎、シバイエンジン
主催|映画美学校
【公演情報】
『石のような水』
会場:アトリエ春風舎
(〒173-0036 東京都板橋区向原2-22-17 すぺいすしょう向原B1)
2015年4月10日(金) 19:00~
2015年4月11日(土) 14:00~/★18:30~
2015年4月12日(日) ★14:00~/18:30~
★=終演後、ポストパフォーマンストークあり
4/11(土)18:30~ 今泉力哉氏(映画監督)
4/12(日)14:00~ 松田正隆氏(演出家/マレビトの会 代表)
詳細は映画美学校 公式ページを参照
http://www.eigabigakkou.com/news/info/3931/
チケット料金(整理番号付自由席)
一般:2,000円、学生:1,500円※公演当日、受付にて要学生証提示
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【執筆・撮影者プロフィール】
太田信吾(おおた・しんご)
1985年生まれ。映画監督・俳優。長編ドキュメンタリー映画「わたしたちに許された特別な時間の終わり」(watayuru.com)が多数の海外映画祭で反響を呼び、国内外で公開中。昨年の東京国際映画祭でワールドプレミア上映された劇映画「解放区」が今夏ロードショー。また俳優として、チェルフィッチュをはじめとする劇団に出演するほか、2015年5月より放送の連続ドラマ『夢を与える』(原作:綿矢りさ/監督:犬童一心/脚本:高橋泉/WOWOW)ではメインキャストに抜擢され出演。