【Interview】『繩文号とパクール号の航海』 水本博之監督インタビュー

「グレートジャーニー」で知られる探検家・関野吉晴は、2004年から「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」と名付けた、日本列島にやってきた古代人の足跡の追体験行をスタートさせた。
北方ルート、南方ルートに続いて2008年から準備が始まったのは、海洋ルート。全て手作りの丸木舟による、インドネシア・スラウェシ島から石垣島まで4,700キロの航海は、2度の中断を挟んで約3年に及ぶ、長い旅になった。

『繩文号とパクール号の航海』は、その海の旅に密着したドキュメンタリー映画だ。
そしてこれが、いきなり現れた〈リアル海洋冒険ものがたり〉という感じで、とても面白い。「宝島」や「十五少年漂流記」を読んだとき、あるいはクストーの海洋番組を見たときのような、童心を甦らせてくれる魅力がある。

木を伐り倒す斧を作るためにまず砂鉄を集める、徹底した手作りによって丸木舟ができあがる過程は、すでに2010年に公開された『僕らのカヌーができるまで』で紹介されている。
『僕らのカヌーができるまで』共同監督のひとりだった水本博之は、その後も航海に同行して、本作を完成させた。

 取材に4年、編集に3年。
大海原の航海も大変だが、ひとりで編集機とにらめっこの3年間も、別の意味で苛酷な旅だったはず。水本監督には、そのあたりを軸に話を伺った。
(取材・構成:若木康輔)


ドキュメンタリーとアニメーション、両方持っていたい

――まず、水本さんのプロフィールについて伺います。1982年生まれで、関野さんが教鞭をとられている武蔵野美術大学の出身ですね。その後、東京芸術大学大学院でストップモーション・アニメーションを作っていたとか。

水本 映画はもともと、怪獣映画が撮りたくて始めたんですよ(笑)。特撮が好きで。平成の「ゴジラ」シリーズで育ちましたから。
大学時代からアニメ、実写といろいろ模索はしました。でも、チームで作るとお金がかかるし、大所帯になるほど身動きもとりにくくなるし。実習で、集団での映画作りがあまりうまくいかなかった経験もして。

その間に、DVXが出てきたりして1人でも映画を作れる機材の環境がずいぶん整いました。それで、一度がっちりストップモーション・アニメーションをやってみようと。大学卒業後にバイトをしながら、ガラス板を使った作品を作ったりしました。ユーリ・ノルシュテインみたいな感じの人形アニメーションです。
今でも制作しかけのものがあるんです。関野さんの話が来て以来、中断していますが。スタジオ代わりにしている実家の部屋に、大きな撮影台をダーンと置いたままです。

実は僕、PFFアワードで2回入選しているんです(2007年の『深海から来る音』、2008年の『舞いあがる塩』)。でもちょうどその頃は、自主映画の流れがガラッと変わったな、と痛感した時期でもあるんですよね。
デジタル一眼レフカメラの5Dが普及して、応募作のクオリティが一気に上がり、粗削りなものは許されない雰囲気になりました。商業映画の練習場のような作品が高く評価されて、僕が作るような感覚的、実験的なものは居場所がなくなりつつあった。このままストップモーション・アニメーションをコツコツ作っても、それで評価されなかったらヤバいな、という危機感があった頃に、今回の話があったんです。

――アニメーションからドキュメンタリーへ。異色ですが、以前にこのサイトでインタビューした『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』(12)の監督、長谷川三郎さんも円谷プロダクションの特撮スタッフ出身でした。虚構を一から作る面白さに夢中になった後、現実や人と出会いながら作っていく体験がしたくなったのだとおっしゃっていた。

水本 よく分かります。僕も全く同じです。アニメーションをやっていると、自分のスタジオから出ないんです。努力さえすれば、何でも自分で出来てコントロールできる。つまり、自分の知っている世界の外側に出てもいけなくなる。だから大学時代から、旅に出ることは好きでした。内に籠ることと外に出ること、両方する習慣をつけていました。

対なんです。自分の内側に向かっていく作業と、ドキュメンタリーのように予想外の出来事と出会い、それを受け入れていく作業は。作家としてやっていくなら、両方持っていたほうがいいのかなと思ったんです。

東京のこと、日本のことしか知らない人の作品は、見ていて分かりますよね。今となっては僕もそういうのが分かるようになってしまっている。出るんですよ、やっぱり。作った人が何を考えてきたか、何に興味を持っているのか。
僕もすごく勉強しているわけではないけれど、いろいろなことに興味を持ち続けたい。それは、一個一個の作品の表面的な完成度よりも大事なことかもしれない、と思っています。

――今後も、両方やっていきたい?

水本 やっていきたいし、そうしなければいけないと思っています。ドキュメンタリーも、それだけをやっていると、出て来るんじゃありませんか? 既成のフォーマットに縛られて、そのフォーマットの中でしか物を考えられなくなるようなことが。

――うーん。「これはドキュメンタリーらしくない」などと言い出したら、キリが無いし、生産性も無くなるところは確かにある。どの分野も同じなのでしょうが。

水本 はい。だから、自分の中に違う表現を確保しておくことは、すごく大事なことだと思うんです。


水本博之監督



インドネシアの漁師も含めてひとつのクルー

――それでは、『繩文号とパクール号の航海』について。
繩文号とパクール号、2艘の舟による航海には、関野さんとインドネシアのマンダール人、それに関野さんの教え子である武蔵野美術大学の学生らがクルーとして乗り込んでいます。水本さんも同じ大学の卒業ですが、専攻は映像学科。関野さんの直接の生徒だったわけではないんですよね。

水本 いえ、関野さんの授業は文化人類学で、英語や体育などと同じ、選べる中から取れる一般教養の授業だったんです。
関野さんは、何か面白い話を授業中に持ち出しては「興味がある人は、後で部屋に来て」と言う人で。僕もそれで出入りするようになったのが、お付き合いの最初です。

――丸木舟作りに多くの学生が関わる映画の前半は、『僕らのカヌーができるまで』と重なりますね。

水本 はい、丸木舟づくり以外の要素は落とすなど編集は変えていますが、内容は同じです。
ただ、『僕らのカヌーができるまで』は学生の取り組みを描くことが中心でした。『繩文号とパクール号の航海』の編集に入る際、僕は最初から、日本の学生だけでなく、現地の人たちの姿も描いたものにしたいと考えていました。

なぜかと言えば、クルーになったインドネシアの漁師たちが魅力的だったからです。航海に撮影で同行して、僕が一番惚れ込んだのは彼等の活躍でした。
どうしてもメディアで紹介される場合は、関野さん、関野さんの教え子、という順番になります。ただでさえ今回の旅と映画は、コンセプトの説明に時間がかかりますし(笑)。さらにインドネシア人のクルーがいるとなると、話がややこしくなるから、後回しにならざるを得ないんですよね。

いや、何よりも、関野さんも含めた11人でひとつのクルーであったことが大事で。
繩文号とパクール号は、舟でありつつ、実質は家。家舟です。11人のクルーは疑似的な家族。家族が海を渡って日本にやって来たという話なんです。そこは、関野さんの「人類の移動」というテーマと重なり合っていると思うんですよね。

――昔のマグロ漁船は、親戚や近所の気心の知れた同士で乗り込む場合が主だった。長い共同生活になるので、トラブルを避けるためにはそれが一番合理的だった、と教えてもらったことがあります。

水本 それはインドネシアも同じです。繩文号とパクール号に乗り込んだマンダール人は、キャプテンのザイヌディンをはじめ、ほとんどが縁続きですよ。関野さんに息子の名付け親になってもらうダニエルは、途中参加するサダルの弟ですし。
大男のイルサンは、ザイヌディンたちの隣の村です。彼らの間では、帆船レースがプライドを賭けた非常に重要な行事なんですが、イルサンはそれに一緒に乗った友達ということで誘われました。

唯一、全く知らない間柄で参加したのは、樵(きこり)のラティフです。舟作りで関野さんの信頼を得て、彼も同行を希望していたので、関野さんがクルーにすると決めました。
ただ、当初は漁師のほうからも、ラティフの周囲からも、舟に乗ることには反対があったそうですね。やはり海と山で、生活のテリトリーが違いますから。

――イルサンはキャラクターが立っていて、映画でも目立ちますが、航海の途中で帰りたくなる。それは隣村の人間であることと関係があるのでしょうか。

水本 いえ、彼の場合は本人の情緒の問題だったんです。少しでも家族との電話がつながらなくなると、ガーッと落ちてしまった。1年目は特にひどかったようです。

というのも、インドネシアからマレーシアに行くこと、別の国に行くこと自体が、村で暮らしてきた彼らにとってはものすごく衝撃的な体験なんですよね。そこまではインドネシア語は通じるし、帰ろうと思えばいつでも帰れたんですよ。それがマレーシアに入った途端、アウェーになる。
今は笑い話にできますが、当初は、撮影船に乗っている僕らも含めた日本人たちに悪意があれば、俺たちは売られてしまうぞ、という心配もしていたらしいです。

――関野さんがクルーの家族に挨拶に出向く場面がありますが、それを伺うと、かなり大事な手続きだったことが分かります。

水本 そうですね。一緒に行きたくても、奥さんや父親に反対されてあきらめた人はいました。家族をなにより大事に考えている風土の人たちなので。


▼page2  僕の好きな彼らを表現するには、物語が必要なんですよ に続く