【Interview】『繩文号とパクール号の航海』 水本博之監督インタビュー



僕の好きな彼らを表現するには、物語が必要なんですよ

――少し話を戻しますが、水本さんが航海に撮影で参加を決めたのは、関野さん本人に魅かれていたのと、ドキュメンタリーに関わるチャンスだと思ったのと、どちらが強かったのでしょう?

水本 そうだなあ……。両方のような気もするし。
関野さんの授業で、テレビシリーズで放送された「グレートジャーニー」を見せられて。映像をやる人間ですから、これを撮ったスタッフは凄いな、どれだけ苦労したんだろう、と素直に感心していたんです。でも当時は、自分も同じ経験をしたいとまでは考えたことも無かった。

『僕らのカヌーができるまで』は、航海前の地味な準備の段階ではテレビも付いてくれないから、僕のような卒業生も含めた学生に撮らせる。これが関野さんの考えだったようです。「手伝えることがあったら手伝いますよ」と言っているうちにそうなったので、「じゃあやります」という感じでした。

実は『僕らのカヌーができるまで』の後、別のディレクターが取材を続けて、僕は人形アニメーションの制作に戻っていたんですが、彼が抜けることになり、僕が引き継いだんです。アニメーションがほぼ完成していたこともあるし。

――こうしてお話していると、水本さんはとても論理的なのに、参加する経緯だけは、なんとなく……という感じなんですね。思い切りがいいのかな。

水本 そうですかね(笑)。滅多にない経験になるな、とは思っていましたよ。

――探検は昔から、証明する意味でも記録の意味でも、写真や映像と切り離せないものだった。その点では、関野さんが「グレートジャーニー」で番組の撮影スタッフの同行を重要視してきたのはよく理解できます。

だから、『繩文号とパクール号の航海』を試写で拝見した時に、ひとつの物語を編もうとする作り手の意図が明らかなのを大変に面白いと思いましたし、同時に、意外にも感じたんですね。
それは、関野さんが探検家として求めている記録性とは、どこかで……、

水本 違いますよね。僕が言いたいことをずいぶん優先させている(笑)。

――ええ、もろ身で言うと。

水本 そこは、関野さんに気付かれて言われないよう、言われないよう……(笑)。
もちろん、基本的に言いたいことは関野さんも同じですし、ドキュメンタリーであることが大前提なんですけど、僕はより物語的、詩的なものにしたかった。
というのも、単に記録としてつないでいくと、面白くないんですよ、あれ。実際は。ずっと同じ海を、同じ面子が舟で移動しているだけですから(笑)。

――ああ、そう言われると、そうか。

水本 朝日があって、夕陽があって、自然を感じて、たまに海が荒れて。本当に、それだけですからね。
ひとつひとつの島の遠景も、僕らは見分けが付きますから、時系列で嘘をつかず全て順撮り・順つなぎにしていますけど、ふつうは分からないでしょう(笑)。

抑揚の無い、淡々としたものになったとしても、残ったとは思います。「グレートジャーニー」の、探検家・関野吉晴の記録としては。でも僕が描きたかったのは、関野さんの今回の旅に、マンダール人たちの存在が欠かせなかったことですから。

彼らを“その他大勢”にしては、ダメなんですよ。
彼らを見る人に印象付けてもらうには、彼らの個性や、僕が彼らを好きになったところをちゃんと表現しなければいけない。そのためには、物語性が必要だと考えました。

――そういう物語を編む意識は、どこで培ったものなのか。ぜひ伺おうと思っていたんです。そしたら冒頭で、怪獣映画が作りたくて……と教えてもらい。腑に落ちて、すぐに目的は達せられたわけですが(笑)。

航海は2度、中断を余儀なくされます。3度目の出発の前に、東日本大震災が起こり、(ここでは伏せますが)マンダール人のひとりもインドネシアの海で命を落としたと報せが届く

水本 物理的に言えば、あそこは関係無いと言えば無い。彼は日本の津波に呑まれたわけではないから。けれども、深いところで、何かがつながっているはずなんです。
その、何かつながっているんだ、というところをうまく言葉にして輪郭を与えようとするには、やはり物語が必要なんですよね。
そう感じていると、風景の見え方も自然と変わってきますし、感じながら撮っていたから、風景もそのように撮ることが出来たと思っています。3度目の再開の時は、特にそうでした。

――この映画は、関野さんの「グレートジャーニー」の映画だ。エンジンに頼らない昔ながらの丸木舟で、ゆっくりと大海原を進む。素晴らしいじゃないか。……こういう、記号性に乗っかりながら見ることも、楽だし、快いものです。
そうして航海のロマンを楽しんだところで、3度目の出発前のエピソードが出てくる。そうか、海ってベテランの漁師だろうと落ちると死ぬんだ、と、否応なく気付かされる。あの転調は、まさに劇的なものでした。

水本 そう、海って落ちると死ぬんです。それは表現したかった。でも、撮れているのは落ちていない姿ですから。それだけでは、実感としてお客さんに伝えることは出来ないんですよね。海の持つ怖さについて、編集の途中でテロップを加えたこともありましたが、外しました。

撮れていない、直接は描けてない事柄について、実感まで持っていくことが出来るのは、やはり物語の持つ感情移入の力なんですよ。
そこをどのように表現すればいいかは凄く考えましたし、苦労しました。




 旅を通して変わるとしたら、それは若者

――物語について、もう少し。主役である関野さんが、航海が始まると自然と奥に引っ込み、若い日本人2人とマンダール人たちの、群像劇の方が前に出てくる。
近代劇のツルギーに照らせば、この展開はとても納得できるんです。なぜかというと、関野さんには確固とした旅のテーマへの確信があるから。そういう人には、物語上のドラマは無いんですよね。実は主人公にしにくい。
そこは、撮影している時から気付いていたことでしょうか。

水本 編集しながら気付いたことです。クルーの群像劇になり関野さんが引っ込む構造まで考えて航海に臨んでいたわけではありません。僕自身、群像劇を作るノウハウを持っていたわけじゃないんですよ。
ただ、関野さんばかり追っていても仕方ないな、とは撮影中から間違いなく考えていました。全員のことを描かなくちゃいけない。これは直感で決めていた。

撮影中は、まずはとにかく沢山の素材を集めることに専念しました。
最初の構成では、日本人の若い2人、前田次郎、佐藤洋平が悩むところは入っていませんでした。当初から描きたかった通り、マンダール人を中心にして。ただ、彼らがなかなかストーリーの中に入らない。編集を進めても、みんな同じ顔に見えてしまう状態がしばらく続きました。

何度か知人にも見せて、「どうしてドラマが動かないんだろう」と相談はしていたんです。
そこで、今の話ですよね、関野さんはある意味で完結している。「旅を通して変わるとしたら、それは若者だよね」とアドバイスされ、あ、確かにそうだと思い、次郎と洋平のエピソードを入れ込みました。

そうすると、彼らが航海に参加を続けることに悩んだり、マンダール人とのコミュニケーションに腐心したりする姿を通して、マンダール人の個性も動き出したんです。
試行錯誤の上に、見つけたことです。

――編集中も、人に見てもらい意見を求める機会は、よく設けていたんですね。

水本 けっこうしました。約2時間のバージョンは、10パターンぐらい作ったかな。完成した版には丸々入っていないシークエンスもあります。家舟で暮らし、人生を海上で完結させるバジャウ族に会いに行ったり、猿や象が出てきたり。いろいろなところに行っているから、いろいろな対象と会っているんですよね。
それがありすぎて、どれを選ぶかは大変でした。

――そんな中から、次郎さんとマンダール人の間に摩擦が起きてしまうエピソードが重要な構成要素になった。違う文化を持つ日本人とムスリムが衝突し、和解に心を砕くさまは、水本さんが独自に描きたかったドラマでありつつ、関野さんの「グレートジャーニー」のテーマをきちんと補てんしています。

水本 それはやっぱり、関野さんは映画のプロデューサーでもありますから。あんまり自分の考えとかけ離れていたら、ダメだと言ったと思うんですよ(笑)。

――ある島で、洋平さんとマンダール人のグスマンらが買い出しに行き、店の女の子が可愛いのでみんなはしゃいでしまう場面。素晴らしいですね。
ひとつの島に舟で辿り着いた男たちが、そこで久し振りに女、しかも若い娘と出会えば定住を選ぶ者は当然出てくるだろう。そうして、少しずつ文化は伝播していったのだと、くすぐったいぐらいに実感としてよく分かる。まさに古代人の海洋ルートのヴィヴィッドな追体験として描かれています。

水本 あのシーンは、かなり早い段階で固定していました。あの場で撮っているうちから、絶対に面白いと思って。ああやって「可愛い子だなあ、ヨウヘイ、可愛いって伝えてくれ」なんて言う彼らの率直さが、僕は好きなんです。

下ネタをコミュニケーションにしているところも。僕も、インドネシア語はそこから覚えましたし。

――繩文号とパクール号の航海には、番組スタッフと水本さんが乗った撮影船が伴走している。実質は3艘による航海なわけですが、撮影船の存在が出てくるのは最小限度に留めています。バランスの難しいところだったのではありませんか。

水本 撮影船の存在を前に出すことは、情報量の理由からも、もともと考えていませんでした。スタッフに、撮影船の中も撮っておこうという意識はほぼありませんでしたし。
繩文号とパクール号を撮っているだけでクタクタになりますからね。撮影船は僕らにとっての母船なので、そこでまでカメラは回したくない(笑)。

カメラを回している人間、つまり僕まで映し込む方法論もあったはずですが、航海中はそこまで頭が回りませんでした。

――それでも、トランシーバーでやりとりする場面などが次第に出てきますね。そうやって、撮影船がいることを自然と明らかにしていくあたり、面白く感じました。

水本 撮影船の存在を気配から丸ごと消すと、2艘のみの航海だったように錯覚して見えますから。嘘はつかないようにしたかったんです。関野さんは積極的には入れ込みたくなかったようなんだけど、僕は「入れましょう」と。



▼page3 関野さんの凄いところは、好きにやらせてくれるところ に続く