【Interview】映画だからこそ、「物語」を伝えられる―『皆殺しのバラッド』シャウル・シュワルツ監督インタビュー text若林良

シアター・イメージフォーラムほかで現在公開中の『皆殺しのバラッド』は、メキシコの「麻薬戦争」を扱ったドキュメンタリー作品だ。2006年12月、メキシコ政府が麻薬産業の撲滅のため、密売人たちに宣戦布告をおこなったところからこの「戦争」ははじまった。しかし、戦いは簡単には収束せず、さらなる暴力の誘発へとつながってしまう。麻薬組織による警察への襲撃、また麻薬組織同士の抗争も勅発し、現地の犠牲者はこれまで12万人以上をも数える。この深刻な闘争に切りこんだのが、イスラエル出身のアメリカのフォトジャーナリスト、シャウル・シュワルツ氏だ。彼は年間3000人を超える殺人事件が発生する、「世界で最も危険な街」と呼ばれるシウダー・フアレスに取材し、その6年間の記録を、一本のドキュメンタリーにまとめあげた。

『皆殺しのバラッド』は「麻薬闘争」の実態を描いた作品であるとともに、対照的なふたりの人間、つまり麻薬から街を守ろうと奮闘する警察官リチ・ソトと、アメリカの若者たちから積極的に支持される、麻薬組織を英雄として讃える音楽ジャンル「ナルコ・コリード」の歌手エドガー・キンテロについての物語でもある。もともとは写真家であったシュワルツ氏が「ドキュメンタリー」に挑戦した理由や、そこで達成したこと、また、ナルコ・コリードが現地に与えた影響などについて、来日中の監督に話を伺った。
(取材・構成=若林良、通訳=大倉美子)

――シュワルツ監督はこれまでフォトジャーナリズムに注力し、そこでは数々の報道写真賞にも輝いてきました。なぜ今回は写真ではなく映画という形で、メキシコの麻薬闘争に関わろうと思われたのでしょうか。

SS 実は今回も、最初は写真という形で表現しようと思っていました。そこで2008年から2010年の間は写真を撮影し、ナショナル・ジオグラフィック、タイムズ、ローリングストーンズなどの雑誌でそれらの発表を続けていたんです。しかし、私にはどこか物足りない感じが残りました。写真だけではそのすべてのストーリー、物語を伝えきれないという思いが強いままだったんですね。

死や暴力といった惨劇の内容自体は、写真を通して伝えることができます。しかし、麻薬戦争がアメリカとメキシコという国境を隔てたふたつの国に、どのような文化的影響を与えているかということは、写真だけではどうしても伝えられませんでした。劇中、女の子が「麻薬王と結婚しても悪くない」という言葉を口にしたり、またナルコ・コリードの「邪魔する奴は頭を吹っ飛ばす」といった歌詞が登場したりしますよね。そこから生まれてくるような衝撃は、視覚のみではやはり伝えきれないと感じました。そこで、フォトジャーナリストではなく映画監督として、この惨劇を「ドキュメンタリー」というかたちにまとめることに決めたのです。

――「ナルコ・コリード」という音楽は映画の中においても特別な位置を占めていますが、監督自身が最初にナルコ・コリードを聞かれたときは、どのような印象をお持ちになりましたか。

SS 最初はとにかく、激しい怒りがこみ上げてきました。ちょうどその日はナショナル・ジオグラフィック社の仕事で、ティファナというメキシコ側の町の“バイオレンス”を撮影しに行っていたんですが、そこからカリフォルニア州のリヴァデイルに移動し、エドガー・キンテロ氏が所属する「ブカラス・デ・クリアカン」のライブを聴いたんですね。昼間に人の死を撮影してきたこともあって、そこではなぜ殺人やたたかいを賛美するような曲を作り、歌ったり踊ったりできるのかという憤りを強く覚えました。しかし、それは時間とともに乗り越えていったように思います。なぜかというと、重要なのはそうした音楽に嫌悪感を覚えたり、禁止したりすることではなく、「なぜそれが生まれてきて、子どもたちに好まれるのか」を理解することにあると感じたんですね。文化というものは生活に根付いたものですから、それは否定できるものではありません。だからナルコ・コリードを、「なぜなのか」というところから理解していかなければいけないと思いましたし、そこでわかったことを、多くの人に伝えたいとも感じました。これは「映画を作ろうと思った」ことのひとつの理由でもあると思います。

映画『皆殺しのバラッド』より © 2013 Narco Cultura.LLC

――映画の主だった被写体であるドガー・キンテロや、捜査官リチ・ソトとはどのように出会われ、またどのような経緯でこのふたりを撮影しようと思われたのでしょうか。

SS リチさんについては、「殺人現場で撮影をする」ことを考えたときに、やはり警察側の人間と一緒に行動するのが安全で、かつ撮影もスムーズに進むと感じたことがあります。また映画を撮ろうと思ったときには、リチさんのことはもう知っていて、非常に好感をもっていたんですね。とてもシャイで、謙虚で、かつシウダー・フアレスという町を心から愛している方で。彼が映画にとてもいいんじゃないかと思って声をかけて、それで合意してもらったんです。だから考えるまでもないくらいの、自然なチョイスでした。

エドガーさんについては、最初に話しましたようにライブで見たナルコ・コリードのシンガーでしたし、彼がアメリカ生まれであることにも、強い興味を持ったんですね。生粋のメキシコ人ではないにも関わらず、メキシコの麻薬闘争に入れ込んでいる。それはなぜなのか、またメキシコ生まれの人とはどう違うのかを、知りたいと思ったんです。あとは、エドガーや「ブカラス・デ・クリアカン」がオープンに自分を迎え入れてくれて、現地のカルチャーをさらに知るうえでの、アクセスの意味でもぴったりだったんです。

――実際におふたりに長い間付き添われて、なにか印象に変化はあったのでしょうか。

SS  まずはリチさんなんですけど、撮影の中で仲間が殺害されたこともあって、彼を心配する気持ちは強くなりました。彼自身は見た目には、自分の仕事を変わらずきっちりとこなしていたんですけど、やはり無力感は感じていたんですね。その「無力感をとらえたい」という思いが最初にあって、それ自体は変わりませんでしたが、お付き合いしていく中で彼のことはとても好ましく思うようになりました。

エドガーさんの場合は、ちょっと関係は複雑ですね。実際に友達になりましたし、人柄としても彼のことをだんだん好きになっていったんですけど、私はどこかの段階で、彼が改心することを期待していたんですね。俺は何をやっていたんだと、自分が今まで歌ってきたことは、完全な間違いだったと。しかし、その時は一切こなかったんです。自分のやっていることを彼は心から愛していて、それゆえに「申し訳ない」とも思っていない。だから人間としての彼を愛する気持ちと、彼が代表するものを憎む気持ちが半ばするような、そんな関係になっていきました。

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