声高に原発批判をしない人が 警戒区域に住み続けるワケ
——映画の内容の話に入ります。まず、ナオトさんの家に行くとダチョウや牛がどーん出てくるファーストシーンは、とてもインパクトがありますね。
中村 私も犬猫ぐらいしか知らないので、最初はさすがにびっくりしましたけどね。
ダチョウって、あまり見る機会はないけれど、なかなか愛嬌のある動物で。コンとかいってレンズをつついたりするんですが、それ以上にナオトさんは動物とよくしゃべっていましたね。人がいないせいもあるんだけど、ダチョウともしゃべるし、牛やポニーともよくしゃべる。ああ、常に動物と会話する面白いおじさんだなあ、と(笑)。
——そもそもダチョウは誰がどういう理由で飼っていたものなのですか?
中村 大熊町に「ダチョウ園」というのがあって、ダチョウと触れ合える上に、ダチョウの刺身や卵が食べられる、というので人気だったそうなんです。20匹ぐらい飼われていて、震災直後に10匹が逃げて、そのうちの2匹をナオトさんが軽トラに積んで助けたのです。
もとを辿れば、ダチョウは福島第一原発の敷地内でも飼われていて、「小さなエネルギーで大きく育つ!」という謳い文句で、マスコットとして飼われていたらしいんですけど。ダチョウが津波で流された無人の荒野をのっそのっそと歩いて徘徊しているのをみるだけで、私にとってそれはもう衝撃でした。
——映画を見ていると、ナオトさんは取っ付きやすいタイプの人ではない印象を受けました。実際にはどうでしたか?
中村 そうでもなかったですよ。既にけっこう取材を受けていたから取材慣れはしているんです。だけど、表面的な話以上のところに突っ込むのは時間がかかりましたね。家族のことにはあまり触れて欲しくない、というのがありましたから。
最後の方で、テロップで少し流していますが、ナオトさんに新しい妻子がいることが、だんだん分かってきたんです。ボランティアで来た東京の女性との間に子どもができて、入籍してたまに通っているんです。その人も取材したいと思ったんですが、彼はお子さんが差別を受けることをすごく恐れていて。五体満足で生まれてはいるけれども、彼自身が被曝しているから、大きくなって何が起きるかは分からない。それはそれで感慨深い話ではあるのですが、福島で被曝した人がこれからどうなる、という別次元の話になるので、今回はあくまでナオトさんが富岡町で暮らしている姿を中心に撮影を続けていきました。
——取材に際し、特別に心がけたことはありますか?
中村 実は私、ずっとペーパードライバーで、あそこに行くまで運転ができなかったんですよ。アメリカで免許を取って、東京に戻ってからは運転をする必要がないから、ほったらかしにてしていたんです。だけど、自力で彼のところに行くには運転するしかない。結局、免許をとり直しました。
東京から行くのは大変だから、いわきでレンタカーを借りて、初心者マークをつけて国道6号線をよろよろ走っていったら、彼はそれを微笑ましく思ったらしくて、帰りにすごく心配されました。そういうことでちょっとずつ溝を埋めていくような感じはありました。
私はドキュメンタリーを撮るときは、取材相手と信頼関係を築くことは必要ですが、あまり親しくなりすぎてもいけないな、と思っているんです。ある程度、緊張感が無いとできないから、お友達にもならないんですよね。ナオトさんとは、性別が違うこともあるけれど、ある程度距離を置いて、遠目からも見られるようにすることを心がけました。彼の家に泊まったりもしていません。
——それにしても、とても手のかかる暮らしですよね。富岡町の住民の間では、ナオトさんはどういう扱いなんですか?
中村 まあ、変わり者、という扱いですよね。ほとんどがそういう評価なんですけど、一部の農家の方からは、よくやっている、という話も聞きました。自分たちもやりたいけどそこまではできなかったから。元が農家じゃないからどうしているのかな、と心配している人もいました。ちゃんとできているのかしらって。
——取材をしていくうちに、ナオトさんの考えが具体的に見えてきた部分はありますか。最初監督が考えていたこととは違ってきた部分とか。
中村 最初はなんでここに残ったの?というそもそもの理由を知りたくて話を聞いていたのですが、言葉にすると「動物に出会っちゃったから残った」と、それだけ。しかしよくよく聞いていくと、ナオトさんは原発に対する怒りは決して声高には話さないのですが、あそこに住み続けることが彼なりの抵抗なんだ、ということが分かってきたのです。
原発は、彼の人生をいい意味でも悪い意味でも翻弄してきたというか、あそこで暮らしていることで恩恵も受けてきたんだけれども、だからこその冗談じゃない、という思いがあったんでしょうね。静かな抵抗というか、意地というか。私はそれがいいなあと思ったんです。
富岡町の人は、直接東電で働いていなくても、みんな何らかのかたちで原発の恩恵を受けていました。映画に出てくる半谷さんも、農閑期には建屋の掃除にいったりして、だから子どもが学校に行けた、と言っていました。現地の人は、確かに怒りを口にするんだけども、ものすごい複雑な感情を持っています。だからナオトさんの佇まいや、何気無い話のひとつひとつが、状況の複雑さを代弁しているところがあるんですよ。本人が言うと「(鉄筋工だった)俺が適当に作ったものは壊れるよ。作った当人が言っているから間違いない」などと、冗談めかして聞こえるんですが。
そういう意味では、ナオトさんも高度経済成長からバブルのまっただ中を生きて、彼の歴史をたどることで、原発のおかげで車を買って、ばんばん街を走っていたようなかつての世界が、彼を通して見えたらいいなと思っていました。前の奥さんが出稼ぎに来たフィリピン人だった、という話も、東北ではよく聞く話ですからね。
——無人になった町の施設などが丁寧に撮られていることもありますが、この映画からある種、日本の地方の典型がすごく見えたような気がしました。そのような部分に目を向けたのは、前回の映画(『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』2013)から継続したテーマなのですか。
中村 日系ブラジル人も福島の人も、いわば棄民政策で捨てられてしまった人たちです。貧しい地域にお金で危険なものを押し付けられて、事故が起きたらお金で解決して後は無かったことにしてください、という扱いは、日系ブラジル人も全く一緒です。出稼ぎ、というのもそうだし、1960年代も一部の都会の裕福の人のために、沖縄など地方の貧しい人がブラジルなどに移民に行ったじゃないですか。そういう貧しい地域の人を犠牲にして経済を成り立たせようという構図は、今も全く今も変わらないですよね。
私は父が原発銀座の福井出身で、田舎に帰ると、原発マネーで作られた無駄なハコものができて、よく分からない文化施設がたくさんあるのを見てきました、都市部のためにお金で買われちゃった構図の中で暮らすことを、他人事には思えないんですよね。
父が詩人だった(正津勉さん)というのも、影響があるかもしれません。選択肢があったら強いものより弱いものに立て、と常々言われてきましたから。そういう構図を見て、ナオトさんに共感できたところはあります。私のテレビの仕事も、局の下請けの派遣社員みたいな立場で、いつ切られてもおかしくない感じですからね。
——ナオトさんがあそこの土地で暮らし続ける意地というのは、「そういう人もいる」という意味では理解できるんだけれども、東京で暮らしている僕のような人間が見ると、移住してもいいじゃないか、という現実的な選択肢も思い浮かびます。そのような目線に対して監督はどう思われますか。
中村 まず、基本的に田舎の人はずっと同じ家で育つから、おじいちゃんおばあちゃんたちは、早くもとの広い家に戻りたい、という気持ちが強いですね。ナオトさんのお父さんも、小名浜に家を買ったものの、週の半分ぐらいはあそこに帰っているんです。そのほうが居心地はいいし。
ナオトさんがあそこで意地でも暮らすのは、今の政府の流れでは、なるべく速く忘れて無かったことにしようという風潮になっているから、あえて住み続けることで抵抗する、という意味があるのですが、もしあのような事態が別の街で起こったら、どこかに行けばいいという問題では済まされないぞ、と警鐘を鳴らしているようにも私は思います。
人間の目線だけで考えれば、どこかへ移住すればいい、という話になるけれど、動物はそういうわけにも行かないし、周囲の自然環境もおかしくなっている。だから私はそこに共感できたというか、少なくとも無かったことにする流れには抵抗をしないと、忘れ去られてまた同じことが起こる、ということを、きちんと言っておかなくてはいけないと思いました。
震災から4年経って、テレビではよく「風化させない」みたいなことを言っていますけど、良きにつけ悪しきにつけ、日本人はものすごく忘却のスピードが速いと思います。忘れられるから戦後の復興があった、とも言えるのですが、近隣との国々に未だにいろいろ言われるのは、過去ときちんと向き合ってこなかったからだ、というのは、それは確かにそうなんです。
私はヨーロッパで高校時代を過ごしていますが、歴史の授業を取ったら、3年間、いやというほどナチズムの分厚い本を読まされて、修学旅行もアウシュビッツに行く、みたいな感じでした。イギリスの高校の話ですよ。ヨーロッパ全体の贖罪というか、そこは避けては通れないというかたちで、子供たちは強制的にものすごく叩き込まれるんです。日本では、そんなことは全く無い。南京大虐殺は無かったみたいなことを平気で言う人もいる。文化的な違いもあるのでしょうが、ドイツ人は日本の事故を見て原発を止めたのに、何で日本が再稼働に突き進もうとしているのか、もう理解不能ですよ。東京では、震災も原発事故も過去のことみたいな感じですもんね。
今、この映画のビラ配りを一生懸命やっていて、ハチ公前でもやったんですが、ほとんど誰も立ち止まらない。立ち止まったのはドイツ人。外国人のほうが関心を持ってくれるという情けない状況ですよ。
——見方を変えれば、この映画でナオトさんが暮らし続けるさまを撮ることは、忘却しないために刻印をしている、とも言えますね。
中村 ナオトさんも私も共通しているところは、これを無かったことにしちゃいけないよね、ということです。自分の街が地図から消えるようなことは、お金を払って解決されるような問題じゃないよね、って。実は彼も保証金をもらっているので、お金で解決されていると言えなくもないのです。本人も「今、土建業(鉄筋工)に戻れば、いくらでも儲かるからさあ」って言っていますし。でも彼は、それはイヤだと。いわゆる復興ビジネスや、国の金には加担したくないから、これにこだわると言って自然を相手にしだしたのが、今のナオトさんなんですよ。
——ボランティアの獣医さんが通ってきたり、牛の放射能汚染を調べたり、この映画の登場人物はみんなどこかで福島での「この先の生活」を見据えている感じを受けました。
中村 私も通い続けるうちに、ナオトさんに対して何でここにいるの?という話から、これからどうするの?という話に、質問の内容がだんだん変わってきました。新しい妻子を持って、今後の生活をどうするのかという心配もありますが。保証金が切れたら何をやるのって聞いたら、「養蜂でもやるべ」って。でもここで取れた蜂蜜なんか誰が食べるのよ、って。今はそんな話をしていますよ。
結局、あの地域に住み続けることは、分からないことずくめなんですよ。放射能汚染はいつ収束するか分からないし、将来どうなるのかは誰も分からない。彼自身、今はあそこで暮らしていますが、いろいろな意味で負担というか、大変は大変なので、この先どうするかは分からない。そういう不安は、近隣に暮らす方々も含めてみなさん持っていますよ。
▼page3 ひとりの人間を通してみる 生きものと共にある福島の暮らしにつづく