<小特集 ドキュメンタリーでみる沖縄3>【Interview】「対立の構図」を乗り越えて 『戦場ぬ止み』三上智恵監督インタビュー

批判したい人など いなかった

——映画の内容の話に入ります。とにかく全編を通して、画面に出てくる人たちと三上さんの距離の近さを感じました。取材者という立場を超えて、人間同士の会話がなされているのが、観ていて気持ちよかったんです

三上 取材者との距離が近い、というのは、好き嫌いがあるかもしれませんね。なあなあじゃん、と思う人がいるかもしれないし、テレビだと、必要以上に相手と仲良くなる空気を出すと中立じゃないと批判が来る。でも映画は、監督の作りたいように作ったところで、そういう批判は出てこない。でも、そもそも人間対人間のつきあいが成立していなかったら、テレビも映画は撮れないと思うんですね。

——重要なのは、同じようにフラットな気持ちで、基地を受け入れようと思った辺野古の住民や、補償をもらっている漁師にもアプローチしている点です。そこはどのような考え方で、取材に臨まれたのですか。

三上 反対運動をやっている人たちは、自分たちがしていることは正しいと思って、主張に誇りを持っているけれども、そういう反対運動が嫌いな人も沖縄にはたくさんいます。だからといって基地が好き、というわけでは全く無いですけどね。

ゲート前で座り込んでいる人たちに対して、辺野古の海は埋められたくないけど、あいつらとは一緒にやりたくないとか、沖縄の中にもいろいろな立ち位置があるんです。加えて「あれ、プロ市民がやっているんでしょ」みたいな古典的な批判もあります。主張や行動ができない自分を肯定するための安易な反対運動批判は、全国にあるように、沖縄にもあります。

キャンプ・シュワブに隣接する辺野古は、映画に描かれている通りアメリカ軍基地を強制的に作られてからはその存在を認めながら生きてきた地域です。ずっと反対運動だけしていては地域の生活が成り立たない。反対する人が多くても、リーダーはどこかでアメリカ軍と折り合いをつけ交渉を前に進めなければならないわけです。島ぐるみで土地接収に反対しているのに、と白い目で見られても、那覇の飲み屋で「売国奴」扱いされた悔しい思い出があっても、それが占領下の状況だったんですよ。

そこに誇りを持たないと生きていかれなかった人のあり方に対して、知らない人が「あいつらお金を欲しかったんだ」という話にすり替えていく。もう何十年もそういう構図で語られていること自体、許せなかった。

彼らはそういう選択肢しか無い中で、米兵と仲良くし、ダンス・パーティーをやり、お祭りやクリスマスも一緒にやることで、不用意な事件・事故を減らす努力を続けてきた人たちです。それを「アメリカ軍と仲良くやっているじゃないか」という、基地を押し付ける人たちのエクスキューズに使われていくことの悔しさをいつも感じていました。

辺野古の道端に座っているおじさんが「俺らだって30年反対運動してきたんだ」と言っていましたけど、「よそ者がきて、何が分かるんだ」という気持ちは私にもあるし、彼らの忸怩たる思いを聞くのは、私だって悔しいんです。

だから私は、どの立場の人たちにも、気を使うというよりは、あなたの正義や悔しさ、そのようにしか思う背景をきちんと描いて、そのあり方は間違ってない!と言ってあげたい。誰に対してもそうですね。責めたい人なんか、この映画のどこにも出てこないんです。

辺野古の人たちの思いは、日米両政府が決めたんだったら、反対をしても仕方がない、何ももらえず奪われるだけになるよりは、条件を出して、子や孫のために少しでも条件闘争をしよう、ということです。沖縄県庁なんか頼っていられないから、政府と直接交渉してしまうとか、やくざな手法も自衛手段としながら生きてきたんですよ。

映画で挿入している「敗戦数え歌」という、占領された直後に生まれた歌があります。その9番に出てくる「九つ 困難あたてぃから…」ってあるんですが、ものすごい困難に直面していますよね。敗戦後、日米両政府が決めてここに基地を作ったんだから、物思いをしても仕方ない。解放される時を待とうと歌っています。沖縄では、一つのことを突き詰めて考える人は嫌われるんです。「ムヌウミサンケー」といって、難しく考えるな、それは心を病む、という否定的なニュアンスです。なるようになるさ、といってお酒を飲んで人を許す、自分も恨みを忘れる、というのは沖縄の哲学なんですね。「解放さりゆる、節待たな 節またな」というのは、こんなひどい目にあっているけれども、いつかは解放されるんだから、その時まで気に病んでもしょうがないでしょ、という意味です。

でも、70年間解放されなかったじゃないですか。文子おばあも「日本兵が助けにくると思ったけど来なかった」と話します。これからも「解放される時が来るでしょう」と唄い続けるんですか?という問いがあの歌を挿入した意味なんです。人権も無い、鳥小屋以下の収容所で生活をしてきた時の精神状態を引きずって、諦めて70年間解放されないのであれば、もう自分たちで掴み取るしか無い。それが“平成島ぐるみ闘争”となって、去年から沖縄を立ち上がらせていると思うんです。

『戦場ぬ止み』より ©2015『戦場ぬ止み』製作委員会

——そうですか・・・辺野古の人たちの判断も、単純に生活者として仕方が無い、みたいなレベルではなくて、沖縄の歴史や精神と、深く繋がっているのですね。

三上 この作品をよく「何も知らない日本人に見せたいんでしょう?」と言われますが、私の心はやはりローカルニュースのキャスターのままなんですね。沖縄県内のおじい、おばあにまず見てもらって、苦難の歴史を踏ん張ってきたことが今の県民の闘いにつながっていることを見届けてほしい。誇りを持って頑張る今の沖縄は、戦争を生き抜いた世代の皆さんの姿を見てきたからこそなんだと。そして沖縄の若い世代の人たちの土台になる、財産になる映画にしたいです。

ゲート前で、自分たちは正しいと思って突き進んでいる人たちを私は好きだし、でも、アイツらいいカッコして日米両政府にかなうわけがないじゃないか、って斜めに見てる人たちも好きだから、いつかは一緒になって頑張りたいなと思っています。

——沖縄のすべての立場の人たちと「一緒に頑張る」というのは、具体的にはどういうことですか。

三上 文子おばあのように凄惨な戦争体験をしたからこそ「生き残っていいことはなかった」と自分の人生を肯定できない人が、沖縄にはたくさんいます。戦争で自分だけが生き残ってしまった、というトラウマで、ずっと自己肯定感を持てずにいるんですね。

おばあにとって、そのトラウマを脱ぎ捨てられる時というのは、後生(グソー。あの世のこと)に行って、1945年に別れた友達と会う時に「大変だったけど、私が頑張ったから基地は無くなって、戦争の島じゃなくなったんだよ」と言える時なんです。そう言えたら、と思いながら亡くなっていった方々の話を私はたくさん聞いてきたから、その悔しさを形にしたいし、彼らが安心してグソーに行けるようにしたいんです。

そのために今ある基地を全部無くす、というのは非現実的なことかもしれないけれども、おばあたちが70年苦しんだ分だけ、今、戦争に向かう日本を止めるぐらいの闘いになっているじゃないですかと、せめて言いたいですよね。安倍政権のやろうとしていることは危険で、右傾化していったけれども、沖縄の闘いは、オセロを黒から白に戻していくみたいな闘いになったんだよ、と言えれば、おじいやおばあたちは一つ安心して後生に行けると思うし、私たちがやってきた苦労は無駄じゃなかったというのを形にしたい。

『戦場ぬ止み』がヒットして、今の安倍政権が進める戦争法案についての批判が増えて、集団的自衛権も行使できないように日本を押しとどめる事ができれば、平和と民主主義を渇望してもがいてきた沖縄の70年は、無駄にならなかったと言えるのではないでしょうか。

『戦場ぬ止み』より ©2015『戦場ぬ止み』製作委員会

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