<小特集 ドキュメンタリーでみる沖縄3>【Interview】「対立の構図」を乗り越えて 『戦場ぬ止み』三上智恵監督インタビュー

『戦場ぬ止み』より ©2015『戦場ぬ止み』製作委員会

“政治的勝利”からみえるもの

——今の三上監督のお話を聞いて、その思いのこもったシーンが三つ四つ具体的に思い浮かんだので、ここからは、各シーンに込めた意図を詳しく聞かせてください。

一つ目は、昨年11月の沖縄県知事選挙で「オール沖縄」みたいな状況になって、翁長さんが勝って、皆さんが大喜びする。選挙に勝った負けたであんなに大喜びするのは、本土では久しく見られなかったシーンだなと思って。

三上 確かに、あんなに喜んでいる大人の姿たちって、本土では見ないかもしれないですね。

——でも沖縄の人たちは、ある意味、民主主義の正しい権利を行使して、民意を反映させていることに気づかされたんです。そのシーンを映画で丁寧に描いた理由はなんですか。

三上 映画の中で「WE SHALL OVERCOME」という曲がありますが、あれは元々ゴスペルで、黒人解放、また反戦歌としてアメリカでもずっと歌われてきた歴史のある歌です。でも私は歌詞が今一つ好きになれなかった。だって、乗り越えられる時は「SHALL(だろう・べき)」で、すごく遠いでじゃないですか。この歌が歌われる状況で立ち向かっている壁はいつもすごく大きいけれどもOVERCOMEできる「だろう」と言っている、それってほとんど乗り越えられないってニュアンスじゃない?とずっと感じていました。

だけど、知事選に勝った時に歌った「WE SHALL OVERCOME」は、負け惜しみじゃなくて本当に実現しちゃった、歓喜の「WE SHALL OVERCOME」でした。「オール沖縄」の知事を押し出して基地を止める、という本丸の大きい山をひとつOVERCOMEしたわけですよね。あんなに突き抜けた歓喜を日本の民主政治が味わうことなんて、そう無いですよね。誇らしく高らかに喜べることが、選挙の場面にあるんだ、という素敵なシーンだと思うし、日本国民が民主主義を手にしていることの感動を引き寄せることができる、ひとつの可能性でもあると思うんですね。

——でも正直、僕は“政治的勝利”に対してある種の醒めた目線があって。沖縄の人たちは何でこんなに盛り上がれるのか、映画を観てもよく分からなかったんです。

でも、その後政府は「粛々と」基地建設を強行して、『標的の村』の時に「権力をモンスターに描くのは嫌いだ」と言っていた三上さんがそういうシーンを撮らざるを得ないほど、ひどい状況になっていきました。その状況も映画で描かれていますが、それでも頑張れる、という希望みたいなものは、映画を作る上で、どこか念頭に置いていましたか。

三上 「WE SHALL OVERCOME」を歌いながらやっぱり工事はやられていって、理想はすぐに、自分たちの手元から奪い去られて行ってしまうわけなんですけれども。それでも、確かに何かを獲得した感触は奪えないというか。みんなで獲得したんですよ、沖縄は。あの歓喜を奪うことはできないんです。

どんなにお金や権力をかけても奪えない人間の尊厳ってあるんです。その尊厳を自分たちで、選挙のような具体的な形で守ったり、つかみ取ったりしてきたのが、沖縄の抵抗の歴史です。たとえ結果が手から離れていっても、それはものすごく貴重な経験になるんですね。奪われたことも無いけど、手にしたことも無い人たちから見たらね。

『戦場ぬ止み』より ©2015『戦場ぬ止み』製作委員会

反対運動のひとりひとりを“人間”として描く

——ほかにも、一家で反対運動に加わる武清さんの息子、武龍君や、ゲート前にいた双子の少女など、闘争の現場にも顔を出す子どもたちへの取材が印象に残りました。

三上 極端な政治状況の中で彼らは生まれてきて、両親は子どもの為にこの問題を終わらせようとやってきたけど、17年間も闘うことになるとは知らずここまで来た。まさに宿命の家族です。でもその運命を子供たちはどこかで受け入れているし、私に見えないような希望まで見ている。そのような場面に出会うと、本当にすごいな、って思うんですよ。

——でも、そこでさりげなく「(反対運動をする生活を続けることに)迷ったりはしないの?」と聞いてしまう三上さんもすごいと思いましたけどね。

三上 残酷ですよね…「重いよね」って相槌を打ったりとか。「反対運動なんて投げて、逃げればいいのに」とか。そういう事を平気で質問しちゃいますからね。

私ね、彼らに対して本当に申し訳ないと思うんですよ。お腹にいる時から取材をはじめて、5歳の時に「住民投票から5年経った」、10歳になったら「あれから10年」なんていってため息をつく大人の代表ですからね。メルクマール(指標)にしちゃっているんです。

「武龍君、もう6年生になっちゃったのね」と話しかける言葉の裏には「こんなに長いこと基地問題をやっているんだ」という私のため息が含まれていて、彼も「俺はどうすりゃいいのさ?」と言いつつも、見事にお父さんとお母さんのフォローさえしている。あんなにいい子は見たことがないです。

双子の女の子に「基地をどうやったら止められる?」と聞いてしまうのは、私、本当に分からないから。「なんでそんなにニコニコしていられるの?」と聞くのも、残酷だけど、彼女の方が見えているものがあると思うから。つい聞いちゃうんですよね。

彼女たちは「まずお父さんたちがカヌーで出て行く」って答える。そんなこと聞かれたら、ふつう「分からない」って言いますよね。だけど彼女は「まずは止めにいくでしょ?でもダメだったら、もっと多くの人を集めてみんなでバーっていく」とまで答えるんですよね。彼女のイメージの中には幾通りもの抵抗する大人たちの姿があるからこう答えられるんです。それってすごい希望ですよね。

子どもを小さい時から政治的な場所にうんぬん、なんて批判もあるれけど、そんなことを言える12歳が日本にどれだけいるのかと思うと、諦めずに踏ん張っているオトナを見ているから、逆にこんなに希望を持てる子どもが育つんだなって思うんです。

——主人公のひとり、文子おばあが戦争を体験した南部に行くシーンも印象的でした。沖縄の現在という横軸もあるけど、歴史という縦軸が、文子おばあの中に凝縮されている感じがしました。あのシーンを撮っている時の気持ちを聞かせてください。

三上 文子おばぁは戦争の話をすると眠れなくなるのが分かっていて、ましてや現場に連れていくのはどうなんだと躊躇していたんです。だけど、今の基地問題と戦争がどう繋がっているのかを肌で感じてもらうためには、やはり沖縄戦と辺野古の基地を結ぶ彼女の70年を描かなければという思いで相談したところ、歩けるうちに行ってみようと言ってくれました。

戦場に行ってリアルな戦争の話をしてもらうということにとどまらずに、おばあは突然、お母さんと玉ねぎの話を思い出して、話してくれたんです。私はこの話には号泣しました。おばあの心の中で暴れ回るもの、その一端を理解できた気がしました。それでもう満足で。あの話は辺野古で聞いていたら出てこなかったと思います。

——最後に、辺野古の海や、キャンプ・シュワブのゲート前で、反対運動と海保や県警が衝突するシーンについてお聞きします。沖縄の人同士どこか通じてしまう空気というか、海保にしても、県警にしても、立場的には相容れないけれども、どこか気持ちが伝わっているんじゃないかと思えるような表情をしていたり、実際に言葉を交していたりしていてと、何の為の対立かと考えてしまいます。そのようなシーンに込めた思いを聞かせてください。

三上 映画のテーマの一つに「対立と融和」というのがあって、反対運動は海保や県警とは対立するけど、辺野古の仲村さんのように、賛成派ではないけど反対運動が嫌いな人が、正月にお刺身を差し入れてくれたりもするから。海保の人が「何で俺に言うんよ…」と困ったり、カヌー隊のお姉さんにでれでれするシーンがあったり…そういうことが現場のあちこちで起きていて、大切にしたいなと思いました。

ゲート前のリーダーで人気者のヒロジさんは、4月の末に悪性リンパ腫で入院、一線を退いて治療に入ったんですけど、最後のお別れをしにゲートにきた時に、名護警察署の人たちが寄ってきて、ヒロジさんの肩に手を置いて「ちゃんと治して早く帰ってきてね」と言っていました。早く帰ってきたら困るのは名護署の人なのに(笑)。

ヒロジさんという反対運動のリーダーがいる、いないで名護署のやり方も違ってくるし、彼らにとってはいちばんの強敵なわけだけど、みんながヒロジさんの病気をショックに思っていて、ああ、絶対嫌いになれない人だったんだなって。そのシーンも撮りたかったんですけどね…

「対立の構図」は政治によって作られるけれども、それは本当の敵ではない人と対立をさせられる、いやな魔法ですよね。でも魔法って瞬間的に解けるじゃないですか。反対運動だから機動隊と激しくぶつかるんですけど、反対派のリーダーが病気になった時には「早く直して」と言えてしまう人間って、捨てたもんじゃないなと思います。早く魔法を解いて、人間と人間として繋がりたい。相手のことを好きになりたいし、喧嘩をするからこそ、喧嘩した後にすごく仲良くなったりするじゃないですか。そうでないと持たないし、そういう世界を私は描きたかったんです。

『戦場ぬ止み』より ©2015『戦場ぬ止み』製作委員会

【映画情報】

『戦場ぬ止み』
(2015 /日本/DCP・BD/129 分)

音楽:小室等 ナレーション:Cocco
プロデューサー:橋本佳子/木下繁貴
監督:三上智恵 撮影:大久保千津奈 編集:青木孝文
撮影協力:平田守/宜野座盛克/中村健勇 水中撮影:長田勇 
監督補:桃原英樹 構成協力:松石泉 題字:書浪人善隆
制作協力:シネマ沖縄 協力:沖縄タイムス社/琉球新報社
製作協力:三上智恵監督・沖縄記録映画を応援する会
製作:DOCUMENTARY JAPAN/東風/三上智恵
配給・宣伝:東風

【公開情報】
7月11日(土)より沖縄・桜坂劇場、
7月18日(土)より東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場、ほか全国順次公開
http://ikusaba.com

【監督プロフィール】

三上智恵(みかみ・ちえ)
ジャーナリスト、映画監督。1987 年、アナウンサーとして毎日放送に入社。95年、琉球朝日放送の開局時に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜辺野古 600 日の闘い〜」「1945〜島は戦場だった オキナワ365 日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判〜」など、沖縄の文化、自然、社会をテーマに多くのドキュメンタリー番組を制作。2010 年、日本女性放送者懇談会放送ウーマン賞を受賞。12 年に制作した「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~」は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル大賞など多くの賞を受賞。劇場版『標的の村』でキネマ旬報ベストテン文化映画部門第1 位、山形国際ドキュメンタリー映画祭で日本映画監督協会賞・市民賞をダブル受賞。劇場公開後も全国500 か所以上で上映会が続いている。現在は、フリーのジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。15年6月10日に「戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り」(大月書店)を上梓。
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