作品として伝えるべきことと、生き方との狭間で
——まだお若いのに……と非常に感心したのが、いわゆる伝統という価値観についての冷徹な視線です。正直、ここには昔から変わらぬ伝統がある、などと若い街っ子が感動し出したら、見ていられないな、と思っていたんです。ところが本作では、契約講も今まで通りにはいかない、しかし守るべき部分は守る。そのために、大胆な変容もしていく。そのさまを、しっかりと描いている。
我妻 そこは、意識して描こうと思っていた部分です。 波伝谷の春祈祷について卒論で書いたことを言いますと、祭りのような古いものは、昔から変わらずに続いてきたと思われがちですが、形式だけでなく意味合い自体も、その時代の状況に合わせて変化していくことは往々にしてあったわけです。祭りの主旨自体が変わったケースもある。 だから、その変化を通して、周縁にある人の暮らしや生き方をいかに見ていくかが大事だと思っています。被災地についても、失われてしまった暮らしを安易に美化しようとする風潮には違和感を覚えます。
でも、どこかに何か、変わらないものがある。波伝谷の春祈祷の場合、形を変えつつも行事を続けてきたのはなぜかと言うと、地域の中に、土地と人を結びつけようとする意志が根強く生きていたからだと思うんですよね。それを表現するのは非常に難しいのですが、とにかく陳腐にならないようにだけは気をつけました。
——大力作なのを前提に言うのですが、長く感じられるのは確かです。 例えば契約講について、監督が思ったことについて語るテロップが、同じ意味合いのものが二度出てくる。話が展開していないように感じ取れてしまうんですね。前後は、もう少し整理できたんじゃないかな。
我妻 ああ、そこは……テクニカルな問題ではあります。後半のストーリーにうまくつなげる為のテロップだったんですが。
2013年の山形国際ドキュメンタリー映画祭に出品した128分版では、そのつなぎがスムーズに行かなくて、後半の展開がややダレてしまうと自分で感じていました。 公開中のバージョンはそこを補強して135分になっているわけですが、山形版を見て、事前に135分版と見比べてくれたノンデライコの大澤一生さん(本作にも特別感謝のクレジット)は、「短くなった?」と言ってくれました(笑)。
それでも後半は、記録ーッて感じになっちゃっていて、見ていて辛い部分もあるんじゃないかと思うんですが。どうですかね?
——長く感じる理由として僕が考えてしまうのは、冒頭なんです。大震災が起きた日のことを見せ、さかのぼること数年前……という形で本編に入っていく。劇ではオーソドックスなセオリーの構成ですが、どうしても見ていて頭の片隅で(ああ、この村が被災するのか、登場する人びとのうちのどなたかが被災されるのか……)と、意識せざるを得ないし、その重たさはドキュメンタリーでは尚更になる。なかなかしんどいのですよ。
井上光晴の小説『明日 一九四五年八月八日・長崎』(1982)を読んだ時の気持ちに近いかな。しかしあれは一日に凝縮しているけど、本作は、四季の移り変わりを何年も見ていくことになりますから。 冒頭は、僕は無かったほうがよかったのでは、と思うんです。
我妻 小説を映画化した『TOMORROW 明日』(1988/黒木和雄)は、『波伝谷に生きる人びと』を編集する上で意識した1本です。 そこについては、僕もいろいろ考えました。自分自身があそこで被災した以上、それは何らかの形で描かなければならない。震災前で終わってしまうのは、どこか絵空事のような気がするので。でもラストに被災のシーンを持ってくると、全ての印象がそれに持って行かれてしまう。いろいろ考えた上で、今の形にしました。
僕自身にとって、震災はいろいろな意味でもう一つのスタートなんです。完成する前に震災に遭遇したこの映画自体が、大きな影響を受けているんですよ。見る人ももう、震災を意識すること無しにこの映画を見ることはできない。そこに抗う考え方もあったと思いますが、影響から逃れられないならば、いっそ取り込もう、そう思いました。 その影響は、50年後に僕が波伝谷で作る映画のことを考えても、おそらく同じだと思うんです。広島・長崎がそうであるように。ただ、純粋な生活誌として500年後とか1,000年後のことを考えたら、それはやはり不要だったのかなという気持ちも若干あります。どうしても震災が契機になった映画ということになってしまいますからね。
例え大きな天災が起きても、人が生きている限り人の営みは続いていく。その一番根底にあるものを、この映画単体では描こうと思いました。 だから、ラストシーンは実はファーストシーンにつながって、人間というのは同じ業を繰り返しながらそれでも生きて行くのだろうなと。そういう意図もあって、冒頭を外すつもりは無いんです。
——なるほど。いわゆるツカミのショックというか、何がしかのインパクトを狙っていたのであれば、僕はどうかと思っていたのですが。それを伺って納得しました。
一方で、長尺だから効いている、とつくづく思ったのは終盤の線路ですね。車両からずっと撮っているから、長いトラックバックのように見えるカット。ホウ・シャオシェンの台湾映画が初めて日本に来た時のような瑞々しさ。コノヤローって言いたくなる位に良かった(笑)。
我妻 実は南三陸のあの線路も、あそこから見える町も被災して無いんです。2010年の暮れに撮影した、二度と見られない映像です。
ずっと波伝谷を浮遊していて、映画をどう終わらせていいか分からない。あそこでは、そういう心境でカメラを回していました。トンネルの手前でスイッチを切るつもりが、なぜかそのままずっと撮ってしまって……。自分の姿が窓に映り込んだのは偶然なんですが、最後の一瞬、それまでカメラを見ていた自分の視線を変えて、窓に映る自分の姿を凝視しました。咄嗟の判断で、そうしました。見た方のほとんどが気付かないところだと思いますけど。
——トラックバック風の線路の長いカットに、波伝谷の人たちが我妻さんを叱咤激励するオフの声が重なる。そして、トンネルに入り、一種の自画像のように我妻さん本人が映り込む。我妻和樹の不器用な青春が、あそこで一気に奔出する。
大げさなようだけど、あそこでドキュメンタリーが文学に飛躍します。この映画の、僕が特に好きなところですよ。
我妻 本当ですか。……どうなんだろう、映画って難しいですよね……。ああいうのがこう、作り手の生き方としてどうなんだってところがあるじゃないですか。ああいう形で映画を纏め上げることが……。僕自身、この映画をどう終わらせていいのか、震災前からずっと分からなくて。 でも、震災前の、波伝谷の人たちに対しての距離感や向き合い方など全てが至らなくて、ちゃんとぶつかれなかった悔いが今でも残っている。そういう自分が撮ったものを、映画にするしかなかったので。 ある意味では、この映画はそうした震災前の自分に対する訣別でもありますね。
ドキュメンタリーは手法のひとつに過ぎない、とさっきは言いましたけど。作り手の生き方と直結しているところが、やはり難しさであり、魅力だと思います。
【作品情報】
『波伝谷に生きる人びと』
(2014 年/ 135 分/ HD/カラー)
監督・撮影・編集: 我妻和樹
製作・配給・宣伝: ピーストゥリー・プロダクツ
公式サイト:http://hadenyaniikiru.wix.com/peacetree
ポレポレ東中野(東京)で公開中(8/21まで、連日10:10)
トークゲストあり 詳しくはポレポレ東中野公式サイト
http://www.mmjp.or.jp/pole2/
他、全国順次公開
【監督プロフィール】
我妻和樹(あがつま・かずき)
1985年宮城県白石市生まれ。2004年4月、東北学院大学文学部史学科に入学。在学中の2005年3月より、同大学の民俗学研究室と東北歴史博物館の共同による、南三陸町波伝谷での民俗調査に参加。2008年3月の報告書の完成とともに大学を卒業し、以後、個人で波伝谷でのドキュメンタリー映画製作を開始する。
2011年3月11日の東日本大震災時には自身も現地で被災し、その後も撮影を続行。製作に約6年の歳月を費やした初監督の本作『波伝谷に生きる人びと』は、2013年8月15日に行われた波伝谷での試写会ののち、同年10月に行われた第13回山形国際ドキュメンタリー映画祭の震災関連映画特集「ともにある Cinema with Us」にて初公開となった(初公開時は128分)。
現在はピーストゥリー・プロダクツとして上映会を主宰し、2014年夏には宮城県沿岸部を中心とした11市町での縦断上映会を開いている。