【連載】ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー 第12回『日本紀行「沖繩県」 メンソーレ(面候)珊瑚礁』

〈ディスカバー・ジャパン〉の時代だから生まれたレコード


ここで改めて、本盤が1975年、昭和50年に出たレコードであること。そして、アメリカの施政権下に置かれ続けていた沖縄が本土復帰を果たしてからまだ3年、であることを考える。

内封の解説書によると、《日本紀行》は都道府県各1枚、全47枚のシリーズ。「現地取材と民謡でつづるふるさと探訪」と銘打たれている。今の感覚なら、よくまあそんな、手間がかかる割にセールスも見込めない企画を……となるけど。

国鉄のキャンペーン〈ディスカバー・ジャパン〉が大ブームの頃だったことを考えれば全然、アリだったでしょう。国内旅行を計画している人、あるいは上京してしばらく里に帰っていない人に、お目当ての県をバラで買ってもらう売り方にして、図書館などの施設になら、47枚セットでの購入をお願いしていただろう。僕が入手したのは見本盤、今でいう関係者や媒体に渡すサンプル盤なので、実際に市場に出回っていたかどうかまでは、自信を持って言えないのだが。

一方で発売当時は、国鉄が提供する『遠くへ行きたい』(日本テレビ系列)が1970年から放送開始され、旅・紀行ものがテレビの人気番組として次第に定着していた。レコードの企画としてはやはり、少しズレが生じ始めていた頃だとは思う。

だからなおさら、手元に置いて何回も聴けるレコードの特性を活かさなければテレビとの差別化は図れない、と沙河はじめら作り手は考えた。そして、沖縄について正しく認識し、学ぶためにはこれ位は必要だと、可能な限りの要素を収録した。真摯な過程は、容易に想像できる。

結果として、一覧に挙げたように内容がテンコ盛りになり過ぎ、的を絞り切れない録音になり、現地の音より解説のほうが主体になってしまう、本末転倒気味の完成品になってしまったことも。

そう、ただ単に出来の悪いレコードなら僕だって取り上げない。本盤には、総花的なレコードになってしまったのも、ひとえに意欲を持って制作した結果だという、から回りの可憐な熱がうっすらと残っている。
海や自然、独特の文化や島唄が素晴らしいだけではない。戦争の傷跡は今なお生々しいのだ、と伝えている。本島だけでなく、宮古や八重山諸島についても尺を取り、琉球とは違う文化があったと押さえているのは、当時の一般向けの内容としてはかなり良心的な部類のはずだ。
琉球王朝時代、未開拓の島への強制移住が行われた歴史があったことを、石垣島の古典民謡研究家・大浜安伴が語っている。これも貴重な録音。


復帰してまだ3年―沖縄のことを本当に知っているのか

neoneoに寄稿頂くなどでお世話になっている、NHK放送文化研究所の七沢潔さんに、去年の年末お会いした際「記録された沖縄の“本土復帰”―「同化」と「異化」のはざまで―」という自著の冊子を頂いた。研究誌『放送メディア研究』№8(2011)に執筆した論の抜刷ということだ。

戦後に製作・放送された沖縄関連のテレビ・ドキュメンタリーを分析した冊子を拝読しているうち、本土復帰後の数年だけ番組の本数が減っていることに気が付いた。今、注意して付録の年表を見直すと、確かに、本盤の出た1975年前後のオンエアが特に少ない。

佐藤栄作が戦後の首相として初めて沖縄を訪れ、返還交渉が始まった1965年から、返還される72年までの間には、七沢さんが「さながら戦後27年間、“孤児”のように扱われた沖縄を日本に迎え入れるキャンペーン(準備期間)のようであった」と書いている通り、相当な数の番組が作られているのにだ。
だが、この落差は、今の僕らの視聴者としての皮膚感覚からすると、理屈抜きでよく分かる。話題がピークに達したら一段落したという気になり、その後にこそ様々な課題が生まれるという認識が、番組と市民の両方から、なぜか、自然と薄れてしまう。東日本大震災を始め、どの社会事象に対しても当てはまることだ。

返還から数年たっても世間では、本土に働きに出た人や学生を「パスポート見せてよ」とからかうことは、まだまだあったと聞く。
復帰後も米軍基地は無くならず、石油ショックの影響ばかり受けて、1970年代の県民への世論調査では「復帰に不満」が「復帰してよかった」を常に上回っていた。
沙河はじめはその停滞に、少しでも抗おうとしたのだと思う。返還から3年たったが、オレたちは本当に沖縄を知っているのか? もっと学ぼうよ、そういう思いをレコードの構成にぶつけたのだと思う。

注文ばかり付けている紹介になってしまったが、平均的ヤマトンチュの沖縄を知ろうとする姿勢、伝わってくる誠実さに関しては、このレコード、『日本紀行「沖繩県」 メンソーレ(面候)珊瑚礁』は、1975年の時点におけるほぼベストだといっていい。

そこにほだされて、米軍基地のことには一切触れていなくても、締めくくりに流れる曲が古典民謡ではなく三橋美智也の「海洋博ユンタ」でも、僕は目をつぶる(大人の事情がさ、きっとあったのヨ)。
よかれと思って書かれた、

「この沖縄に来て、ふと感じたことは、地面も空気も白いということです。降り注ぐ陽光も南国ですが、大味で、カラリとした人に親しさを覚えます」

というナレーションにも目を……つぶろうかな、どうしようかな。土地も光も白く感じられるって詩心はステキだけど、今ならさすがに「大味」って表現は、無いよねえ。
でも、ここにも、もちろん悪気は感じられない。「てーげー」「ウチナータイム」が、語としても、take it easyな生活概念としても、肯定的な意味で普及するのは後々のこと。沙河さんが取材し、台本を書いた時点では、「大味」以外のボキャブラリーが、世の中には用意されていなかったのだ。

今聴くと、いかがなものか、と思う表現でも、発表当時では精一杯の結果。今の価値観のみに照らして批判すると、理解を間違えやすくする。レコードだけでなく、本や映画でも言えることだ。
「聴くメンタリー」では、そういうことも学ばされるわけです。


※盤情報

『日本紀行「沖繩県」 メンソーレ(面候)珊瑚礁』
1975年/2,000円(当時の価格)
キングレコード

若木康輔(わかきこうすけ)
1968年北海道生まれ。本業はフリーランスの番組・ビデオの構成作家。07年より映画ライターも兼ね、12年からneoneoに参加。今回は、沖縄の濃密さを1枚のレコードで紹介しようとしたらタイヘンだ、というお話でした。他の県はどうなんでしょうね。他県と似通うところが出てきて苦労したのか、それともじっくり調べるとその県でしか聴けない音が幾らでも出て来たのか。実は、この「沖繩県」以外の《日本紀行》シリーズは未入手です。だって掘っても出てこないんだ! コンプリートできる日は果たして訪れるのでしょうか……。http://blog.goo.ne.jp/wakaki_1968

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